古代の天皇の宮とされる伝説の地を紹介していく。これより土地とそれに紐づくエピソードを探していく。
今回はシリーズ第8弾、反正天皇・多遅比瑞歯別天皇を紹介する。次の流れで紹介していく。
・第18代・反正天皇:丹比柴籬宮
・出身地
・反正の由来
・諡号(しごう)
・特徴
・タジヒはイタドリ
・湯沐邑とは
・反正天皇の天皇陵
・考察~瑞歯は三つ又の矛か~
・まとめ
■第18代・反正天皇:丹比柴籬宮
反正天皇は多遅比瑞歯別天皇(たじひのみつはわけのすめらみこと)とも。
在位は406年~410年とされる。
宮は大阪府松原市に丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)を築いたとされる。
そして柴籬神社(しばがきじんじゃ)は反正天皇の都跡(丹比柴籬宮)とされる。
柴籬神社の所在は大阪府松原市上田7丁目。
創建は5世紀後半。第24代・仁賢天皇(にんけんてんのう)の勅命によるものと伝えられている。
この神社の祭神は正殿では反正天皇を、相殿(あいどの、神社の主祭神に対し1柱またはそれ以上の神を合祀)では菅原道真、依羅宿禰(よさみのすくね)が祀られている。
反正天皇は美しい歯並びであったとされ、歯の神様として信仰されている。
↓は柴籬神社の位置
↓はwikipedia、柴籬神社(しばがきじんじゃ)の紹介
■出身地
生まれは淡路宮(あわぢのみや)に生まれたとされる。
※かつての淡路の豪族か
■反正の由来
淡海三船(おうみのみふね)は奈良時代後期の皇族であり貴族であり文人。762年~764年頃、歴代天皇の漢風諡号を撰進した(天皇に奉った)。反正の場合、漢風諡号は反正天皇、和風諡号(あるいは幼少時の名前)は多遅比瑞歯別天皇。住吉仲皇子の誅殺をもとに「正しい状態に返した」ことから反正とされた。
■諡号(しごう)
神武、綏靖など貴人や高徳の人に死後におくる名前。おくりなともいう。漢風諡号は諡号を中国風につけたもの。一方で和風諡号も存在。
■特徴
姿は容姿美麗、綺麗な歯並びであったとされ、このことから「瑞歯別(みつはわけ)」と呼ばれたとされる。
初の兄弟で継承した天皇。履中天皇(大兄去来穂別尊)から反正天皇(多遅比瑞歯別天皇)への兄弟継承となる。倭の五王のうち「兄の讃の死後に珍が王に立った」という関係性から珍とする説も。
※日本書紀において瑞歯別は履中の条でも登場するため、反正天皇自身のページでは文章量が少ない。
■タジヒはイタドリ
新撰姓氏録は嵯峨天皇の命により815年に編纂された古代氏族の名鑑。瑞歯別尊を多治比瑞歯別命とした記録が残る。タジヒとはイタドリ(虎杖)の別名がある。
新撰姓氏録に次の記録が残る。
淡路宮にて瑞歯別尊が誕生した際。
色鳴宿禰(しこめのすくね)が淡路瑞井水で瑞歯別尊を濯いで(すすいで)いた。
虎杖(イタドリ)の花が湯の中に飛び入む。
これより色鳴宿禰は瑞歯別尊を多治比瑞歯別命とする。
そして諸国に丹治部(たじひべ)を定め、瑞歯別尊の湯沐邑(ゆあびのところ、とうもくゆう)とした。そして色鳴は宰相となって丹比部を管理した。
イタドリは東アジア原産。若い芽は矛に似ている。
↓wikipedia、イタドリ
■湯沐邑とは
湯沐邑(とうもくゆう、ゆのむら)は、古代中国と、日本(飛鳥時代から平安時代まで)で、一部の皇族に与えられた領地。国や時代によって実態が異なるとされる。
■反正天皇の天皇陵
百舌鳥古墳群のひとつ、田出井山古墳。墳丘長は148m。宮内庁の治定によれば第18代反正天皇の天皇陵とされる。築造は5世紀中頃とされる。所在は大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町。これを反正天皇の陵とするには疑問視している人も多い。田出井山古墳よりも大きい土師ニサンザイ古墳(墳丘長は290m)が反正天皇の陵墓参考地となっている。
↓wikipedia、田出井山古墳
↓wikipedia、土師ニサンザイ古墳
■考察~瑞歯は三つ又の矛か~
※あくまで自説です
わずか在位5年の天皇を歯の特徴でもって天皇の名前とすることはあるのだろうか。
下記1.~4.の根拠から三つ又の矛だったのではないかと考察する。
1つめ:多遅比瑞歯別(反正)は淡路出身
矛といえば、イザナギとイザナミが国生みの際、天之瓊矛(あめのぬぼこ)を使って日本の国土をかき混ぜ、作り出すシーンがある。そして大八島(おおやしま)を淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬・佐渡島、本州の順に生んでいったと伝えられている。淡路が最初につくられている。
2つめ:日本書紀の履中天皇の条、瑞歯別皇子の活躍時期にも矛
瑞歯別の兄である履中天皇は瑞歯別皇子に命じ住吉仲皇子の誅殺をはかった。このとき、瑞歯別皇子は刺領巾(さしひれ)を使い住吉仲皇子を誅殺したとされる。刺領巾が使った武器が「矛」であることが日本書紀に記されている。
3つめ:海とのつながり
反正天皇の皇夫人は「津野媛(つのひめ)」で、和珥木事の女とされる。この津野媛との子に、香火姫皇女(かいひめのひめみこ、甲斐郎女)、円皇女(つぶらのひめみこ)がいる。また、妃には弟媛(おとひめ、津野媛の妹)がいる。この弟媛との子に財皇女(たからのひめみこ)、高部皇子(たかべのみこ)がいる。香火姫皇女、弟媛は海とのつながりが想定される。
4.タジヒの古名とイタドリは矛の形
虎杖(イタドリ)の若い時の芽は矛に似ている。また上記の通りでイタドリ(虎杖)の古名はタジヒ。
結論:瑞歯は三つ又の矛
瑞歯は3つ刃とも読める。上記の淡路、矛、海とのつながり、イタドリの4点から瑞歯別とは三つ又の矛だったのではないか。
瑞歯別(みつはわけ)は三つ又の矛(みつまたのほこ)、三叉槍(さんさそう)を得意としていたのかもしれない。
三叉槍は海神の象徴。ギリシャ神話のポセイドン、そして息子のトリートーン、あるいはインド神話のシヴァ神の武器として有名。
石上神宮に納められた七枝刀は特殊な6つの枝刃をもつ。それゆえ以前に3本の矛(3つ刃)も当然あったと考えられる。
↓はwikipedia、三叉槍
■まとめ
・反正天皇の宮は丹比柴籬宮、出身地は淡路宮
・瑞歯別(みつはわけ)と呼ばれていた
・タジヒはイタドリのこと
・瑞歯とは3つ刃、三つ又の矛であった可能性
<参考>
・日本書紀(二)岩波文庫
・反正天皇 - Wikipedia
・依網男垂見 - Wikipedia
・新撰姓氏録 - Wikipedia