シン・ニホンシ

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337.和歌山三社参りとイソタケル

和歌山市の三社参りに関連する神社を起点とし古代を紹介していく。そしてイソタケルとはどのような人物の象徴であったか。次の流れで紹介していく。

和歌山市の三社参り
日前神宮國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)
日前神宮國懸神宮の祭神と相殿
・名草郡(なぐさぐん)
・竈山神社(かまやまじんじゃ)
・伊太祁󠄀曽神社(いたきそじんじゃ)
五十猛神(イタケルノミコト、イソタケルノミコト)
伊太祁曽神社1号墳(いたきそじんじゃいちごうふん)

和歌山市の三社参り
日前神宮國懸神宮、竈山神社、伊太祁󠄀曽神社に参詣することを「三社参り」という。

まずは日前神宮國懸神宮について。

日前神宮國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)
所在は和歌山県和歌山市秋月。
岩橋千塚古墳群とは3.2kmほどの距離にある。

神武天皇東征の後、天道根命(あめのみちねのみこと)紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命された。

そして
日像鏡(ひがたのかがみ)
日矛鏡(ひぼこのかがみ)
の二つの神鏡をもって、紀伊國名草郡(なぐさぐん)毛見郷の地に奉祀したのが日前神宮國懸神宮の起源とされる。

日前(ひのくま)は檜隈(ひのくま)と読みが同じである。
古代においてはどのような関係があっただろうか。

檜隈はかつての大和国高市郡(現在の奈良県高市郡明日香村大字檜前、栗原、御園)

そして大和国高市郡・檜隈の北には橿原市が存在する。

和歌山の日前と檜隈との距離は約70km~80kmほど。
紀の川吉野川を上流したのちに北上すれば辿り着く。
↓はgooglemap、日前神宮國懸神宮

maps.app.goo.gl

日前神宮國懸神宮の祭神と相殿

日前神宮

・祭神:日前大神(ひのくまのおおかみ)
・相殿:思兼命(おもいかねのみこと)
    石凝姥命(いしこりどめのみこと)

國懸神宮
・祭神:國懸大神(くにかかすのおおかみ)
・相殿:玉祖命(たまおやのみこと)
    明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
    鈿女命(うづめのみこと)
日前神宮國懸神宮公式サイトの由緒 神宮概略

hinokuma-jingu.com

■名草郡(なぐさぐん)
かつて存在した紀伊国和歌山県の郡。

大化の改新の後、日前神宮國懸神宮の神郡として起こった。

國懸の懸・カカスについて。語源は不明だが、長野県下伊那郡喬木加々須にも加々須の地名が残る。長野も古代氏族が別れていった古い土地である。

つづいて、竈山神社について。

■竈山神社(かまやまじんじゃ)
記紀によれば神武天皇の長兄の彦五瀬命五瀬命が竈山に葬られたという。
彦五瀬命(ひこいつせのみこと)

ウガヤフキアエズ
タマヨリビメ

の二人の間に生まれたとされる長男。
神武天皇の長兄にあたるとされる。

日本書記の神武の始まりは紀伊国を発祥に設定しているふしがある。

このあたりが「いた・きそ」に「キソ」という言葉が入っている由縁なのであろうか。

史実は九州・ヤマトタケルが東征し武力によって平定していった。

当時卑弥呼の時代より前に倭国大乱が発生、諸国が乱立し、豪族が乱立している時代であった。

和歌山にもヤマトタケルが立ち寄っただろう。神武の東征のルートに和歌山も含まれている。

↓はwikipedia、竈山神社

ja.wikipedia.org

最後に、伊太祁󠄀曽神社について。

■伊太祁󠄀曽神社(いたきそじんじゃ)
紀伊国の一宮である。

所在は和歌山県和歌山市伊太祈曽

文献上は続日本紀、702年文武天皇・大宝2年)が初出とされる。

主祭神
五十猛命 (いたけるのみこと)
 別名は大屋毘古神(おおやびこのかみ)

配神:
・左脇殿:大屋都比賣命 (おおやつひめのみこと)
・右脇殿 :都麻津比賣命(つまつひめのみこと)

先述の通りで伊太祁󠄀曽という言葉の中にキソのほか、イソとタキ、そしてイダが存在する興味深い神社名である。

神社の由来では祭神の「五十猛命」の読み方をイタケルと主張するが、本来はイソ・タケルなのではないだろうか。

五十猛神(イタケルノミコト、イソタケルノミコト)

射楯の神とも。

日本書紀にて五十猛が紀伊国に祀られることになった経緯が描かれている。

高天原を追われた素戔嗚尊とその子の五十猛神はともに新羅に降り立った。

しかし、その地を気に入ることはなかった。
そのため、船で出雲国に移動したとする。

島根の大田市には五十猛神社がある。

素戔嗚尊高天原から持ってきた木の種を五十猛神に渡した。

そしてその種を日本中にまくように命じたとされる。

五十猛神には妹がいる。
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
・都麻津姫命(つまつひめのみこと)
である。
伊太祁󠄀曽神社の配神は五十猛神の妹ということになる。

この妹たちとともに九州から順に日本中に種をまき始め国中を青山にしたとされる。
そして最後に木の国紀伊国に定住したことになる。

これより、五十猛神は有功神(いさおしのかみ)と呼ばれるようになる。
そして紀伊国に祀られたとされる。

少なくとも物語上において
・日本を緑化していったのがイソタケルであるということ
・最終的に紀伊国にいる由来

を主張、日本の基礎(国土の農業としての土台)をつくった人びとであるということではないだろうか。
↓はgooglemap、伊太祁󠄀曽神社

maps.app.goo.gl

↓はwikipedia、伊太祁󠄀曽神社

ja.wikipedia.org

伊太祁曽神社1号墳(いたきそじんじゃいちごうふん)

所在は和歌山県和歌山市伊太祈曽

形状は円墳。
大きさは直径16m。

築造は6世紀。

この1号墳のほか、2号墳、3号墳が存在し、ともに円墳である。埋葬施設として両袖式横穴式石室がある。

岩橋千塚古墳群の石室は石室としての完成度のレベルが最高度ではないだろうか。

断片化された石を精緻に積み上げている。

関東の千葉、埼玉、群馬などのものとは石の細かさが異なる。通常の石室は大きな石を積み上げている。
↓はwikipedia伊太祁曽神社1号墳

ja.wikipedia.org

<参考>
日前神宮・國懸神宮 - Wikipedia
竈山神社 - Wikipedia

名草郡 - Wikipedia
檜隈 - Wikipedia
大屋毘古神 - Wikipedia
影媛 - Wikipedia
武内宿禰 - Wikipedia