シン・ニホンシ

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338.馬冑の出土にみる熊本と和歌山と埼玉の関係

今回は「馬冑」が出土した古墳を取り上げる。九州・ヤマト国のヤマトタケルの東征後、その後の熊本との共通点が残されている。次の流れで紹介していく。

・馬冑が出土した3つの古墳
・埼玉古墳・将軍山古墳
和歌山県和歌山市・大谷古墳
・福岡・船原古墳
・まとめ

■馬冑が出土した3つの古墳
現時点では
・埼玉古墳群 将軍山古墳
・大谷古墳 和歌山県和歌山市
・船原古墳 福岡県古賀市

の3ヶ所の古墳しかみられず、馬の武装用のかぶとである「馬冑」の出土はひじょうにめずらしいとされる。

■埼玉古墳群・将軍山古墳

形式は前方後円墳
全長は90m。
建造は6世紀後半。
明治時代、後円部に造られた横穴式石室が発掘された。馬のカブトである馬冑(ばちゅう)、蛇行状鉄器、銅鋺(どうわん)、環頭大刀(かんとうのたち)など多くの副葬品が出土。

なお同じ埼玉古墳群に瓦塚古墳がある。
形式は前方後円墳
全長は73m。
建造は6世紀前半。
美豆良をした男子の埴輪が出土している。
琴を持つ。

↓は埼玉県立さきたま史跡の博物館、馬冑が画像で確認できる

sakitama-muse.spec.ed.jp

蛇行状鉄器は馬に旗をジョイントさせる金具。
↓埼玉県立さきたま史跡の博物館 蛇行状鉄器が画像で確認できる

sakitama-muse.spec.ed.jp

↓さきたま古墳群、瓦塚古墳には美豆良をした男子の埴輪が出土している

sakitama-muse.spec.ed.jp

↓はさきたま古墳群について紹介した回

shinnihon.hatenablog.com

和歌山県和歌山市・大谷古墳

紀伊の大谷古墳からも馬冑が出土している。

紀の川下流にあたる。岩橋千塚古墳群とは紀の川をはさむものの、約10km程度の距離で近い。

古墳の形状は前方後円墳
大きさは墳丘長さ67m。
築造は5世紀末から6世紀はじめ頃とされる。

石棺は九州の阿蘇山凝灰岩(ぎょうかいがん)の組合式。
長さ2.9m、幅約1.6m、高さ約1.6m。
石棺内部は朱で塗られていたとされる。
↓はgooglemap、大谷古墳

maps.app.goo.gl

↓は文化遺産オンライン 紀伊・大谷古墳から出土した馬冑

bunka.nii.ac.jp

↓はワカタケルに関する鉄剣を取り上げた回

shinnihon.hatenablog.com

最後に、福岡における馬冑の出土について。

■福岡・船原古墳
所在は福岡県古賀市谷山。
形式は前方後円墳
全長45m以上と推定されている。
築造は6世紀末から7世紀初めとされる。

盗掘もあるものの、豪華な馬具をはじめとする総数500点以上の出土品が発見されている。

立地としては宗像地域と福岡平野の間にあり、かつ前方後円墳となる。

↓は福岡県古賀市谷山、船原古墳

maps.app.goo.gl

↓は四国新聞社、船原古墳から出土した金銅製馬具に関する記事

www.shikoku-np.co.jp

参考:福岡県古賀市文化財調査報告書 第 68 集 船原古墳Ⅰ
P105~出土した遺物の画像あり
https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/source/bunka/2016%E3%80%8E%E8%88%B9%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E2%85%A0%E3%80%8F.pdf

■まとめ
・馬冑の出土例はめずらしく、次の3つの古墳。
 ・埼玉古墳群 将軍山古墳
 ・大谷古墳 和歌山県和歌山市
 ・船原古墳 福岡県古賀市

・九州阿蘇地域の凝灰岩がわざわざ紀伊・和歌山に運ばれ石棺として用いられている。5世紀末から6世紀はじめにみられる。

また、過去記事では、

・熊本と埼玉においては鉄剣からつながりがある。
 熊本県玉名郡和水町の江田船山、そして埼玉県・さきたま古墳群の稲荷山古墳出土の鉄剣はともにワカタケル、雄略天皇に比定される人物名が刻まれている。

以上から
・熊本と和歌山:石棺に用いられた阿蘇山凝灰岩にみられる
・熊本と埼玉:ワカタケル鉄剣にみられる
・埼玉と和歌山:馬冑にみられる

結論:九州・ヤマトタケルの西暦300年前後の東征ののちの、5世紀末から6世紀においても熊本、福岡、和歌山、埼玉などで馬冑から考古学的にも武人、馬冑による共通性がみられることを確認できた。