前記事に続き、鏡を手掛かりとし古代を探る。卑弥呼が魏に遣使したとされている西暦239年よりも前の青龍三年・235年が紀年された鏡が2つの古墳から出土している。ひとつは京都の大田南5号墳、もうひとつは大阪・安満宮山古墳である。特に今回は大田南5号墳のある丹後半島の土地にまつわる事象について、次の流れで紹介していく。
・大田南5号墳(おおだみなみごごうふん)
・安満宮山古墳(あまみややまこふん)
・函石浜遺物包含地 (はこいしはまいぶつほうがんち)
・網野神社(あみのじんじゃ)
・遠處遺跡製鉄工房跡(えんじょいせきせいてつこうぼうあと)
・ニゴレ古墳
・赤坂今井墳墓(あかさかいまいふんぼ)
・日本海三大古墳
・大宮売神社(おおみやめじんじゃ/おおみやのめじんじゃ)
・籠神社(このじんじゃ)
■大田南5号墳(おおだみなみごごうふん)
所在は京都府京丹後市、弥栄町和田野と峰山町矢田にまたがる。
丹後半島の中央部分にある。
古墳の形式は方墳。
築造年代は4世紀後半。
埋葬形式は組合せ式石棺。
石棺内から鉄刀と鏡が出土している。
鏡の形式は方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)。
鏡には「青龍三年」の文字が記されていた。
紀年のある鏡の中ではのちに示す安満宮山古墳から出土した鏡と共に最古となる。
青龍三年は魏の明帝(曹叡、在位226年~239年)の年号で235年にあたる。
卑弥呼が魏に遣使したとされる239年よりも早い。
鏡には布が付着していた。
その布は絹織物であった。
家蚕糸(かさんし)が使われていたとされる。
家蚕の繭から作られた糸を家蚕糸。
野蚕の繭から作られた糸を野蚕糸(やさんし)という。
↓は京丹後市、大田南5号墳出土方格規矩四神鏡
■安満宮山古墳(あまみややまこふん)
所在は大阪府高槻市安満御所の町。
安満山の中腹、高槻市公園墓地内にある。
安満山古墳群の中のひとつの古墳であったとされる。
安満山古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて造られたと考えられている古墳群。
しかし他の古墳は墓地開発時に破壊されたとされる。
安満宮山古墳の形状は長方形。
大きさは東西18m、南北21mと推定されている。
埋葬施設は割竹形木棺でコウヤマキ製。
副葬品として
・青銅鏡:5面
・鉄製品(鉄刀、鉄斧)
・ガラス小玉:1600個あまり
・苧麻(ちょま、からむし。いらくさ科の多年生植物)布片
などが出土した。
鏡のひとつに魏の年号「青龍三年(235年)」の文字が記されていた紀年鏡があった。大田南5号墳と同じく方格規矩四神鏡である。
古墳の築造年代は青龍三年の紀年鏡の発見、そして初期古墳の出土品の様相から3世紀後半とされている。
↓はgooglemap、安満宮山古墳
前回の紹介内容、および上記により、九州・卑弥呼の遣使以前に
・兵庫や山梨では呉との関係
・大阪や京都では魏との関係
があったのではと推測される。
以降では京都の丹後周辺に関する遺跡、古墳、神社などをみていく。
■函石浜遺物包含地 (はこいしはまいぶつほうがんち)
所在は京都府京丹後市久美浜町湊宮の箱石海岸。
縄文時代から室町時代にかけての遺物のある遺跡。
大小約5,000の古墳、古代遺跡が埋没しているとされる。
出土品の中に以前取り上げた「貸泉」なども発見されている。
↓はWikipedia、函石浜遺物包含地
■網野神社(あみのじんじゃ)
所在は京都府京丹後市網野町網野。
延喜式神名帳にも記され、少なくとも10世紀以前の建立とされる。
4.2kmほど離れた場所に遠處遺跡製鉄工房跡(えんじょいせきせいてつこうぼうあと)が見つかっている。
※のちに示す網野銚子山古墳とは1.2kmほどの距離。
↓はwikipedia、網野神社
■遠處遺跡製鉄工房跡(えんじょいせきせいてつこうぼうあと)
古墳時代~平安時代にかけての各種の遺構、
・須恵器窯跡(すえきかまあと)
・木炭窯跡
・製鉄炉跡
・鍛冶炉跡(かじろあと)
・竪穴住居跡
・掘立柱建物跡
・流路
などが見つかっている。
近くにニゴレ古墳がある。
↓は京丹後市、遠處遺跡製鉄工房跡
www.city.kyotango.lg.jp
■ニゴレ古墳
所在は京都府京丹後市弥栄町鳥取。
形式は不明。
5世紀中葉の築造とされる。
大きさは20m。
墳丘上に甲冑、船、椅子、家などの形象埴輪が発見されている。
埋葬は割竹型木棺。
遺骸が東枕で埋葬されていた。
副葬品として
・頭部:鉄製甲冑
・左側:剣
・足元:鉄鏃束
があったとされる。
↓はgooglemap、ニゴレ古墳
参考:下記、京都府埋蔵文化財調査研究センターの資料(PDF)にて、遠處遺跡郡やニゴレ古墳などが紹介されている。
http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/jyouhou/kyoutofu-J39.pdf
■赤坂今井墳墓(あかさかいまいふんぼ)
所在は京都府京丹後市峰山町赤坂。
弥生時代後期末の墳丘墓。
埋葬施設が複数みつかっている。
・墳頂部の平坦面:6基
・墳丘裾の平坦面:19基
棺の形態は
・船底状木棺:3基(うち墳頂部で2基)
・組合式箱型木棺:6基(うち墳頂部で1基)
・土壙墓:3基
・土器棺:1基
とされる。
↓はwikipedia、赤坂今井墳墓
■日本海三大古墳
下記の3つの古墳を日本海三大古墳と称す。
3つの中では蛭子山1号墳、網野銚子山古墳、神明山古墳の順の築造となる。
・蛭子山1号墳
所在は京都府与謝郡与謝野町字加悦・明石。
与謝野町立古墳公園内にある。
形式は前方後円墳。
大きさは墳丘長145m。
築造は4世紀中頃。
埋葬施設として次の3基がある。
・第1主体:舟形石棺
・第2主体:竪穴式石槨
・第3主体:不明。ただし木棺と推定されている。
↓はwikipedia、蛭子山古墳
・網野銚子山古墳
所在は京都府京丹後市網野町網野。
形式は前方後円墳。
大きさは墳丘長201m。
築造は4世紀末から5世紀初頭の間とされる。
↓はwikipedia、網野銚子山古墳
・神明山古墳(しんめいやまこふん)
所在は京都府京丹後市丹後町宮。
形式は前方後円墳。
大きさは墳丘長190m。
築造は4世紀末から5世紀初頭の間とされる。
↓はwikipedia、神明山古墳
■大宮売神社(おおみやめじんじゃ/おおみやのめじんじゃ)
所在は京都府京丹後市大宮町周枳(すき)。
弥生時代前期以降の遺物が出土している。
特に古墳時代中期の祭祀遺物が多数あり、古代の祭祀場から神社へと発展したとされる。
↓はwikipedia、大宮売神社
■籠神社(このじんじゃ)
所在は京都府宮津氏大垣。天橋立の近く。
元伊勢の一社である。
元伊勢とは三重県伊勢市の伊勢神宮の内宮・皇大神宮と外宮・豊受大神宮が、現在の場所へ移るより前に一時的に祀られた伝承を持つ神社や場所。
籠神社の宮司を海部氏(あまべうじ)が現在まで世襲してきたとされる。
海部氏とは籠神社の社家を歴任した一族。
阿波国海部郡を拠点とした武士とされる。
海部氏は彦火明命(あめのほあかりのみこと)が祖神とされる。
丹波国造の一族で、尾張氏とは同系統とされる。
↓はgooglemap、元伊勢籠神社
↓はwikipedia、籠神社
赤坂今井墳墓(あかさかいまいふんぼ)の歴史をたどると、弥生時代後期末の時点で既に組合式箱型木棺などかなり手の込んだものがある。卑弥呼の遣使よりも前に古くから発達していた土地であったことがかわる。
<参考>
・籠神社 - Wikipedia・海部氏 - Wikipedia
・海部氏系図 - Wikipedia
・大田南5号古墳 - Wikipedia
・元伊勢 - Wikipedia