シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

398.羨道、玄室、横穴石室の歴史

羨道(えんどう、せんどう)、玄室、横穴石室について取り上げる日本の古代を探る。ヨーロッパの石器時代までさかのぼり、日本では北部九州にて300年代後半からみられる。次の流れで紹介していく。

・羨道(えんどう、せんどう)
・玄室(げんしつ)
・横穴石室(よこあなせきしつ)
・塼室墓(せんしつぼ)
・羨道墳(せんどうふん)
・日本での横穴石室の歴史
・4世紀後半
・5世紀の初頭~前半
・5世紀中葉~後半 / 九州
・5世紀中葉~後半 / 九州より東の地域
・推測:石棺と契約の箱

■羨道(えんどう、せんどう)
古墳の通路部分をさす。
横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部をつなぐ部分。
↓はwikipedia、羨道
ja.wikipedia.org

■玄室(げんしつ)
横穴式石室や横穴墓に埋葬された死者の墓室のこと。
玄室の存在はいつから知られていたのだろうか。

文献上は日本書紀欽明天皇16年2月条にて
「玄室(くらきや)に安みせむとは」
の記述がある。
それ以前に玄室があったことがわかる。
↓はwikipedia、玄室

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■横穴石室(よこあなせきしつ)
玄室と羨道から成る。
つまり遺体を治めた玄室とそれに通じる羨道から構成されたものが横穴石室。

横穴石室は中国の漢代に発達。
中国の前漢(紀元前206年~紀元後8年)の中原で多くつくられたという。
その起源は前漢の中期以降で中国全域に普及した「塼室墓(せんしつぼ)」とされる。

日本では古墳時代の後半で盛んにつくられるようになった。
↓はwikipedia、横穴石室
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■塼室墓(せんしつぼ)
焼き物でつくったレンガのこと。

朝鮮では後漢末~西晋時代の塼室墓が平壌を中心に分布するとされる。
高句麗では石室墓に変わる。

百済武寧王(462年~523年)武寧王陵などの王陵は、中国・南朝の梁(502年~557年)の技術によってつくられているという。
↓はwikipedia、梁(南朝

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この羨道の起源については「羨道墳」が手がかりとなる。

■羨道墳(せんどうふん)
・イギリスの古墳(羨道墳)などヨーロッパ
・インド
などで普遍的に見られる墳丘墓の内部施設であるという。
↓はwikipedia、羨道墳

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ニューグレンジ、ノウス、ドウス、メイズハウについて紹介。

●ニューグレンジ:
アイルランド・ミース県のブルー・ナ・ボーニャ遺跡群にある羨道墳の1つ。
紀元前3100年~紀元前2900年の間に建設されたという。
↓はwikipedia、ニューグレンジ
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●ノウス:
アイルランド島ボイン川の渓谷にあるブルー・ナ・ボーニャの古代遺跡の1つ。
新石器時代の羨道墳。
1つの大きな塚と周囲の17個の小さな墳墓から構成されているという。
↓はwikipedia、ノウス
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●ドウス:
アイルランド島ミース県のボイン渓谷にある羨道墳。
新石器時代とされる。
↓はwikipedia、ドウス

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●メイズハウ
イギリス・スコットランド北東沖、オークニー諸島内のメインランド島にある。
新石器時代のチェンバード・ケアン(埋葬用のモニュメント)および羨道墳。
wikipedia、はメイズハウ

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■日本での横穴石室の歴史

日本にでは
出典:横穴式石室 - Wikipedia によると
次の歴史があるという。

横穴式石室、横穴系墓室は北部九州で4世紀後半から造られた。
そして九州全域に拡がった。
やがて東へ伝わったという。

■4世紀後半
北部九州の福岡市の老司古墳、鍬崎古墳などで造られた。

●老司古墳
 形式は前方後円墳
 築造は5世紀初頭。
 規模は全長76m。
 出土品に三角縁神獣鏡、玉類、剣などがある。
 出典:老司古墳 - Wikipedia

●鍬崎古墳
 形式は前方後円墳
 築造は4世紀末から5世紀初頭。
 大きさは墳長62m。
 出典:福岡市 鋤崎古墳(今宿古墳群)

■5世紀の初頭~前半
丸隈山古墳、横田下古墳にみられるという。

●福岡市西区 / 丸隈山古墳
 形式は前方後円墳
 築造は5世紀前半。
 大きさは墳長85m。
 1629年(寛永6年)に発見されて多くの副葬品、埴輪などが出土。
 貝原益軒の「筑前国風土記」に発掘時の様子が書かれているという。
 出典:福岡市 丸隈山古墳

佐賀県唐津市浜玉町 / 横田下古墳
形式は円墳。
築造は5世紀前半~中頃。
大きさは直径約30m。
玄室内に三箇の石棺がある。
第一石棺:獣帯鏡、方格規矩鏡、勾玉
第二石棺:筒形銅器、鉄鏃、短甲等
第三石棺:土師器
などが検出された。
また、あわせて八体分の人骨が見つかっているという。
出典:文化遺産オンライン・文化遺産データベース、横田下古墳:文化遺産データベース (nii.ac.jp)

■5世紀中葉~後半 / 九州
九州の北部から中部に広がりを見せる。
石人山古墳、江田船山古墳にみられるという。

●福岡県八女郡広川町 / 石人山古墳
形式は前方後円墳
大きさは墳丘の長さ約120m。
築造は5世紀前半代。

八女地方最古の前方後円墳
磐井の祖父の頃の墓ではないかいう。

最古期の装飾古墳としても有名とされ、横穴式石室内の家形石棺外面に重圏文(二重丸の文様)と直弧文などが浮き彫りされているという。
墳丘には一体の武装石人が立っている。
石室入口を背にしているという。

熊本県玉名郡菊水町 / 江田船山古墳
形式は前方後円墳
大きさは全長46m、復元長は61m
築造時期は5世紀後半頃。
↓では文字をテーマとし、江田船山古墳の銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)を紹介。

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↓では江田船山古墳の鉄剣にペガサスが刻まれていることを紹介。

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↓では石人石馬が出土した古墳として江田船山古墳を紹介。

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以上のように石人山古墳、江田船山古墳で特徴的な横穴式石室が流行った。

そして九州北部の各地で石棺式石室などが考え出されたという。
福岡県行橋市の竹並横穴群が知られる。

●竹並横穴群
所在は福岡県行橋(ゆくはし)市竹並。
古墳時代の横穴墓群。

京都(みやこ)平野南部の低い丘陵地帯にある。
竹並遺跡は弥生時代古墳時代の複合遺跡。

うち横穴墓群は横穴墓、未調査のものを含め総数1000基以上の大横穴墓群が存在。
214体の人骨が検出されている。

↓全国遺跡報告総覧、竹並遺跡 にて出土遺物が確認できる。
竹並遺跡 - 全国遺跡報告総覧

横穴墓に関連し、過去、埼玉の吉見百穴を取り上げた。

吉見百穴はワカタケル鉄剣が出土したさきたま古墳群と同じ地域。
吉見百穴の横穴墓の築造時期は6世紀から7世紀代。
なお吉見百穴の丘陵の頂上付近からは富士山が確認できる。
↓にて吉見百穴を紹介

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宮崎県南部から鹿児島県東部では「地下式横穴墓」が墳丘の下につくられているものがある。
古墳時代の中頃から後半(5世紀~6世紀)、南九州の内陸部から宮崎平野部・大隅半島にかけて、数多く造られたという。

地下式横穴墓とは、地面に穴を掘って、その穴の壁から横方向に穴を掘り造った墓である。
↓宮崎県都城市にて、地下式横穴墓について画像付で解説がなされている

www.city.miyakonojo.miyazaki.jp

宮崎県の塚原地下式横穴墓A号などがその例とされる。

●塚原地下式横穴墓
所在は宮崎県東諸県郡国富町木脇塚原。
木脇塚原地下式横穴墓群は標高約40mの塚原台地上に立地。
1968年に調査された3基、
・塚原西ノ免一号
・塚原西ノ免二号
・塚原A号
1990年に発見された2基

が知られている。

九州の地下式の横穴関連にて、過去記事で熊本のトンカラリンを取り上げた。
江田船山古墳のある清原台地にトンカラリンと呼ばれる隧道(トンネル)型の遺構がある。エジプトのピラミッドと同じ工法であるという。
↓では清原古墳群を取り上げた回にてトンカラリンを紹介。

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また、この江田船山古墳の近く(距離は1kmほど)に江田穴観音古墳がある。
諏訪原(すわばる)台地の南端に築かれた円墳。
築造は6世紀後半とされる。
横穴式石室がある。
石材は巨大な阿蘇溶結凝灰岩の切石を使用。
↓は文化遺産オンライン、江田穴観音古墳

bunka.nii.ac.jp

↓では阿蘇から各地への影響を取り上げた回で阿蘇溶結凝灰岩阿蘇ピンク石)を取り上げた。

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■5世紀中葉~後半 / 九州より東の地域
九州より東の地域では横穴石室はどうであったか。

5世紀代の古墳の埋葬施設は縦穴系が一般的という。

しかしさまざまな埋葬法が各地で行われたという。
その中のひとつとして限られた地域で横穴式石室は採用された。

例えば、下記のような古墳がみられる。
岡山市千足古墳、塔塚古墳、藤の森古墳、平岡西方古墳群、陵山古墳

岡山市千足古墳(せんぞくこふん)
所在は岡山県岡山市北区新庄下。
形式は前方後円墳、あるいは帆立貝形古墳か。
大きさは墳頂約81m。
築造は5世紀前半。
造山古墳群を構成する6基の陪塚のうちのひとつ。
後円部に横穴式石室が2つある。
↓は岡山観光WEB、千足古墳

www.okayama-kanko.jp

↓はwikipedia千足古墳

ja.wikipedia.org

大阪府堺市 / 塔塚古墳
所在は大阪府堺市西区浜寺元町。
形状は方墳、3段築成と推定される。
大きさは一辺45m。
築造は5世紀中葉。

埋葬は横穴式石室があり、内部には木棺がみられる。
盗掘されているが、出土遺物には勾玉・短甲・馬具などがみられるという。
↓は堺市、塔塚古墳

www.city.sakai.lg.jp
↓はwikipedia、塔塚古墳
ja.wikipedia.org

藤井寺市 / 藤の森古墳
畿内では最古級の横穴式石室である点で重要視される古墳。
形状は円墳。
大きさは墳丘長22m。
築造は5世紀後半(中ごろとみる見解も)
石室はアイセルシュラホール(藤井寺市藤井寺)敷地内に移築、保存されている。
↓は藤井寺市、藤の森古墳
www.city.fujiidera.lg.jp
↓はwikipedia、藤の森古墳
ja.wikipedia.org

奈良県葛城市 / 平岡西方古墳群
所在は北葛城郡新庄町
横穴式石室があるのは
・寺口忍海D-27号墳
・寺口忍海H-16号墳
である。いずれも方墳、5世紀末~6世紀初頭の築造とされる。
出典:明日香村 https://www.asukamura.jp/files/bunkazai_kiyo_chosya/38.pdf P5より

和歌山県橋本市 / 陵山古墳(みささぎやまこふん)
所在は和歌山県橋本市古佐田。
形状は円墳。
大きさは直径46m。
横穴式石室がある。
築造は5世紀末~6世紀初頭ころ。
墳丘周囲に周濠がある。

明治36年と昭和27年に発掘がなされた。
多くが散逸しているが記録では
・勾玉
・管玉
・ガラス玉
・鉄刀(てっとう)
・鉄剣
・鉄槍(てっそう)
・鉄鏃(てつぞく)
・鉄斧(てっぷ)
・鉄製頚甲(けいこう)
・鉄製小札(こざね)
・須恵器(すえき)
・土師器(はじき)
などが記されているという。
↓は橋本市/ 陵山古墳

www.city.hashimoto.lg.jp

和歌山県和歌山市・岩橋千塚古墳群/大谷22号墳
所在は和歌山県和歌山市岩橋・鳴神。
形状は前方後円墳
大きさは墳丘長68m。
埋葬は両袖式横穴式石室で岩橋型、石棚・石梁付である。
築造は6世紀前半。

花山10号墳は5世紀前半の築造で竪穴式石室。

これが花山6号墳・5世紀末あたりから横穴式石室となる。
花山6号墳について。
造り出しから円筒埴輪・家形埴輪・人物埴輪・鶏形埴輪などが出土している。
↓は和歌山市、花山6号墳

wakayamacity-bunkazai.jp

以降、6世紀から7世紀初頭にかけて同エリアで以下の岩橋型横穴式石室がみられる。
・大谷山22号墳:6世紀前半
・大日山35号墳:6世紀前半
・天王塚古墳:6世紀中葉
・寺内57号墳:6世紀後半
・井辺1号墳:6世紀末から7世紀初頭
↓では岩橋千塚古墳群を取り上げた

shinnihon.hatenablog.com
↓はwikipedia、大谷22号墳

ja.wikipedia.org

奈良県椿井 / 宮山塚古墳 
所在は奈良県生駒郡平群町椿井。
椿井城への入り口がある椿井春日神社に接する。

石室は初期横穴式石室の特徴を備えており、近畿地方で最古級。
築造は5世紀後半~末頃。
形式は円墳。
↓は奈良県歴史文化資源データベース、宮山塚古墳
www.pref.nara.jp

福井県三方上中郡若狭町 / 向山1号墳
所在は福井県三方上中郡若狭町

向山古墳群は向山1号墳(主墳)のほか、円墳7基、方墳1基により向山古墳群を構成される。

向山1号墳はその中のひとつ。
形状は前方後円墳
大きさは墳丘長48.6m。
築造は5世紀中葉。

若狭湾沿岸は有明海沿岸とともに加耶産、百済産の装身具・金銅製品が集中する地域として知られているという。

付近では弥生時代の銅鐸の出土、土壙墓群が検出された向山A遺跡、向山B遺跡があるという。
↓はwikipedia、向山1号墳
ja.wikipedia.org

三重県志摩市 / おじょか古墳
三重県志摩市阿児町志島に志島古墳群(しじまこふんぐん)がある。
うち、おじょか古墳(11号墳)は5世紀中葉、形式は不明、横穴式石室がある。

同エリアで横穴石室が
・上村古墳(10号墳):6世紀後半(7世紀まで追葬あり)、内部に組合式箱式石棺あり
・塚穴古墳(4号墳):7世紀前半、円墳、大きさは直径18m
でみられる。

↓では埴製枕(はにせいまくら)が出土した5つの古墳のうちのひとつ、おじょか古墳を紹介

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出典:wikipedia、志島古墳群:志島古墳群 - Wikipedia

●愛知県西尾市 / 中之郷古墳
所在は愛知県西尾市西幡豆町中野郷。
穴観音とも。
石室内部の石積みに特徴がある。
5世紀後半に北部九州系の横穴式石室を周辺地域に先駆けて導入したものとされ、当該地域では最古級とされる。

形式は帆立貝式古墳、あるいは円墳ではないかとされる。
築造は5世紀後葉。
・人骨
・銅鏡
・刀剣
・鉄鏃
・馬具
などが出土。
西尾市、 中之郷古墳

www.city.nishio.aichi.jp

●愛知県豊川市/穴観音古墳
所在は愛知県豊川市御津町豊沢。
形式は円墳。
築造は6~7世紀頃。
横穴式石室を持つ。
後世、観音様を祀ったため「穴観音」「岩屋観音」とも伝わるという。
↓はgooglemap、愛知県豊川市の穴観音古墳

maps.app.goo.gl

■推測:石棺と契約の箱
石室に納められた石棺について。
実際のところ何をモチーフとしたかは証明しにくいが、おそらくは「契約の箱」と考えられる。

契約の箱は旧約聖書に記されている、十戒が刻まれた石板を収めた箱。
この契約の箱をモチーフとして組合式石棺などがつくられていったと推測する。
このデザインはのち、神社のお神輿にも採用されたと推定される。
「かつぐ」と「デザイン」において類似する。

wikipedia、契約の箱

ja.wikipedia.org

<参考>
羨道 - Wikipedia
横穴式石室 - Wikipedia