トヨタマヒメ、タマヨリヒメ、オトタチバナヒメを取り上げる。いずれも実在した海神系の神々である。感想では私見を交えたい。次の流れで紹介していく。
・豊玉姫 / トヨタマヒメ
・トヨタマビメとワタツミ
・玉依姫 / タマヨリヒメ
・五瀬命(ひこいつせのみこと)
・稲氷命(いないのみこと)
・御毛沼命(みけいりぬのみこと)
・宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)
・弟橘媛 / オトタチバナヒメ
・弟橘媛と建忍山垂根
・感想
■豊玉姫 / トヨタマヒメ
海神(ワタツミ)の娘。
海神系である。
実在した人物。
記紀の物語上では竜宮に住むとされる。
高次の世界では竜宮界に存在すると考えられる。
家族関係について。
海神である豊玉彦命(綿津見大神)の娘とされている。
妹がタマヨリヒメ(玉依姫)である。
弟に宇都志日金拆命(穂高見命、阿曇氏の祖)がいる。
ウガヤフキアエズノミコト(鸕鶿草葺不合尊)の母とされる。
鸕鶿草葺不合尊は神武天皇(初代天皇)の父である。
古事記において豊玉姫には次の出産エピソードがある。
豊玉姫は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の出産の際、八尋和邇(ヤヒロワニ、日本書紀の一書では「八尋大熊鰐」)となったとする。
神武天皇は人格としては非実在、史実としてはアメノミナカヌシや主にヤマトタケルの東征の頃の史実の合成によるものとされる。
■トヨタマビメとワタツミ
火遠理命(ホオリノミコト、山幸彦)が綿津見大神(豊玉彦)のもとを訪れたとき、綿津見大神の娘である豊玉毘売(トヨタマビメ)と結婚する。
つまりトヨタマビメの父がトヨタマヒコ(綿津見大神)であった。
そして、トヨタマビメとホオリノミコトとの間には
が生まれる。
このウガヤフキアエズノミコトはトヨタメビメの妹にあたる玉依毘売(タマヨリビメ)に育てられたとされる。そしてやがてそのタマヨリビメと結婚。神武天皇などを生んだとされる。
ただし、神武天皇は人格としては非実在。どこかに創作があるとみてよい。
個人的には別途、"ウガヤフキアエズ"のカヤ、伽耶と同じ響きがある点に着目したい。
↓トヨタマヒメとワダツミの関係は過去記事でも取り上げた
■玉依姫 / タマヨリヒメ
豊玉姫の妹である。
神武天皇(初代天皇)の母。
配偶者は火遠理命(ほおりのみこと、別名は彦火火出見尊)
子どもに次の4人がいる。
・神武天皇(神日本磐余彦尊)
・五瀬命(いつせのみこと)
・稲氷命
・御毛沼命
神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)は神武天皇の和風諱号。
■五瀬命(ひこいつせのみこと)
日本書紀では彦五瀬命。
神武東征に従軍、その際に賊の矢にあたって薨じた。
■稲氷命(いないのみこと)
日本書紀では稲飯命。
書紀では稲飯命は神武東征に従ったとする。
熊野に進んで行く際に暴風に遭った。
そして次のように言ったとされる。
「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言い剣を抜いて海に入った。
そして「鋤持(さいもち)の神」になったとされる。
「鋤(さい)」は農具の一種で、手と足を使って土を掘り起こす。
■御毛沼命(みけいりぬのみこと)
日本書紀では三毛入野命。
御毛沼命は稲氷命と同様に兄弟とともに神武東征に従ったとされる。
古事記では、常世の国に渡ったと記されている。
宮崎県高千穂町では御毛沼命に関する伝承がみられる。
三毛入野命は兄弟たちからはぐれてしまい、高千穂に帰還したとする。
三毛入野命は宮崎県・高千穂神社の祭神。その妻子神とあわせて「十社大明神」とされている。
■宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)
玉依姫の弟であるとする文献(古代豪族系図集覧)がみられる。
穂高見命(ほだかみのみこと)とも言われる。
穂高見命は阿曇氏の祖、信濃国の安曇氏の祖とも考えられている。
名前から金属を加工する職人(神)と考えられている。
一方、古代の地名との一致に着目するとウド、シビがみられる。
・宇都(ウド)
読み方としては「ウト」、そして「ウヅ」が考えられる。
また兄弟神の九州との関連から熊本の「宇土」との関連も想定できるだろうか。
・志日(シビ)
朝鮮の古代王国・百済の首都、泗沘(シビ)がある。
またそのシビには元がある。
中東のシビ(パキスタン南西部,バルチスターン州、クウェッタ県の町)が地名の語源となる可能性もあるように思う。
・拆(さく)
拓くや裂けるを意味する。
日本書紀の別の神、イシコリドメは鏡作り職人の女神。そのつくった鏡として
日像鏡(ひがたのかがみ)、日矛鏡(ひぼこのかがみ)があるとされている。
日像鏡は日前神宮の神体、日矛鏡は國懸神宮の神体とされる。
これに習うとウツシビカナサクは農業用、あるいは古墳建設など土木用の工具の金属加工職人だろうか。
サクから長野県にまつわる神とも考えられている。
佐久市の「佐久」に居住した人びとと関係あるのではという説もみられる。
長野には古来に安曇氏が移民している。
長野、安曇氏については別途紹介していきたい。
■弟橘媛 / オトタチバナヒメ
日本武尊(ヤマトタケル)の妃。
このヤマトタケルの「ヤマト」は九州、熊本付近にあった古代の国を指すと考えられる。
107年頃に後漢に帥升(師升)が朝貢した際にこれに関連して出てくる「倭面土」は九州のヤマトをさすと考えられる。
弟橘媛はヤマトタケルの関東への東征に同行した人物。
ヤマトタケルの九州への帰路の際、走水の海(はしりみずのうみ、現在の浦賀水道)で急きょ暴風に遭う。
弟橘媛は海神の娘だからだろうか。
弟橘媛は自らが犠牲となって海神の怒りを鎮めようと海に身を投じる。
弟橘媛の夫を救いたいという祈りが通じたとされ、やがて波風が治まりヤマトタケルたちを救ったいう。
↓は過去記事、弟橘媛がヤマトタケルを救った回
建忍山垂根の別称は穂積氏忍山宿禰。
穂積臣(穂積氏)の祖とされる。
穂積氏とは神武天皇以前に大和入りをした「饒速日命(ニギハヤヒ)」が祖先とされる氏族である。
穂積氏忍山宿禰の子供には
・弟財郎女(おとたからのいらつめ)
・大橘比売命
・弟橘比売命(オトタチバナヒメ)
がいるとされる。
弟財郎女は古事記では第13代・成務天皇との間に和謌奴気王(ワカヌケノミコ)をもうけたとされる。
ニギハヤヒが史実とすれば、オオクニヌシやスクナビコナなどと同時代の人物だろうか。
そして
・田心姫神(タゴリヒメ)
・湍津姫神(タギツヒメ)
・市杵島姫神(イチキシマヒメ)
が割り当てられている。
しかしタゴリヒメやタギツヒメはいずれも地理と神社は結び付けられるが史実性が薄いように思う。
歴史的、位置的にみれば宗像神社のある福岡県宗像市、そして壱岐島、対馬は朝鮮半島からの渡来ルートである。また由緒ある場所。
対馬にはシゲノダン遺跡などがあり出土している数々のものも興味深いものがある。
もしかすると、古代に活躍した人びとののちの娘たち、トヨタマヒメやタマヨリヒメ、オトタチバナヒメの史実から三女神が建国にかかわり、のちに神格化、その後に宗像三女神として発展していったということは考えられないだろうか。
トヨタマヒメやタマヨリヒメ、オトタチバナヒメにまつわる史実は東征に由来するものが多い。
仮に正しいとすれば、ヒミコ、トヨののちの世、西暦280年~西暦310年前後の女神たちの史実がのちに神話化されていった可能性がある、ということになるのではあるが。
<参考>
・ホオリ - Wikipedia
・稲飯命 - Wikipedia
・御毛沼命 – 國學院大學 古典文化学事業
・三毛入野命 - Wikipedia
・十社大明神 - Wikipedia
・宇都志日金拆命 - Wikipedia
・穂高神社 - Wikipedia
・宇都志日金拆命 - Wikipedia
・建忍山垂根 - Wikipedia
・穂積氏 - Wikipedia