今回は宗像氏を取り上げる。宗像大社、そしてその中津宮(大島)に近い新原・奴山古墳群、そして宗形徳善に由来する宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)や宮地嶽古墳を紹介する。次の流れで紹介していく。
・宗像大社の神宝
・尼子娘(あまこのいらつめ)による天武天皇と宗像大社とのつながり
・宗形徳善(むなかたのとくぜん)
・宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)
・宮地嶽神社の光の道
・津屋崎古墳群
・宮地嶽古墳(みやじだけこふん)
・新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
■宗像大社の神宝
沖ノ島にて発見された神宝は、宗像大社・辺津宮(へつみや)宗像大社神宝館にて所蔵されている。
所在は福岡県宗像市田島。
1955年に沖ノ島の発掘調査が行われていった。
その結果、8万点におよぶ神宝が発見、すべて国宝に指定された。
そして宗像大社神宝館に所蔵された。
↓宗像大社のサイトにて神宝の一部が画像で確認できる
↓は沖ノ島や宗像大社を取り上げ西方(中東)とのつながりを示した回
■尼子娘(あまこのいらつめ)による天武天皇と宗像大社とのつながり
日本書紀の完成は720年。
編纂を命じたのは天武天皇(在位:673年~686年)。
天武天皇は壬申の乱にて大友皇子(弘文天皇)を倒して即位した。
天武天皇の夫人に藤原鎌足の娘の藤原氷上娘(ひかみのいらつめ)や蘇我赤兄の娘である大蕤娘(おおぬのいらつめ)がいる。このほか、尼子娘(あまこのいらつめ)がいる。
天武天皇の第一皇子である高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)の母は尼子娘。
尼子娘は筑紫国宗像郡の豪族の胸形徳善(むなかたのとくぜん)の娘である。
天武天皇の諱は大海人(おおあま)である。
また妻の尼子娘にも「あまこ、海女」が入っている。
このことから海の氏族との関連の深さを窺い知ることができる。
↓胸形君徳善と尼子娘について取り上げた回
■宗形徳善(むなかたのとくぜん)
宗形徳善は福岡県宗像地方の豪族。
娘は天武天皇の妃の尼子娘。
宗像大社の神主であった。
続いてこの宗形氏(のちに宗像と呼ばれるようになるが、初めは宗形であった)とゆかりの深い
・宮地嶽神社
・宮地嶽古墳(みやじだけこふん)
・津屋崎古墳群
を紹介していく。
■宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)
新原・奴山古墳群と近いエリアに宮地嶽神社はある。
三韓征伐の渡韓の際に息長足比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)がこの宮地嶽神社へと立ち寄ったとされる。
祭神として息長足比売命(神功皇后)、勝村大神、勝頼大神の宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)を祀る。勝村大神、勝頼大神は息長足比売の従者とされる。
↓はwikipedia、宮地嶽神社
■宮地嶽神社の光の道
年に二度(2月下旬、10月下旬)に参道から玄界灘方向への直線状に夕日が沈むことが知られる。
↓は宮地嶽神社、光の道を紹介しているページ
■津屋崎古墳群(つやざきこふんぐん)
福岡県福津市津屋崎にある古墳群。
5世紀から7世紀にかけて築造された古墳。
豪族・宗形氏一族の墓に比定されている。
60基が現存している。
形式は前方後円墳が16基、円墳が43基、方墳が1基。
津屋崎古墳群を構成する古墳群は多数ある。
その中に新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群や宮地嶽古墳がある。
以下で宮地嶽古墳、新原・奴山の順で紹介する。
■宮地嶽古墳(みやじだけこふん)
先述した宮地嶽神社の裏側に所在する。
全国第2位の規模の巨大石室(およそ23mほど)を有する。
築造は7世紀前半から中葉頃とされる。
胸肩君徳善(むなかたのきみとくぜん)を被葬者とする説が有力である。
↓wikipedia、宮地嶽古墳
■新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
福岡県福津市にあり津屋崎古墳群を構成する古墳群のひとつである。
5世紀後半~6世紀後半に築造された。
被葬者は宗像氏関係者と推定されている。
↓世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群にて新原・奴山古墳群が紹介されている
1号墳~48号墳までの位置と築造時期が色分けされている
以下にて古墳の番号、形式、大きさ、築造時期を示す。※不明のものを除く
【5世紀前半】
・1号墳:前方後円墳、推定全長50m(方墳部分が消失)、築造は5世紀前半
・7号墳:宗像地方で唯一の方墳、一辺20~24m、築造は5世紀前半、鉄斧が出土
・21号墳:円墳、大きさは直径17m、築造は5世紀前半
・22号墳:前方後円墳、大きさは推定全長80m(方墳部分が消失)、築造は5世紀前半
新原・奴山古墳群の中で最大規模で最古の部類。周溝、周堤がある。
・24号墳:前方後円墳、全長53m、築造は5世紀前半。22号墳と並んで最古の部類。
【5世紀後半】
・20号墳:円墳、築造は5世紀代
・25号墳:円墳、築造は5世紀代
・30号墳:前方後円墳、全長54m、築造は5世紀中頃~後半
・12号墳:前方後円墳、全長43m、築造は5世紀後半
【6世紀代】
・8~11号墳:円墳、築造は6世紀代
・13~19号墳:円墳、築造は6世紀代
・23号墳:円墳、築造は6世紀代
・31~43号墳:円墳、築造は6世紀代
・46~48号墳:円墳、築造は6世紀代
・26~29号墳:円墳、築造は6世紀後半
■まとめ
・宗形徳善(むなかたのとくぜん)が被葬者と比定されれる宮地嶽古墳(みやじだけこふん)の築造は7世紀前半から中葉頃
・天武天皇の在位は(在位:673年~686年)、宗形徳善の娘の尼子娘(あまこのいらつめ)は天武天皇の妃
・新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は5世紀前半~6世紀代にかけて築造された古墳
<参考>
・ご祭神・ご由緒 – 宮地嶽神社
・天武天皇 - Wikipedia
・壬申の乱 - Wikipedia
・高市皇子 - Wikipedia
・福津の歴史 ~手光波切不動古墳の調査成果~ ※形式はPDF
・宗像三女神と信仰の継承 | 知る | 世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
・福津市作成「新原・奴山古墳群パンフレット」
https://www.okinoshima-heritage.jp/know/pdf/Pamphlet_47_file.pdf