第81代・安徳天皇と徳島県三好市東祖谷の栗枝渡八幡神社について。
次の流れで紹介していく。
・安徳天皇
・安徳天皇と壇ノ浦の戦い
・後鳥羽上皇と菊の御紋
・栗枝渡八幡神社(くりしどはちまんじんじゃ)
・徳島県の美馬市
・美馬市のみたからの歌
・東祖谷
・駿河(スルガ)について
■安徳天皇
第81代天皇。
平安時代末期、在位は1180年~1185年。
生没年は1178年~1185年。
1183年に木曾義仲の軍が京都へと迫った。
すると平家は安徳天皇と三種の神器を持って西国へと逃れた。
その後、安徳天皇が在位のままに、後鳥羽天皇が即位した。
後鳥羽天皇の在位は1183年~1198年。
■安徳天皇と壇ノ浦の戦い
1185年、壇ノ浦の戦いが長門国赤間関壇ノ浦にて起こる。
源氏と平氏が約6年に渡って争った戦いにおいて源氏が勝利し、平氏が敗れる。
このとき安徳天皇は入水。満6歳4か月での崩御であったという。
三種の神器のうちのひとつ、宝剣は海中に沈み、見つからなかったという。
そして、源頼朝が現・神奈川の鎌倉市にて1185年、鎌倉幕府を開いたとされる(1192年説から改訂されつつある)。
↓はwikipedia、安徳天皇
■後鳥羽上皇と菊の御紋
菊の御紋は後鳥羽上皇が用いたのがその起源であるとされる。
上記の通りで、菊の御紋の成立はなにかと複雑な時期での成立である。
↓は天皇家の家紋・十六弁八重表菊と古代のシンボルの類似について紹介した回
安徳天皇が逃げ延びたという伝承も各地に残る。
安徳天皇にまつわる神社に栗枝渡八幡神社がある。
■栗枝渡八幡神社(くりしどはちまんじんじゃ)
創建年は不詳。
所在は徳島県三好市東祖谷下瀬。
安徳天皇は阿波国祖谷山に逃れて、16歳まで生き、栗枝渡八幡神社の境内で火葬されたという説が「美馬郡誌」に記載されているという。
この神社の境内に安徳天皇を火葬したと伝わる「安徳天皇御火葬場」がある。
神社名が特徴的である。
栗枝渡は「クリスド」「クリシド」と読め「キリスト」と似る。
この神社のある三好市東祖谷は剣山と関りのある地域である。
剣山は徳島県の
・三好市東祖谷
・美馬市木屋平
・那賀郡那賀町木沢
の間に位置する。
■美馬市のみたからの歌
美馬市には「みたからの歌」の民謡がある。
この民謡の歌詞はやや近代的である。
↓はみたからの歌について取り上げた回
美馬市にはほかにも
・磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)
・白人神社(しらひとじんじゃ)
・大國魂神社
がある。
↓はナフタリ族渡来後の淡路島の歴史を紹介した回にて、白人神社、大國魂神社を扱った
大國魂神社の神紋はユダヤ教のメノラーと類似する。
↓は家紋や神紋を取り上げた回にて、大國魂神社を紹介
■東祖谷
東祖谷は「ひがしいや」と読む。
祖谷はイヤで弥栄(イヤサカ)のイヤだとすれば、弥(いや)栄(はえ)でヤハエを暗示する。
祖谷の地名についても漢字の並び順を入れ替えて、谷祖、ヤソとすれば、キリストを暗示する。
紀元前に渡来した民族と、古墳時代を経て400年頃渡来した民族の二つがあるのだとすれば、その両方の意味を込めて地名にも暗示されているのかもしれない。
こじつけではない。
文献上に残る歴史的に見ても、第3回遣唐使メンバーの名前などをみると、倭漢直福因(やまとのあやのあたいふくいん)などがいる。
福音とはキリスト教用語で「良い知らせのこと」である。
日本に新しい国家が誕生したことを知らせにいっているかのような名前のメンバーたちである。
↓は第3回遣唐使メンバーの名前を考察した回
■駿河(スルガ)について
鎌倉時代に移った側の、鎌倉方面に関連して。
鎌倉に近い静岡、駿河(スルガ)はサンスクリット語(古代インドの、古代インド・アーリア語に属する言語)で「天国」を意味するという。
1100年代、なぜ権力が鎌倉に移ったのだろうか。
貴族の時代から武人の時代になったのであるが、遠くは230年~250年頃築造の沼津市の高尾山古墳などとも関連するのだろうか。
古代ユダヤ人、スキタイ、ソグド人、ペルシャ人のほか、古代のインドを祖とする民族も渡来していたのかもしれない。
↓は沼津市の高尾山古墳を取り上げた回
<参考>
・安徳天皇 - Wikipedia
・後鳥羽天皇 - Wikipedia
・栗枝渡八幡神社 - Wikipedia
・東祖谷下瀬 - Wikipedia