シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

329.上・中・下や底・中・表の位置関係が示す住吉仲皇子との関係

記紀において上、中、下や底、中、表などの位置関係がみられる。この3点の位置関係をテーマとしてスクナビコナやスミヨシにまつわる日本の古代の謎を解く手がかりを得たい。次の流れで紹介していく。
・1.湯津石村(ユツイワムラ)
・2.出雲の神原神社
・3.三輪山
・4.大神神社(おおみわじんじゃ)
・5.住吉大社住吉三神
・6.宗像大社(むなかたたいしゃ)
・7.宗像三女神
・8.綿津見三神
・9.住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)
・10.ミソサザイスクナビコナ
・まとめ
・参考:イワサクやネサクと旧約聖書との類似
まずは湯津石村とイワツツノオの神を追う。

■1.湯津石村(ユツイワムラ)
古事記ではイザナギが十拳(トツカ)の剣で火の神であるカグツチノカミを斬ることで八柱の神が生まれる。

剣の先から飛び散った血が湯津石村(ユツイワムラ、日本書紀では五百箇磐石)に走り就く。
すると
・石析イワサク
・根析(ネサク)
・石筒之男イワツツノオ
が生まれた。

その後、
ミカハヤヒ
・ヒハヤヒ
タケミカヅチ(またの名をタケフツ、あるいはトヨフツ)

そして御刀から滴り落ちた血から
クラオカミ
クラミツハ
が生まれた。

この石筒之男イワツツノオに着目すると、出雲の神原神社と関係がある。

■2.出雲の神原神社
所在は島根県雲南市加茂町

旧社地に「神原神社古墳」の上に存在していたとされる。
形状は方墳。
大きさは29m×25mで高さは5mほどとされる。
「景初三年」の銘を有する三角縁神獣鏡が出土している。

祭神として
大国主神オオクニヌシノミコト)
磐筒男神(イハツツノオ)
磐筒女神(イハツツメ)
が祀られている。

また、磐筒男神経津主神(フツヌシノカミ)の祖とされる。
経津主神千葉県香取市香取神宮の祭神でもある。

なお、大国主神は西暦300年頃の実在の人物。
ヤマトタケルの東征に協力した人物。

(アマテラス)、力スサノオヤマトタケル、経済的繁栄でいうと経済(福の神)的な方にあたると考えられる。
↓はwikipedia経津主神

ja.wikipedia.org

続いて登場人物としてオオクニヌシスクナビコナ、信仰として三輪山大神神社に関わる事項を追う。
■3.三輪山
三輪山(みわやま)奈良県桜井市にある円錐形の山。
高さは467m。
記紀では
・御諸山(みもろやま)
・美和山
・三諸岳(みもろだけ)
と記される。
大物主大神が鎮まる(しずまる)神の山として信仰されている。
山中に岩が点在し、磐座(いわくら)と呼ばれ信仰の対象となっている。
うち頂上から
・頂上付近のものを奥津磐座(おきついわくら)
・半ほどのものが中津磐座(なかついわくら)
・辺津磐座(へついわくら)
とする磐座がある。
古神道の原型と考えられている。
三輪山にもオキツ、ナカツ、ヘツの位置関係がみられる。
↓はwikipedia三輪山
■4.大神神社(おおみわじんじゃ)
神社の後方にある三輪山を神体山とする。
このため本殿を持たない。
主祭神
大物主大神
配祀神を 
大己貴神 (おおなむちのかみ)
少彦名神 (すくなひこなのかみ)
とする。
大己貴神大国主神と考えられている。
過去記事にてオオクニヌシスクナビコナ三輪山の国づくりに関して紹介。
少なくとも神話上では、オオクニヌシ(オオムナヂ)スクナビコナ三輪山周辺を国土開発したことになる。
 
なお、三輪山纏向遺跡(あるいは箸墓古墳)は約3km程度と近い。
古代の都市遺跡ともいえる纏向遺跡では西暦135年~230年ころのものと判定された桃の種が出土。その地方を開発した豪族が神仙思想の影響を受けていたのではないかと考えられる。
↓過去記事ではモモに関するテーマを取り上げた回で纏向遺跡を扱った

続いて住吉三神にも3層構造がみられる。

■5.住吉大社住吉三神
住吉大社の所在は大阪府大阪市住吉区住吉。
熊本の場合は熊本県宇土市

住吉三神神道で信仰される神で3神の総称。
イザナギが「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国のケガレを清める禊(ミソギ)を行った際に生まれた。

古事記では
底筒之男神(そこつつのおのかみ)
中筒之男神(なかつつのおのかみ)
上筒之男神(うわつつのおのかみ)

日本書紀では
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
とされる。

・瀬の深いところで底筒之男神
・瀬の流れの中間で中筒之男神
・水表で上筒之男神

がそれぞれ生まれ出たとされる。
底、中、上(表)の構造がみられる。
また日本書紀では住吉三神とともに
・底津少童命(そこつわたつみのみこと)
・中津少童命(なかつわたつみのみこと)
・表津少童命(うわつわたつみのみこと)
が生まれており、これらは阿曇連(あづみのむらじ)らが祭る神としている。
よって底、中、表は船や海に由来していると考えられる。

さきほどの出雲では「磐筒男神(イハツツノオ)」がみられた。
住吉三神でも「筒男命」がみられる。

なお住吉(すみよし)は元はすみのえ(墨江)である。
この「すみのえ、えすみ」を逆から読むと恵美須=エビスとなる。
つまり、住吉の神=恵比須であったのではないかと考えられる。
↓は住吉大社、由緒

www.sumiyoshitaisha.net

 ↓は過去記事、住吉と墨江の関係性からエビスについて考察した回

shinnihon.hatenablog.com

つづいて、宗像大社について。
三輪山にてオキツ、ナカツ、ヘツの位置関係がみられたが、宗像大社にも同じく沖、中、辺の関係がみられる。

■6.宗像大社(むなかたたいしゃ)
所在は福岡県宗像市

宗像大社は、
沖津宮沖ノ島
中津宮筑前大島
辺津宮宗像市田島)

の三社の総称である。

オキ、ナカ、ヘという位置関係がみえる。

↓は宗像大社、公式ホームページ

munakata-taisha.or.jp

過去、宗像大社関連で次の記事を取り上げた。
沖ノ島シルクロードにおける海洋ルートの要衝であったと考えられ西方由来のモノが残っている
↓は雄略の時代には宗像の神へ神託が行われている
つづいて、宗像大社に関わる宗像三女神について。
 
■7.宗像三女神
アマテラスとスサノオが天眞名井にて誓約を行う。
このとき五男三女神が生まれる。

その生まれた神のうち

多岐津姫命タギツヒメノミコト)
多紀理姫命タキリビメノミコト)
市寸島比売命イチキシマヒメノミコト)

宗像三女神という。

ヒメの名前と宮とが紐づけられている。
古事記日本書紀で異なる。

古事記では
沖津宮多紀理毘売命(たぎりひめ) 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)
中津宮市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名:狭依毘売(さよりびめ)
辺津宮(へつみや)多岐都比売命(たぎつひめ)
とされる。

 
さらに綿津見三神にも底、中、上の位置関係がみられる。
 
■8.綿津見三神
住吉三神との誕生と同じタイミングで、伊邪那岐命が黄泉から帰って禊をした時、綿津見三神が生まれたとされる。

底津綿津見神ソコツワタツミ
中津綿津見神ナカツワタツミ
上津綿津見神ウワツワタツミ

の三神である。

↓和田都見神社に関しては過去記事で紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

住吉の名前のつく皇子に住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)がいる。

■9.住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)
生年不明~仁徳天皇87年とされる人物。

古事記では
・墨江之中津王
・墨江中王
日本書紀では
・住吉仲皇子
・仲皇子
とされる。

住吉仲皇子が仁徳天皇の皇太子である去来穂別皇子(いざほわけのみこ、のちの履中天皇に反旗を翻す。
このとき、阿曇浜子は住吉仲皇子に味方した。
安曇連浜子(あずみのむらじはまこ)に率いられ軍事行動を起こしたのは淡路の能嶋(のしま、または野嶋)の海人とされる。

よって、
・住吉(墨江之中津王)
・阿曇
・淡路
はつながりがあったとみられる。

↓住吉仲皇子が登場した回

shinnihon.hatenablog.com

■10.ミソサザイスクナビコナ
仁徳天皇は「大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)」と呼ばれた。「サザキ」は鳥の名であり現在は「ミソサザイ」と呼ばれている。

過去記事にて取り上げた、「スクナビコナ」の回、記紀スクナビコナにてオオクニヌシのもとへとやってきたとき次のエピソードを取り上げた。

天乃羅摩船(アメノカガミノフネ※)に乗り、小鳥のミソサザイの羽毛を着物にして波の彼方から来訪してくる神があった。

これがスクナビコナであった。

そしてオオクニヌシは国づくりに関して思案していたときのこと。
「自分一人でどのようにしてこの国づくりをしようか。
どのような神と組んで国づくりをしたらよいだろうか」。
そのとき、近づいて来る神がいた。

それは三輪山(みわやま、古事記では三諸山・みもろやま)の上に鎮座する神であった。
参考:302.熊本県宇土市の粟嶋神社とスクナビコナ - シン・ニホンシ (hatenablog.com)

■まとめ
記紀において上、中、下の関係性によって語られている歴史がある

・出雲のオオクニヌシスクナビコナ三輪山の国土開発を行った

三輪山宗像大社でオキツ、ナカツ、ヘツの位置関係による構造がみられる

・出雲の神原神社の祭神の磐筒男神住吉三神の底・中・上の筒之男神に「ツツノオ」の神の名前によるつながりがみられる

スクナビコナミソサザイには関係がある

ミソサザイと大鷦鷯尊(仁徳天皇)には関係がある

・スミヨシは元はエビス、渡来人と考えられる

・スミヨシは沖ノ島の先、朝鮮半島から渡来した集団ではないか

・墨江之中津王は住吉仲皇子であり、名前にナカツが入っている

・住吉仲皇子は履中天皇仁徳天皇の皇太子、去来穂別皇子)と争い敗れた

・住吉仲皇子は阿曇浜子とつながりがあった

・阿曇浜子と淡路の能嶋の海人とは軍事的つながりがあった

■参考:イワサクやネサクと旧約聖書との類似
石析神イワサク
根析神(ネサク)
石筒之男神イワツツノオ
イワサク、ネサクについて。
これらの名前はアブラハムの息子「イサク」などから想起、創作したものではないだろうか。

旧約聖書ではイサクの息子にヤコブエサウの兄弟がいる。
古事記日本書紀ではエウカシ、オトウカシという兄弟の話がある。
また旧約聖書ではヤコブの天使との相撲対決はノミスクネとタイマノケハヤにもみられる。

つまり、旧約聖書なども参考にしながら日本流の神話や史実に織り交ぜていったものと考えられる。

<参考>
三輪山 - Wikipedia
大神神社 - Wikipedia
住吉仲皇子 - Wikipedia