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303.宮崎の西都原古墳群と都萬神社、南九州地方の大古墳

今回は宮崎県の西都原古墳群を取り上げる。そして西都原古墳群の近くにある都萬神社を取り上げる。あわせて南九州、鹿児島の古墳について、次の流れで紹介していく。

・西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)
・男狭穂塚と女狭穂塚
・男狭穂塚(おさほづか)
・女狭穂塚(めさほづか)
・都萬神社(つまじんじゃ)
・西都原古墳群と南九州地方における古墳建造の流れ
・生目古墳群(宮崎)
・唐仁古墳群(とうじんこふんぐん、鹿児島)
横瀬古墳(鹿児島)
・南九州地方における大古墳のまとめ

■西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)
宮崎県のほぼ中央に位置し、319基ほどの古墳から構成される古墳群。
三宅、童子丸、右松にかけて分布する。

その範囲は東西に2.6km、南北に4.2kmにおよぶ。
築造年代は3世紀末から7世紀にかけてとされる。

古墳の形式とその数は
前方後円墳:31基
・方墳:2基
・円墳:286基
 計:319基
である。
この数には男狭穂塚、女狭穂塚を含む。

西都原古墳群は古墳の立地する大地面や谷地形の区切りなどにより13の小群に分けられている。
↓はYOUTBE MCN宮崎ケーブルテレビ、西都原古墳群の紹介あり 

www.youtube.com

■男狭穂塚と女狭穂塚
1895年明治28年、男狭穂塚、女狭穂塚が当時の宮内庁によって陵墓参考地に治定された。

男狭穂塚、女狭穂塚の順にて紹介していく。

■男狭穂塚(おさほづか)
・墳長は175m
・形式は帆立貝形古墳、帆立貝形で日本最大
・築造は5世紀前半
↓はwikipedia、男狭穂塚

ja.wikipedia.org

■女狭穂塚(めさほづか)
・墳長は180m
・形式は前方後円墳、九州最大の前方後円墳
・築造は5世紀前半
↓はwikipedia、女狭穂塚

ja.wikipedia.org

■都萬神社(つまじんじゃ)
西都原古墳群の近くに都萬神社が存在する。

所在は宮崎県西都市大字妻。
神社の創建の年代は不詳。
祭神は木花開耶姫命である。
「都万」の由来は「妻万」ではないかとする説がある。
「都万」とは「妻」のことで、祭神の木花開耶姫(このはなのさくやひめ)瓊々杵尊(ににぎのみこと)の妻であることを根拠とするもの。

神社の周辺に木花開耶姫瓊々杵尊が新婚生活を送ったという伝承地が残る。
↓はwikipedia、都萬神社

ja.wikipedia.org

■西都原古墳群と南九州地方における古墳建造の流れ
西都原古墳群の中で最古となるのは現状、81号墳とされる。
築造は3世紀後半、纏向型の前方後円墳である。
81号墳、ついで1号墳、227号墳の築造が200年代後半で古い。

4世紀には5~6つの首長墓系列が前方後円墳を並行し築造した。

しかし、大きさでは
・生目古墳群(鹿児島県曽於郡
・唐仁大塚古墳(鹿児島県肝属郡東串良町
には及ばない。

5世紀前半に男狭穂塚、女狭穂塚の古墳が出現すると西都原では前方後円墳の築造が止まる。ただし265号墳が500年頃、そして202号墳が500年代後半ににつくられた。

その後、九州地方で大きな古墳は横瀬古墳がつくられた。
横瀬古墳は
・所在は鹿児島県曽於郡大崎町
・全長は129m
・築造年代は5世紀半ば

である。

以下で南九州の生目古墳群(宮崎)、唐仁古墳群(鹿児島)、横瀬古墳(鹿児島)の順で紹介する。

■生目古墳群(宮崎)
宮崎市跡江地区の丘の上とその周辺にある古墳群。
築造は3世紀後半から5世紀とされる。

形式とその数は
前方後円墳:8基
・円墳:42基
の合計50基。

墳丘の長さが100m以上の前方後円墳が3基ある。

1号墳は前方後円墳、復元長で全長136m。
箸墓古墳と相似形をなし、その大きさは2分の1の縮小版とされる。

3号墳は前方後円墳、全長143mで生目古墳群の中では最大。

22号墳は前方後円墳、全長101m。
↓日本遺産 南国宮崎の古墳景観 のサイト、生目古墳群のパンフレットがダウンロード可能

miyazaki-kofun.jp

■唐仁古墳群(とうじんこふんぐん・鹿児島)
鹿児島県肝属郡東串良町新川西にある古墳群。
形式とその数は
前方後円墳:3基
・円墳:119基
・ほか形式不明のもの:8基
の計130基。

1号墳は唐仁大塚古墳(とうじんおおつかこふん)と呼ばれる。
墳丘長は140m(一説に154m)
鹿児島県で最大規模の古墳である。
↓はwikipedia、唐仁大塚古墳

ja.wikipedia.org

横瀬古墳(鹿児島)
所在は鹿児島県曽於郡大崎町横瀬
形式は前方後円墳で、全長129m。
築造は5世紀半ば。
↓鹿児島県観光サイト かごしまの旅、鹿児島県の横瀬古墳、全長129m、築造は5世紀半ば

www.kagoshima-kankou.com

■南九州地方における大古墳のまとめ
大きな古墳のみを時代・エリア別にまとめると次の通りとなる。

生目(宮崎県)
・生目3号墳:4世紀中葉、前方後円墳、墳丘長137m
・生目1号墳:4世紀前半または4世紀後半、前方後円墳、墳丘長120m以上
・生目22号墳:4世紀後半、前方後円墳、墳丘長100m以上

唐仁(鹿児島県)
・唐仁大塚古墳:4世紀末、墳丘長140m(154m説あり)前方後円墳

西都原(宮崎県)
・男狭穂塚古墳:5世紀前半、帆立貝形古墳、176m
・女狭穂塚古墳:5世紀前半、前方後円墳、176m

横瀬古墳(鹿児島)
横瀬古墳:5世紀中葉、前方後円墳、134m

<参考>
古墳時代の南九州の雄 西都原古墳群 東憲章 新泉社
西都原古墳群 - Wikipedia
宮崎県立西都原考古博物館|西都原古墳群の概要
生目古墳群 - Wikipedia
唐仁古墳群 - Wikipedia
横瀬古墳 - Wikipedia