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284.吉備の旋帯文石と楯築遺跡、双方中円墳

前記事にて博多区の那珂八幡古墳から出土した同じ鋳型の三角縁五神四獣鏡から博多と岡山にネットワークがあったことを紹介した。そこで今回は吉備を取り上げる。次の流れで紹介していく。

・楯築神社の旋帯文石(せんたいもんせき)
・楯築神社(たてつきじんじゃ)
・楯築遺跡(たてつきいせき)
・ほかの地域の双方中円墳
 1.西ノ城古墳
 2.猫塚古墳
 3.櫛山古墳(くしやまこふん)
・吉備姫王墓内の猿石
・造山古墳(つくりやまこふん)
・まとめ

■楯築神社の旋帯文石(せんたいもんせき)
孤帯文石とも。
弥生時代のもの。
楯築神社の御神体とされる。
形状や表面の文様から亀石とも呼ばれる。

石の表面上の全面において特殊な帯状で曲線の文様がある。
また正面に人間の顔のような彫り込みがある。

この文様は弥生時代から古墳時代への移行期に首長の墓に供えられた特殊器台と類似するとされている。
↓は文化遺産オンライン、旋帯文石

bunka.nii.ac.jp

↓は日本遺産ポータルサイト、旋帯文石

japan-heritage.bunka.go.jp

■楯築神社(たてつきじんじゃ)
孤帯文石のある楯築神社とは。
かつて倉敷矢部片岡山に存在していた神社。
楯築神社は楯築遺跡(たてつきいせき)または楯築墳丘墓(たてつきふんきゅうぼ)の墳丘上に存在していた。大正時代の初め頃まで存在していた。
↓はレファレンス協同データベース、楯築神社
楯築神社について知りたい。 | レファレンス協同データベース

■楯築遺跡(たてつきいせき)
所在は岡山県倉敷市矢部。
墳丘墓の形式は双方中円形墳丘墓。
円形の主丘と、その両側に方形の突出部2つが接続する形式。
例えるなら腕時計型。

築造は2世紀後半から3世紀前半とされる。
大きさは墳丘の直径は50m、両端まで含めると72mになる。

弥生墳丘墓としては日本最大級。
壺形土器、特殊器台、特殊壺の破片が墳丘の各所から出土している。
埋葬は木棺の外側を木の板で囲んだ木棺木槨構造。

木棺の底に総重量32kgを越える大量の水銀朱が分厚く敷き詰められていた。
副葬品として
・鉄剣1口
・勾玉
・管玉
・ガラス製の小玉
などの玉類があった。

円丘部の中央付近に円礫(えんれき)が堆積。
またその中に特殊器台などの土器類や旋帯文石と同様の文様をもつ小形の石などが含まれていた。

楯築遺跡では次のような双方中円形墳丘墓であったとされる。
↓は楯築遺跡|弥生時代後期に築かれた吉備王の楯築墳丘墓 | 日本・史跡ナビ より墳丘墓の画像部分shisekinavi.com

https://shisekinavi.com/wp-content/uploads/2023/05/IMG_8529.jpeg

続いて、吉備以外のほかの地域の双方中円墳をみていく。

■ほかの地域の双方中円墳
双方中円墳は独特な形状であるが、吉備以外ではどのような地域で築造されたのだろうか。下記の3つの地域を確認する。

1.西ノ城古墳
所在は九州・福岡のうきは市
3世紀後半とされる。
↓は西日本新聞、西ノ城古墳

www.nishinippon.co.jp

2.猫塚古墳
所在は香川県高松市
築造は4世紀前半。
全長約96m。
盗掘にあって変形している。
出土品は盗掘にあっているが下記は現在、東京国立博物館に所蔵されている。
中央の石室から見つかっているものである。
・鏡5面(中国製が4面、日本製が1面)
・小銅剣20前後
・石釧1
・筒形銅器3
・銅鏃9
・鉄斧1
・鉄剣4
・鉄刀1
・鉄のみ1
・鉄やりがんな1
・鉄鏃4
・土師器2
↓は高松市、猫塚古墳
猫塚古墳|高松市

3.櫛山古墳(くしやまこふん)
所在は奈良県天理市柳本町。
形式は双方中円墳。
ただし前方後円墳とする見解もある。
規模は全長152mまたは155m。
築造は4世紀後半。
埋葬形式は竪穴式石室で長持形石棺。
 ↓はwikipedia、櫛山古墳

ja.wikipedia.org

↓は天理観光ガイド、櫛山古墳
櫛山古墳 | 天理観光ガイド・天理市観光協会

ふたたび吉備に戻る。
猿石、造山古墳を紹介する。

■吉備姫王墓内の猿石
奈良県高市郡明日香村にある吉備姫の王墓。
吉備姫王は不明~643年皇極天皇2年)の人物。
飛鳥時代の日本の皇族(王族)
欽明天皇の皇子にあたる桜井皇子の王女。
茅渟王(ちぬのおおきみ)の妃。
子供に、宝皇女皇極天皇/斉明天皇)、軽王孝徳天皇がいる。
↓では今回取り上げた吉備との関連も考えられる吉備姫王墓内の猿石

shinnihon.hatenablog.com

■造山古墳(つくりやまこふん)
所在は岡山県岡山市北区
形状は前方後円墳、全国第4位の規模。
築造は5世紀前半。
大きさは全長約350m、後円部径約224m。
高さは約27m~32.5m、三段築成。
後円部墳の頂に形象埴輪、墳丘斜面の各段に葺石、円筒埴輪列が存在。
6基の陪塚(ばいづか)があり、榊山古墳(馬形帯鈎が出土)千足古墳(直弧文が彫られた石障を持つ)が有名。
↓は岡山観光WEB、造山古墳

www.okayama-kanko.jp

■まとめ

吉備について
弥生時代に旋帯文石
・楯築遺跡(たてつきいせき)の双方中円墳は2世紀後半から3世紀前半
・5世紀前半に造山古墳(つくりやまこふん)が築造される
・吉備姫王は不明~643年皇極天皇2年)頃の人物、この頃「猿石」が現れる

ほか、過去記事において雄略の時代、吉備の血族の血を求めて婚姻しようとするエピソードを紹介した。

出雲、伊都国、淡路のほか、吉備も独特の世界観を持っていたのだろう。

<参考>
楯築遺跡/文化財保護課/倉敷市
楯築遺跡 - Wikipedia
双方中円墳 - Wikipedia
櫛山古墳 | 天理観光ガイド・天理市観光協会
造山古墳 (岡山市) - Wikipedia