家紋や神紋を取り上げ、シンボルからユダヤ教やキリスト教と古代日本との接点を探っていく。次の流れで紹介していく。
・大國魂神社の神紋
・徳島県美馬市美馬町の吉水遺跡
・藤原氏の下り藤の家紋
・頭合せ三つ笹竜胆(ササリンドウ)
・諏訪梶の葉(すわかじのは)
・シンボルの成立の背景に関する推測
・まとめ
■大國魂神社の神紋
所在は徳島県美馬市美馬町。
神紋は丸に三つ柏。
この神紋はユダヤ教のメノラーと類似している。
ゆえに七支刀とも近い
↓はwikipedia、倭大国魂神社
美馬市に関わる事項として過去記事にてつぎの2記事を取り上げた。
↓美馬市には磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)のある地域
↓は剣山を取り上げた回、剣山は三好市東祖谷、美馬市木屋平、那賀郡那賀町木沢の間に位置
■徳島県美馬市美馬町の吉水遺跡
弥生時代の集落遺跡。
所在は大國魂神社の近く、徳島県美馬市美馬町に所在する遺跡。
1996年の発掘調査で
・竪穴住居跡:4軒
・掘立柱建物跡:4棟
が確認されている。
室町時代のものとされるが、輪法なども発掘されている。
参考①:吉水遺跡|レキシルとくしま
参考②:吉水遺跡 - 全国遺跡報告総覧
参考③:東京国立博物館 - 展示・催し物 総合文化展一覧 日本の考古・特別展(平成館) 発掘へんろ-遺跡でめぐる伊豫・土佐・讃岐・阿波- 作品リスト
■藤原氏の下り藤の家紋
藤原氏の家紋、下り藤は木の枝のところが十字架に見える。
おそらく十字架の意味を込めた紋章のように思う。
↓はwikipedia、藤原南家
↓藤原氏の下り藤の家紋は過去記事で紹介
■頭合せ三つ笹竜胆(ササリンドウ)
山野草の「竜胆(りんどう)」をモチーフとした家紋。
一方、音韻が類似するサッサリードはヘブライ語で「残されし民」を意味する。
笹竜胆の家紋は複数ある。
中でも頭合せ三つ笹竜胆紋は「笹竜胆(ささりんどう)」を頭合わせに寄せて描くことで、六芒星が現れる。
笹竜胆は
・村上源氏
・宇多源氏
の代表紋。
他の流派の一門では使用されていないようだ。
村上源氏(むらかみげんじ)は、第62代・村上天皇の皇子を祖とする源氏氏族。
宇多源氏(うだげんじ)は、第59代宇多天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族。
村上天皇は在位946年~967年、第60代醍醐天皇の第十四皇子。
醍醐天皇(在位885年~930年)の時代の930年7月に清涼殿落雷事件が起き、その後醍醐天皇は930年10月に崩御した。
↓家紋のいろはより、笹竜胆紋
irohakamon.com
↓家紋のいろはより、頭合せ三つ笹竜胆
irohakamon.com
↓は君が代がヘブライ語でも解釈できることを取り上げた回でサッサリードが登場
参考:
・村上源氏 - Wikipedia
・宇多源氏 - Wikipedia
■諏訪梶の葉(すわかじのは)
長野諏訪大社上社の神紋。
キリスト教圏における墓標と類似する。
諏訪については別途紹介予定。
↓家紋のいろはより、諏訪梶の葉
■シンボルの成立の背景に関する推測
この醍醐天皇の時代、醍醐天皇の命によって905年に藤原時平らが編纂を始め、ついで忠平らが編修したのが延喜式。
・巻8が祝詞
・巻9と10が神名帳、通称・延喜式神名帳
701年の大宝律令を経て、720年には日本書紀が完成。
その時点では
・縄文人
・縄文人と渡来人の混血の弥生人
・漢民族
・百済
・高句麗
・新羅
・渤海、穢人
・ユダヤ人やペルシャ人など中東の民族
が入り乱れていただろう。
そのような過程を経て日本語が成立、そして西暦900年頃にはひらがなが成立。
このような時代においてシンボルにて古代の先祖の出自を残したのではないだろうか。
■まとめ
次の2つはユダヤ教に近い
・大國魂神社の神紋
・頭合せ三つ笹竜胆(ササリンドウ)
一方、下記はキリスト教に近い
・諏訪梶の葉(すわかじのは)
・藤原氏の下り藤の家紋
<参考>
・カラー版 イチから知りたい! 家紋と名字
・鎌倉市/もっと知りたい!市章「ササリンドウ」