和歌山、岩橋千塚古墳群を紹介。「紀氏」にまつわる古墳群とされる。次の流れで紹介していく。
・岩橋千塚古墳群(いわせせんづかこふんぐん)
・天王塚山古墳と横穴式石室
・将軍塚古墳と石棚
・前山A2号墳とT字形石室
・前山A17号墳と衝角付冑
・前山A46号墳と大規模の円墳
・大日山35号墳と両面人物埴輪
・井辺八幡山古墳
・須恵器・皮袋形提瓶(かわぶくろがたへいてい)
・紀弥麻沙(きのみまさ)
■岩橋千塚古墳群(いわせせんづかこふんぐん)
岩橋と書いて「いわせ」と読む。
所在は和歌山県の東部、和歌山市岩橋。
古墳の総数は850基ほどから成るとされる。
築造年代は4世紀末から7世紀。
中でも6世紀後半に多く築造されたとされる。
古墳の形式は前方後円墳、円墳、方墳から構成されている。
形式ごとの数が公表されている文献によれば
・前方後円墳:27基
・方墳:4基
・その他:円墳
とされ、ほとんどが円墳とされる。
和歌山市には紀ノ川が流れる。
和歌山市側を紀ノ川、奈良県側を吉野川と呼ぶ。
岩橋千塚古墳群は紀ノ川の下流域にあたる。
日本書紀によると5、6世紀頃、紀ノ川河口には「紀伊水門(きのみなと)」という
ヤマト王権の外港があったとされる。
大和盆地へ通じるルートの一つとして重要な役割を持っていたと考えられている。
参考:
①:和歌山県立 紀伊風土記の丘:岩橋千塚古墳群の概要
②:岩橋千塚古墳群 - Wikipedia
③:下流は紀の川、上流は吉野川? | ニュース和歌山
④:岩橋千塚古墳群 | 和歌山市の文化財
■天王塚山古墳と横穴式石室
特徴:和歌山県では最大規模
墳丘長:88m
形式:前方後円墳
築造時期:6世紀中葉(推定)
石室:高さ5.9mの横穴式石室があり、全国第2位の大きさとされる。
↓googlemap、天王塚山古墳
maps.app.goo.gl
↓は天王塚山古墳、玄室。石の加工技術が並ではないことがわかる
■将軍塚古墳と石棚
墳丘長:42.5m
形式:前方後円墳
築造時期:6世紀後半(推定)
標高150mほどの、岩橋前山山頂付近にある。
後円部石室が公開されている。
玄室に石棚、石梁を伴っている。
↓はgooglemap、将軍塚古墳
■前山A2号墳とT字形石室
大きさ:直径10m
形式:円墳
築造:6世紀後半
周囲に小型の円墳が7基群集。
埋葬施設は
・岩橋型横穴式石室
・その玄室はT字型をしており「T字形石室」と呼ばれている
↓はgooglemap、前山A2号墳
↓は紀伊風土記の丘、前山A2号墳のページ 石室の様子が画像で確認できる
https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/iwase_tomb/kofun/001%20maeyama_A2/maeyama_A2.htm
■前山A17号墳と衝角付冑
形式:方墳。一辺が約14mとされる。
築造時期:5世紀
埋葬:
・方墳の中央に副室が位置、箱式石棺が配置されていた。また衝角付冑が出土。
・一方、主室からは2本の直刀が出土している。
岩橋千塚古墳群の中では古い年代の古墳にあたるとされる。
↓はgooglemap、前山A17号墳
■前山A46号墳と大規模の円墳
特徴として周辺で最大規模の円墳である。
形式は円墳。
大きさは直径27m、高さ8m。
埋葬は横穴式石室がある。
その大きさは長さ8.5m、高さ3.4m。
↓はgooglemap、前山A46号墳
■大日山35号墳と両面人物埴輪
特徴は岩橋千塚古墳群の西端、標高141mの大日山山頂に築造された古墳で豊富な副葬品がみられる。
形式は前方後円墳。
築造年代は6世紀前半。
埴輪や須恵器が出土。
埴輪は種類が豊富とされる。
なかでも両面人物埴輪、そして翼を広げた鳥形埴輪はめずらしいとされる。
両面人物埴輪は前と後ろで異なる顔をしている。
髪型が美豆良である。
頬の部分に矢羽根が線刻で彫られている。
何を示しているかはわかっていない。
この大日山35号墳や井辺八幡山古墳で双脚輪状文埴輪(そうきゃくりんじょうもんはにわ)もみつかっている。
双脚輪状文埴輪は冠帽として被っている埴輪が見つかり、帽子のようなものであることがわかっている。
↓は和歌山県紀伊風土記の丘、大日山35号墳から出土した双脚輪状文埴輪
形状はサンバイザー、あるいはシャンプーハットのような形、高貴な人が着用していただろうか。
髪型が美豆良をしている男性の人物がかぶっている。
↓は文化遺産オンライン、大日山35号墳の出土品
bunka.nii.ac.jp
↓は東京国立博物館・1089ブログ、大日山35号墳から出土した両面人物埴輪が画像で紹介されている
↓wikipedia、大日山35号墳では石室からの出土品が詳細に記されている。
武具や馬具から武人であり、かつ弓金具や胡籙(やなぐい)などから弓に長けた人物であったと想定される
■井辺八幡山古墳(いんべはちまんやまこふん)
形状は前方後円墳。
大きさは墳丘長70m
築造時期は6世紀前半~中葉。
岩橋千塚古墳群に含まれるが、国の特別史跡には指定されていない。
顔に入墨がみられる「力士埴輪」が出土している。
装飾付器台もユニークな形をしている。
井辺八幡山古墳からも双脚輪状文埴輪がみつかっている。
実は熊本からもみつかっている。別回にて紹介としたい。
↓はgooglemap、井辺八幡山古墳
↓はwikipedia、井辺八幡山古墳 出土品が画像で確認できる
↓は東京新聞Web、井辺八幡山古墳で見つかった双脚輪状文埴輪
■須恵器・皮袋形提瓶(かわぶくろがたへいてい)
古代の水筒が岩橋千塚古墳でみつかっている。
・岩橋千塚古墳
・岡山県・津山市高尾 桑山南4号墳/幅約25.5cm、高さ約33cm
・兵庫県たつの市 山王山古墳/6世紀、口径6.4cm、高さ12.5cm
・愛知県一宮市
などで発見されているようだ。
↓は文化遺産オンライン・兵庫県たつの市 山王山古墳出土の皮袋形提瓶
■紀弥麻沙(きのみまさ)
紀氏と関わる人物に紀弥麻沙がいる。
6世紀中頃の倭系百済人、官位は奈率。
紀臣(紀氏)が韓婦を娶って生まれた子。
百済に留まり、のち奈率となったとされる。
安羅の日本府と新羅が計を通じたと聞いた百済は、弥麻沙を前部奈率鼻利莫古、奈率宣文、中部奈率木刕眯淳らとともに安羅へ遣わしたとされる。
↓は百済で官僚になった倭人たち にて紀弥麻沙を扱った