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150.漢王朝時に開封市にまで到達していたユダヤ人

ここではユダヤ人コミュニティを形成された中国の開封市の例を紹介する。漢王朝時代にはインド経由でユダヤ人が少なくとも開封市まで到達していたようだ。

開封市(かいほうし)
中国河南省開封市。戦国時代の魏(紀元前403年 - 紀元前225年)の時代の「大梁」、北宋(960年 - 1127年)では首都とされた。
開封市の位置はここ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/開封市#/map/0

開封市のユダヤ人コミュニティ
開封ユダヤ人のコミュニティーが存在していた。遅くとも宋の時代(960年-1279年)までには成立していたとされる。それが19世紀末まで存続していた。下記サイトによればDNA検査でもユダヤ人と一致していることが示されているとのこと。
参考:
中国にユダヤ共同体?「開封ユダヤ人」にハマった“若きミステリーハンター” | 「聖地と中国の交差点にある、長く忘れられた文明」を世界に伝えたい | クーリエ・ジャポン

開封市の3つの石碑
開封市でユダヤ人に関する3つの石碑が発見されている。
1つめ:「重建清真寺記碑」。1489年の日付が入っている。
2つめ:「尊崇道教寺記碑」。1512年の日付が入っている。「尊崇道教寺」シナゴーグで発見された。
3つめ:「祠堂述古碑記」。1663年に「清真寺」の再建を記念し建立された。

■石碑に記録された内容
上記の1つめの「重建清真寺記碑」では次のことが記されている。
①:漢王朝時代(紀元前206年-紀元後220年)にユダヤ人がインドからやって来たこと
②:宋の皇帝と謁見した漢姓を持つ70名ほどのユダヤ人の名前
③:始祖アブラハムからバビロン捕囚時代の預言者エズラまでの信仰の伝承

マテオ・リッチ
イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭。中国が明の時代(1368年-1644年)に中国において宣教を行ったとされる。1578年にインドのゴアに入り、その後マカオ、中国南部の都市を経て、1598年には北京に入った。秀吉の朝鮮出兵の影響を受け南京に移るが、1601年には明朝の第14代皇帝、万暦帝(ばんれきてい)の宮廷に入ったとされる。

カトリック司教・ジョセフ・ブルッカ
ジョセフ・ブルッカーは20世紀初頭の人物。このジョセフ・ブルッカーがマテオ・リッチが残した手稿を研究したとされる。それによれば開封ユダヤ人コミュニティーは500~600年間存続していた。また16世紀後半から17世紀初めまでの間で開封に10~12世帯はユダヤ人が居住していたことが示されていたとされる。また、多数のユダヤ人が杭州にもいた記述がみられるそうだ。

杭州
浙江省杭州市(せっこうしょうこうしゅうし)。中国八大古都のひとつとされる。
浙江省の位置はここ↓

ja.wikipedia.org

開封市や杭州市というエリア
開封市:黄河中流域の華北と長江流域の江南地方を結ぶ交通の要所。隋の煬帝が建設した大運河の拠点の一つ。物資輸送の結節点となった場所。
杭州市:北京を起点とする古代の京杭大運河の終点。

■まとめ
漢王朝時代(紀元前206年-紀元後220年)の間にインドから中国にユダヤ人がやってきたことが開封市の石碑に残る。

■感想
開封市のユダヤ人はインド経由の様子。
・他方、秦氏中央アジアルートで百済に到達したと考えられる氏族。中国の秦王朝は紀元前221年-前206年。秦氏景教徒でありユダヤ教徒。なお秦王朝の首都は咸陽市、始皇帝陵は西安市に位置。開封市と咸陽市との関係性は緯度は同じような位置、開封市のほうが東側にあたる。

<参考>
開封市 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/開封のユダヤ人
開封の歴史と猶太人(ユダヤ人)https://nagano-nct.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=983&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
エズラ記 - Wikipedia

マテオ・リッチ - Wikipedia
万暦帝 - Wikipedia
杭州市 - Wikipedia