過去記事にて「家紋や神紋」をテーマとしてユダヤ教やキリスト教とのシンボルの類似を取り上げた。今回は「十六弁八重表菊」を取り上げる。次の流れで紹介していく。
・家紋や神紋にみるユダヤ教やキリスト教との類似
・天皇家のシンボル・菊に関して
・菊の御紋
・菊の日本への渡来
・古代イスラエルのヘロデ門
・新バビロニアのイシュタル門
・ツタンカーメン王墓から出土した青銅器製菊花紋
・参考:五七の桐
過去記事では下記を取り上げ、ユダヤ教や原始キリスト教と考えられるシンボルと思われる家紋、神紋を紹介した。
・大國魂神社の神紋
・徳島県美馬市美馬町の吉水遺跡
・藤原氏の下り藤の家紋
・頭合せ三つ笹竜胆(ササリンドウ)
・諏訪梶の葉(すわかじのは)
↓過去記事、家紋や神紋にみるユダヤ教やキリスト教との類似とシンボルの成立
以降では天皇家や世界の古代の王族に関わるシンボルを紹介する。
■天皇家のシンボル・菊に関して
シュメールの紋章やユダヤの紋章と同じであるとし「天皇家のルーツ」をシュメールやユダヤにあるのではないかという説がみられる。
ここでは菊の紋章について取り上げていく。
■菊の御紋
鎌倉時代に後鳥羽上皇が用いたのがその起源であるとされる。
後鳥羽上皇は鎌倉時代の第82代天皇。
在位は1183年から1198年であった。
■菊の日本への渡来
菊は高貴な花であり古来より日本人に愛された。
菊は8~9世紀の平安時代に中国から伝わったとされる。
日本の文献資料上に初めて菊が登場するのは平安時代に書かれた歴史書、「類聚国史(るいじゅこくし)」。
このごろの
しぐれの雨に
菊の花
散りぞしぬべき
あたらその香を
この歌は桓武天皇が詠ったものとされる。
桓武天皇の在位は781年~806年、生没年は737年~806年。
諱は山部。
母は高野新笠。
父は光仁天皇。
高野新笠の先祖は百済の武寧王とされる。
■古代イスラエルのヘロデ門
ヘロデ門に16菊花紋が彫られている。
↓下記はクラシファイ、ヘロデ門観光情報 画像でヘロデ門が確認できる
ヘロデ門(エルサレム)の観光情報 | 見どころ | 行き方 | 歴史 | 料金 – クラシファイ
■新バビロニアのイシュタル門
2,600年前、紀元前575年に新バビロニアのネブカドネザル2世が建設したイシュタル門に菊花紋がみられる。
■ツタンカーメン王墓から出土した青銅器製菊花紋
古代エジプトにおいて、3,300年前のツタンカーメン王墓から出土した青銅器製菊花紋がある。
以上のように、菊はエジプトや古代イスラエルなど太陽信仰に共通してくるシンボルである。
日本においては菊が高貴な花であることや、太陽の象徴であることからシンボルとして採用されていったのでは。
ひとつの王族や血族が続いているというよりも、太陽を敬うという信仰が続いているといえるのではないだろうか。
■参考:五七の桐
宮内庁のシンボルでもある「五七の桐」について。
平安時代、嵯峨天皇(在位:809年~823年)の治世。
820年、天皇が行う祭祀や国事の装束が黄櫨染の御袍(こうろぜんのごほう)に定められた。
大儀には黄櫨染の御袍、小儀や行幸(ぎょうこう)には麹塵染(きくじんぞめ)の桐竹鳳凰文の袍(ほう)が用いられるようになっていった。
↓はwikipedia、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)
↓は日本服飾史、桐竹鳳凰