トジコやイラツメという人物名を取り上げ、出現するその時代を紹介する。また、イラツメ、イラツコ、トジとも西方に由来があることを示す。特にイラツメやイラツコのイラはイランのイラと関係があるのではないか。次の流れで紹介していく。
・トジコとトジ
・ホホテノイラツメ
・ミヅハノイラツメ
・イラツコ
・考察~イラツメ、イラツコ、トジ~
■トジコとトジ
トジコが登場するのは刀自古郎女(とじこのいらつめ)からだろうか。
刀自古郎女は聖徳太子の妃。
父は蘇我馬子。
母は物部氏の女(むすめ)とされる。
蘇我馬子は嶋大臣(しまだいじん)とも呼ばれた。
百済の王、武寧王(462年~523年)も斯麻王(しまおう)と呼ばれていたことがわかっており、興味深い。
その後の「刀自」のつく人物には例えば
・氷上娘(ひかみのいらつめ、あるいは氷上大刀自とも)
不明~682年。藤原鎌足の娘。
・大原大刀自(おおはらのおおとじ)
いおえのいらつめとも。藤原鎌足の子。
氷上大刀自(氷上娘)の妹。
天武天皇の夫人。
・耳面刀自(みみもとじ、みみものとじ)
父は藤原鎌足。弘文天皇(大友皇子)の妃の一人。
・県犬養広刀自(あがたいぬかいのひろとじ)
生没年は不明~762年、聖武天皇の夫人。
↓はwikipedia、刀自古郎女
■ホホテノイラツメ
イラツメの名前のつく女性について。
蘇我馬子の娘に法提郎女(ほほてのいらつめ、ほていのいらつめ)がいる。
刀自古郎女の妹である。
この「法提郎女」は舒明天皇の夫人。
古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)の母である。
聖徳太子の母は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
聖徳太子周辺の時代の人びとの名前に
・古人大兄皇子にはへブルのフル
・穴穂部間人皇女には波斯(はし、ペルシャ人)
の文字が入っていることが興味深い。
聖徳太子の従兄弟、蜂子王子などもなぜ「ハチノコ」と呼ばれたかなど出自については今後の研究が期待される。
↓は養蜂の起源と蜂子王子について取り上げた回
■ミヅハノイラツメ
最も古いイラツメはミヅハノイラツメだろうか。
日本書紀でいう五百野皇女(いおののひめみこ)という人物がいる。
その父は景行天皇。
母が水歯郎媛(みずはのいらつめ)とされる。
磐衝別命(いわつくわけのみこと)は垂仁天皇の第十皇子とされる。
磐衝別命は
・垂仁天皇
・山背大国不遅の娘の綺戸辺(かむはたとべ)
との間に生まれたという。
その磐衝別命の子には
・石城別王(いわきわけ、石城別王 / 伊波智和希)
・水歯郎媛(みずはのいらつめ、第12代・景行天皇妃の五百野皇女の母)がいる
■イラツコ
イラツコには少なくとも5人のイラツコがいる。
とりわけ仁賢天皇は嶋郎(しまのいらつこ)として知られる。
「しま」と呼ばれた人物としては武寧王、仁賢天皇、蘇我馬子があげられる。
イラツメに対しイラツコは少なく、下記の人物があげられる。
・菟道稚郎子
・大郎子(おおいらつこ、稚渟毛二派皇子の子)
・波多毗能大郎子(はたびのおおいらつこ)
・嶋郎(しまのいらつこ、仁賢天皇)
・朝日朗(あさけのいらつこ)
↓はイラツコを取り上げた回
■考察~イラツメ、イラツコ、トジ~
イラツメはミヅハノイラツメが最古の可能性がある。
景行天皇と関係があるとすればヤマトタケルの父にあたる。
・ヒミコやㇳヨの時代
・その次の世代が景行天皇
・さらにその次の世代が景行天皇の息子のヤマトタケル(西暦300年前後に九州から東征)
という関係にある。
よって、ミズハノイラツメはヤマトタケルと同世代だろう。
イラツコは応神を起源として始まる。
応神は八幡の神、ヤハウェと関係があると推測される。
イラツコはイラツメよりやや時代がくだる。
一方、トジは聖徳太子の時代から始まる。
新羅にササン朝ペルシャの官位のササンがみられる。
このことも時代的に関連するだろう。
トジコの刀自は「トジ」で
・「十字」を意味していた可能性が高い
他の可能性は突厥(トルコ人)の存在が日本書紀、668年の記述で知られる。
トルコは当て字では土耳古ともされ、なぜ「ル」を「耳」とあてたかは謎とされる。
ただちに突厥などと結びつくものではないが、西方に由来を持つ人物たちであったのだろうか。
そもそも西方、イラン人の起源について。
古代はアーリア人と呼ばれていたとされる。
音韻の変化が起こり、
アーリア→イランと変化したという。
アリアは日本語との対比でいえば
・一文字下げる
・一文字あげる
のいずれかの関係性において音韻変化が起こっていることは興味深い。
・あ→い
・り→ら
・あ→ん
である。
また歴史的に見ても、
九州の有明海では早くから西方の人物たちが渡来していたと考えられる。
具体的には王族の武術の稽古を西方由来の人物が担っていた可能性がある。
そのような九州の土地において有明海、アーリアの名前が残ること。
そして諫早市には
・いせ、はや → イソ、ヤハウェ
の音韻が残っていることも、いまだ何ら考古学的証明はできかねるが、次世代の発見を待つべきだろうか。
■まとめ
・「イラツメ」はミヅハノイラツメから始まる可能性が高い
・「イラツコ」は応神頃から始まる
・「シマ」につながりがあるのは
・アーリアの音韻変化によりイランとなった
・このイラン(アーリア人)のイラがペルシャ由来の人をさすのではないか
・九州北西部にはアリアケの地名が残る
・ミズハイラツメはヤマトタケルと同世代
・ヒミコの時代には既に九州北部に伊都国・一大卒の国があった。秦王国もあった。
<参考>
・舒明天皇 - Wikipedia
・古人大兄皇子 - Wikipedia
・刀自古郎女 - Wikipedia
・県犬養広刀自 - Wikipedia
・氷上娘 - Wikipedia
・耳面刀自 - Wikipedia