今回は北陸、石川県能美市の能美古墳群を紹介。この能美古墳群のエリアにおいても古くから古墳建造がスタートした。そしてその形式は方墳、前方後方墳、前方後円墳、円墳といった主要な古墳形式への変化を追うことのできる地域とされる。下記の流れで紹介していく。
・石川県能美市の能美古墳群
・寺井山6号墓
・末寺山6号墳
・秋常山1号墳
・和田山5号墳
・西山8号墳
・能美市の地名の由来について
■石川県能美市の能美古墳群
能美地域全体に古墳は250 基が分布しているという。
うち能美市内の平野部に点在する5つの古墳群の総称を「能美古墳群」とする。62基がこの古墳群に存在、消失を含めれば80基以上とされる。各古墳群はそれぞれの丘陵名をとって名付けられている。その被葬者は古墳時代に能美地域を治めた歴代の首長や有力者、特別な墓域であったと考えられている。
5つの古墳群とは次のとおりである。
1.寺井山
2.末寺山
3.秋常山
4.和田山
5.西山
築造時期は3世紀半ばから6世紀終わりころまでの約350年間とされる。
その形式は前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳で、方墳、前方後方墳、前方後円墳、円墳へと主要な墳形の変遷を追うことができるという。
規模は最大140mの古墳、秋常山1号墳がある。
埋葬施設は木棺直葬、粘土槨、木造粘土被覆室(横穴式木室)、切石積横穴式石室など。
出土品は
・和田山1 号墳:六鈴鏡
・和田山2号墳:鈴付銅釧
・西山9 号墳:馬鐸・鈴付杏葉
・和田山23 号墳:基壇状に並べられた須恵器高杯群
などがみられる。
以下で5つの古墳群の主要な古墳を紹介していく。
■寺井山6号墓
・形式は弥生時代終末期の区画墓
・築造は3世紀
纏向以前に主に中国地方にて区画墓や四隅突出型古墳などがみられることがある。しかしこの石川において3世紀代に区画墓の建造がみられるというのは特徴的な出来事である。
■末寺山6号墳
・形式は前方後方墳 ※”後方墳”である
・築造は4世紀前半
・大きさは墳長約57m
■秋常山1号墳
・所在は石川県能美市秋常町
・形式は前方後円墳
・築造は4世紀末
・大きさは墳長は約140m
秋常山1号墳は北陸最大級とされる。
↓はgooglemap、秋常山1号墳
↓はwikipedia、秋常山古墳群
■和田山5号墳
・形式は前方後円墳
・築造は5世紀半ば
・大きさは墳長約55m
■西山8号墳
・形式は円墳
・築造は6世紀半ば
・大きさは墳長約20m
■能美市の地名の由来について
能美市の「能美」の名が歴史上初めて現れるのは平安時代前期頃、現在より約1200年前とされる。
現在の能美市周辺地域は当時は越前国江沼郡に所属していた。
しかし823年に越前国から加賀国が分国し、加賀国能美郡という新たな行政単位ができたとされる。
↓能美市、能美市の概要
www.city.nomi.ishikawa.jp■まとめ
・寺井山6号墓は弥生時代終末期の区画墓
・九州や中国、近畿ではない能見地域を確認した
このエリアをみることで、近畿のヤマト王権が徐々に勢力を拡大したというよりも、古墳建造技術をもった勢力が纏向以前に存在していたことがわかる。
<参考>
・北陸の古墳時代をさぐる 能美古墳群 菅原雄一
・石川県HP:寺家遺跡・能美古墳群 | 石川県
・国指定史跡能美古墳群|能美ふるさとミュージアム
・古に眠る能美の首長墓国指定史跡 能美古墳群 ※パンフレットをダウンロードできる
https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1001000000875/files/nomikohungunrihuretto.pdf
・国指定史跡 能美古墳群 秋常山古墳群
https://www.city.nomi.ishikawa.jp/www/contents/1001000000875/files/akitunerihuretto.pdf