シン・ニホンシ

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217.古代の宮①~神武、綏靖、安寧天皇編~

さきたま古墳群の中の古墳のひとつ、稲荷山古墳から出土した辛亥銘鉄剣(しんがいめいてっけん)よりワカタケル(雄略)は471年頃、シキの宮で朝廷を築いていたという記録が残る。ではシキの宮はどこにあったのだろう。

本シリーズ「古代の宮」では古代の天皇の宮とされる伝説の地を紹介しつつ、物語に登場する宮の場所やそれにまつわる関連情報から古代に対する見識を深めていく。

今回はシリーズの第1回目として神武、綏靖、安寧天皇までを下記の流れで紹介。

・日本の都と遷都の歴史
・古代の天皇の宮に対する理解の必要性
・初代・神武天皇
・宇佐の足一騰宮の3候補
・2代・綏靖天皇
・3代・安寧天皇

■日本の都と遷都の歴史

歴史的な推古天皇の豊浦宮(592年)~桓武天皇平安京(794年)までの遷都の歴史を過去記事でまとめた。なぜたびたび遷都をしているか、その理由を示したもの。
↓過去記事、日本の都と遷都の歴史

shinnihon.hatenablog.com

■古代の天皇の宮に対する理解の必要性
推古天皇より前の古代の天皇(大王)についてはどうだろうか。実在性、年代はさておき、古事記日本書紀といった物語の中にどのような記録が残っているのだろうか。何か見落としている事実はないだろうか。古代の宮という建物、そしてそれにまつわる土地とに着目し、見落としている史実、人物の関係性を調べる。

■初代・神武天皇
古事記」によると日向では高千穂宮にいたとされる。その高千穂宮は伝承が各地に残っているため、特定はできないという。

ただ候補をいくつかあげるとすれば高千穂神社などが考えられている。東征の際、熊本から宮崎方面に出たのだとすれば、この神社付近が考えられる。高千穂神社の所在は宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井。

↓は高千穂観光協会より高千穂神社

takachiho-kanko.info

また、神武は東征中、次のような場所に立ち寄ったとされる。

・宇佐:

 足一騰宮(あしひとつあがりのみや)。「日本書紀」では一柱騰宮とされる。複数こうほがあるため、こののちに紹介する。
 足一騰宮の候補はこのあと紹介。

・筑紫:

 岡田宮。岡田宮の所在は福岡県北九州市八幡西区岡田町。
↓は岡田宮、神道大學チャンネルより

okadagu.jp

・安芸:
 多祁理宮(たけりのみや)。日本書紀では埃宮(えのみや)。多家神社(埃宮)の所在は広島県安芸郡府中町宮の町。
↓は多家神社(埃宮)のHP
多家神社について|多家神社 (埃宮)

・吉備:
 高島宮。候補は複数ある。有力視されている場所は岡山市南区宮浦にある高島およびその高嶋神社。
↓は岡山県神社庁 高島神社

www.okayama-jinjacho.or.jp

神武の即位は「古事記」では「畝火の白檮原宮(うねびのかしはらのみや」、日本書紀では「橿原宮(かしはらのみや)」とされる。この橿原宮は、奈良県橿原市畝傍町の「橿原神宮」と伝承されている。
↓は橿原神宮のサイトより

kashiharajingu.or.jp

一方で「磐余(いわれ)」にいたとも。磐余は大和朝廷時代の政治的要地とされる。奈良盆地桜井市中部から橿原市南東部(池尻)にかけての古代の地名。天香具山の北東の山麓あたりの地域。

■宇佐の足一騰宮の3候補
宇佐の足一騰宮の伝承地は3つを紹介する。
①和尚山(かしょうざん)登山口駐車場 付近の土地ではないか
 大分県宇佐市上拝田にある。
宇佐神宮ではないか
 大分県宇佐市南宇佐にある。
↓はwikipedia宇佐神宮

ja.wikipedia.org

③妻垣神社ではないか
妻垣神社は大分県宇佐市安心院町妻垣にある。
↓は妻垣神社のHP

www.tumagakijinjya.com

■2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)
綏靖天皇の宮は古事記では葛城高岡宮、日本書紀では葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)とされる。所在は奈良県御所市。

この地はどういう場所なのだろうか。葛城襲津彦の子で第16代・仁徳天皇の皇后に「磐之姫」がいる。古事記では「石之日売」とも。この磐之姫の古郷。磐之姫は履中天皇、住吉仲皇子、反正天皇允恭天皇の母とされる。

磐之媛命の陵は宮内庁により「ヒシアゲ古墳」に治定されている。ヒシアゲ古墳は佐紀盾列古墳群に属する古墳。
↓はgoogle map、綏靖天皇の高岡宮跡とされている場所

goo.gl↓は旅マガジンよりヒシアゲ古墳

tabi-mag.jp

■3代・安寧天皇
安寧天皇(あんねいてんのう)は磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)とも。磯(いそ)、玉手(箱)などから海とのつながりが連想される。

この安寧天皇の宮は古事記では片塩浮穴宮、日本書紀では片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)とされる。

その宮の伝説の地をめぐって、次の3候補がある。

奈良県橿原市四条町付近 
奈良県大和高田市三倉堂・片塩町
大阪府柏原市 

「片塩浮孔宮阯」碑が大和高田市の石園座多久虫玉神社(いわぞのにいますたくむしたまじんじゃ)の境内にが建てられている。
↓はwikipedia、石園座多久虫玉神社

ja.wikipedia.org

■感想

・欠史8代の綏靖天皇では葛城氏あるいは佐紀盾列古墳群で勢力をもっていた人物たちの根拠を示した記録とも考えられるだろうか。
<参考>
神武天皇 - Wikipedia
綏靖天皇 - Wikipedia
高島宮 - Wikipedia
高丘宮跡 | 御所市
磐之媛命 - Wikipedia
佐紀盾列古墳群 - Wikipedia
ヒシアゲ古墳 - Wikipedia