シン・ニホンシ

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331.宗像大社の秋の神事・みあれ祭~アレとマル~

宗像氏と関りの深い宗像大社の「みあれ祭」を取り上げる。また古代の言葉と考えられる「アレ」や「マル」にまつわる話を取り上げる。そして船に「マル」がつく起源を「安曇磯良丸」にあるのではないかという可能性を提示する。次の流れで紹介していく。

・みあれ祭
・みあれ祭の起源
・阿礼(あれ)とは何か
・関連1:ウヅ
・関連2:稗田阿礼
・関連3:丸とマル
・関連4:安曇磯良丸(あづみのいそらまる)

■みあれ祭
福岡県宗像市の海の神事。
沖津宮(おきつみや)田心姫神(たごりひめ)中津宮(なかつみや)湍津姫神(たぎつひめ)の神輿を乗せた御座船が大島から九州・本土の辺津宮(へつみや)へ移動する。
そして市杵島姫神(いちきしまひめ)が姉たちを迎え入れる。
辺津宮に年に一度、宗像三女神がそろう。

↓はYOTUBE、まつりと 日本の祭り探検プロジェクト、みあれ祭の回

www.youtube.com

■みあれ祭の起源
「正平年中行事」や「宗像大菩薩御縁起」などによれば神宮皇后が三韓遠征の際、軍船が宗像三神の守護を受けて出兵、目的を達成したとされる。
その際の神徳を讃えたことを祭りの起源としている。

正平 (しょうへい)は、1346年から1370年までの期間。
南北朝時代元号のひとつで、南朝で使用された。

「宗像大菩薩御縁起」は中世、鎌倉時代末から南北朝時代の初め頃の成立とされる。

下記①~③にて起源に関するものが紹介されている。
参考①:福岡県・宗像市 みあれ祭りと宗像大社中津宮
https://www.gyokou.or.jp/100sen/pdf/100sen_094.pdf

参考②:下記にて「正平二十三年宗像宮年中行事」が紹介されている
宗像地域の文化財|世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブ

参考③:むなかた電子博物館紀要 第2号 /文献にみる宗像三女神降臨伝承について
https://munahaku.jp/wp-content/themes/munahaku/img/kiyou/vol02/pdf/118-130.pdf

続いて、みあれ祭の「みあれ」や「船」に関して。

■阿礼(あれ)とは何か
神事の途中、御座舟(ござぶね)を数100隻の漁船が取り囲んでぐるぐると回る。

この「みあれ祭」の「阿礼(あれ)」とは神霊が生まれることとされている。
また、「み・あれ」とは。神や貴人がこの世に生まれたり、強い神に生まれ変わったりすることとされる。

■関連①:ウヅ
「みあれ祭」において御座舟をぐるぐると回るという行為は何を示すのだろうか。
女神を漁師たちが守るという守護の儀式でもある。

推測となるが「ウヅ」をつくる儀式の略式ではないかと思う。
「ウヅ」には淡路・鳴門の渦潮うずしおや、京都の太秦(うずまさ)などがウヅが関連する。

中国の歴史においては「大秦」がのちの歴史でローマを示していたことがわかっている。とすれば似た漢字である「太秦」をあて、そして「ウヅマサ」と命名したことにはなんらか理由があるだろう。

古代の中国の陰陽思想を表す「太極図」などは2つの属性が交わり、一つの円をつくる。

また3種の神器のひとつ「勾玉(まがたま)」も2つ重ねると渦を示すような形になる。

勾玉は耳飾り・アクセサリーというだけではなく2つのペアを成すなすことによる働きを意味していたのかもしれない。

以上のように、ウヅには
・神秘的なもの
・生命を育むもの
・「回転運動」を伴う神聖なもの
という、神秘的な意味が込められているのではないだろうか。

■関連②:稗田阿礼
古事記こじき、ふることふみ)の編纂者の一人、稗田阿礼(ひえだのあれ)に「アレ」がみられる。

この「阿礼」は上述の通りで神または貴人を表す意味を持つ。

この稗田阿礼は単に太安万侶とともに古い書物から編纂したのではないとされる。
高次の存在に対し、巫覡のような形で古代の事象について問い合わせを行い、回答を得たこととされる。全文そうであったかは不明だが、過去の書物の記録、当時の知識などとあわせながら作られたものではないだろうか。

■関連③:丸とマル
船の名前に「マル」がつくのはなぜだろうか。
はっきりとはわかっていないとされるがまずは一般説を紹介。

男子の幼名の「マル」は室町時代からとされる。
もともとは「マロ(麻呂)」であったとされる。
人名以外の武器や武具にも丸がつけられることはあった。
これから、愛称説があり、マロからマルへと転じていったと考えられている。
↓ことば研究館、船の名前につく「丸」の由来kotobaken.jp

一方で、安曇磯良(あづみのいそら)がやってきた船から取られたのではないかということを示す。

■関連④:安曇磯良丸(あづみのいそらまる)
海神、神道の神。
阿曇磯良(あづみのいそら)は、阿度部磯良(あとべのいそら)や磯武良(いそたけら)とも。
安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。
中世において神功皇后に「竜宮の珠」を与えたという伝説があるとされる。

↓は和田都見神社と阿曇磯良について取り上げた回

shinnihon.hatenablog.com

太平記」に安曇磯良丸が船であるかのような次の記述がみられる。

三韓出兵の際に神功皇后が諸神を招いたときのこと。
海底に住む阿度部磯良は顔にアワビやカキがついていた。
それを恥じて現れなかった。

そこで住吉神は阿度部磯良の好む舞を奏し、誘い出すことに成功する。
そして阿度部磯良は龍宮から潮を操る「潮盈珠(しおみつたま)」「潮乾珠(しおふるたま)」 を皇后に献上。これにより神宮皇后は三韓出兵に成功したされる。

<参考>
みあれ祭 - Wikipedia
世界遺産への道104 ≪8つの構成資産の世界的な価値≫ - 宗像市
阿曇磯良 - Wikipedia