藤原京とは近年の学術用語であり、当時は「あらましのみやこ、しんやくきょう(新益京)」などと呼ばれていた。次の流れで紹介していく。
・日本の遷都の歴史
・藤原京
・シンヤクキョウ
・藤原氏の下り藤の家紋
■日本の遷都の歴史
古代の都として平城京や平安京がよく知られる。
都のほかにも宮がみられ、推古朝あたりから宮の実在がはっきりとしてくる。
ここでは藤原京を取り上げる。
↓は592年以降の遷都の歴史を紹介
■藤原京
藤原京は飛鳥時代の都城。
所在は奈良県橿原市と明日香村にかかる地域。
676年、天武天皇5年頃に場所の選定、その後686年の天武天皇の崩御を経て、持統天皇4年(690年)に開発が再開した。
↓はgooglemap、藤原京遺跡跡
↓橿原市のHPにて、藤原宮と藤原京がテーマ別に紹介されており当時の状況が詳しい
■新益京(あらましのみやこ、しんやくきょう)
藤原京の日本書紀などでの名称に「新益京」がみられる。
「あらましのみやこ」「あらましきょう」「しんやくのみやこ」「しんやくきょう」などの読みがあるという。
「あらましきょう」は「新たに増した京」の意味であるという。
■シンヤクキョウ
シンヤク京と聞くと、新約聖書を想起する。
旧約聖書や、新約聖書はユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教にも関わる用語である。
なお、平安京は、ヘブライ語で表すと「エル・シャローム」、「エル・サレム」との意味があるという。
「エル」とは「聖なる」を意味し、神、都市、都などを表す。
セム語派で用いられる言葉であるという。
平安京に上記のような音韻の秘密が込められているとすれば、新益京にも暗に込められた意味があったとしても不思議ではない。何より、より当時は藤原京とは呼ばれていなかった。
↓平安京にはエル・サレムの意味が込められているという
■藤原氏の下り藤の家紋
過去記事で家紋や神紋を調査した。
藤原氏の下り藤の家紋には十字架の意味を込めたように推測される紋章がみられる。