シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

342.西洋の民族大移動と東洋の五胡十六国

日本はアジアの東端にあたる。ゲルマン民族大移動、中国の五胡十六国を理解すれば、当時何が起きていたかがよりわかるようになると考えられる。西洋と東洋の間の国々で何が起きていたか。次の流れで紹介していく。

・西洋の民族大移動
ゲルマン人とは
フン族の西進とローマ帝国への影響
フン族とは
匈奴とは
月氏について
クシャーナ朝
・中国の五胡十六国
・地球の気候変動と小氷河期

■西洋の民族大移動
西洋・ヨーロッパにおいて、西暦300年~700年代にかけて民族の大移動が起こった。
※小移動は以前より起こっていたとされる。気候変動によって大きな変化が起きた時期である。

特に4世紀末から6世紀中ごろゲルマン人の大移動が起こったとされる。

ゲルマン人とは
古代から中世初期にかけての中央ヨーロッパからスカンジナビアにかけて居住した民族集団。

これによりゲルマン系の集団がローマ帝国内に移住、ゲルマン系の集団が諸王国をつくっていった。

フン族の西進とローマ帝国への影響
4世紀末にフン族が西進する。
これによって東ゲルマンの東ゴート、西ゴートを圧迫、南下が起こった。

そして395年にローマ帝国は東西に分裂。

このとき、原因となったフン族はのちの研究によって東アジアにいう匈奴であったとされている。

ヨーロッパの激動の中で、ゴート族によってローマが陥落。
キリスト教に対する非難が広がり、アウグスティヌスが著作「神の国」を著した。
世界の創造以来の歴史を「地の国」と、それを覆うとされる「神の国」として表現した。

431年にはエフェソス公会議が行われた。

キリストも、そしてその母・マリアもともに人間、神の子であった。
父・ヨセフが当時としては高齢であるときのマリアの出産となったため、隠されるようにして、やがてマリアの処女受胎が創作されていったとされる。

アレクサンドリア総主教(総大司教)、キュリロスはキリストの神性を否定した。

一方、ネストリウス派イエス・キリストの「人間性」と「神性」は独立、そして並存しているとした。またマリアは「神の母」という呼ぶより「キリストの母」と呼ぶ方がふさわしいとした。

会議の結果、ネストリウス派は異端であると断定された。
これよりネストリウス派ローマ帝国での布教が認められなくなる。
 

ネストリウス派ローマ帝国の領外、東方へと拡がっていった。
ササン朝ペルシアを経て、中国に伝わった。
中国の唐では
景教と呼ばれた。
仏教と混じり、多くの寺院が建造された。

476年には、西ローマ帝国は滅亡した。

アウグスティヌスやエフェソス公会議を取り上げた回

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フン族とは
フン族遊牧民で4世紀から6世紀にかけて中央アジアコーカサス、東ヨーロッパに住んでいたとされる。

このフン族は紀元前3世紀、中国の北方、隣国であった匈奴族とのつながりが指摘されている。

匈奴とは
紀元前3世紀~紀元1世紀後半まで東部のユーラシア・ステップに住んでいた遊牧民の部族連合体とされる。

紀元前2世紀、匈奴族と敵対していた月氏が西の中央アジアに移住。
すると匈奴モンゴル高原を中心とする東アジアのステップ地帯で勢力を持つ。
そして匈奴は現シベリア、内モンゴル、甘粛、新疆で活動。

その後、中国の王朝との間において和平の時期、戦争の時期、隷属の時期などを繰り返したとされる。

やがて匈奴は漢に敗れ、匈奴の連合体は分裂。
匈奴の多くは漢の国境内に移住させられたとされる。

五胡十六国時代には「五胡」の一つとして中国北部において

前趙
・後夏
などいくつかの王朝を建てたとされる。

月氏について
匈奴族と敵対していた月氏について。
前3世紀の末、冒頓単于(ぼくとつぜんう)率いる匈奴に攻撃されて敗れた。

↓は匈奴冒頓単于(ぼくとつぜんう)

ja.wikipedia.org

その月氏の主力は西方に逃れた。
そして天山山脈の北、イリ地方に移動した。
その際に移動した月氏が大月氏国とされる。

前139年ごろ、漢の武帝匈奴と戦うため同盟を求めて張騫を大月氏国に派遣した。
張騫は前129年ごろには大月氏国に到着した。
しかし同盟は不成立となった。

この大月氏国は倭国卑弥呼よりも早く魏に朝貢していることがわかっている。
卑弥呼が魏に朝貢をした際、親魏倭王の金印を授かったのは239年とされる。
この前に大月氏(だいげっしこく)が魏に朝貢、「親魏大月氏王」を授かっている。

↓は大月氏の魏への朝貢を取り上げた回

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クシャーナ朝
中央アジアから北インドにかけて1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝。

紀元前2世紀匈奴に圧迫されて移動を開始した遊牧民月氏は、中央アジアバクトリアに定着、前述のとおりで「大月氏」と呼ばれた。
この大月氏が五人の翕侯(五翕侯)を置いて分割統治したとされる。
五翕侯とは、
・休密翕侯
・貴霜翕侯
・雙靡翕侯
・肸頓翕侯
・高附翕侯
である。

後漢書」西域伝では1世紀の初頭から半ばにかけて「貴霜翕侯」がクジュラ・カドフィセスのもと、ほかの四翕侯を全て征服、王を号したと記される。
これがクシャーナ朝の成立とされる。
 

↓はwikipediaクシャーナ朝

ja.wikipedia.org

■中国の五胡十六国

中国の西暦304年の漢の興起から北魏による439年の華北統一までを指す時代とされる。
五胡とは以下の5つとされる。
匈奴(きょうど)
鮮卑(せんぴ)
・羯(けつ)
・氐(てい)
・羌(きょう)

「胡」について。
中国ではペルシア人のことを「胡」、あるいは「胡人」と呼んだとされる。

胡という漢字が「古・フル」と「月(ツキ)」から成り立っていることはたいへん興味深い。

■地球の気候変動と小氷河期

この西洋のゲルマン民族大移動や東洋の五胡十六国時期は今からおよそ1600年前。
地球が寒冷化した(0.5℃だが、その影響が極めて大きい)とされる。

太陽と地球の公転の関係。
および地球の地軸の1回転の関係。
太陽から地球に対する光の照射の角度の関係。

それらを変動の要因とする「ミランコビッチサイクル」があることがわかっている。
↓歳差運動と日射量の関係を示した回

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また、下記では文明法則史学、西洋と東洋の文明覇権が800年周期で交代を迎えるという村山節氏が唱えた法則を紹介した。
↓文明法則史学、1600年周期の中で800年間で東洋と西洋の覇権が交代

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↓千賀氏のガイアの法則では地球のバイオリズム、16ビートのリズムを紹介

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さらに、西暦535年~536年、インドネシアエルサルバドルで大規模な噴火が発生。世界は壊滅的な被害を受けたことを示した。538年の百済からの公式的な仏教伝来はこの地球規模の人口減少を受けての、民間を救うための神仏の教えであったと考えられる。

↓クラタカウ、エルサルバドルの火山の大爆発

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■まとめ
小規模の民族の移動は各地で起きていたとが、気候変動の影響を受けた民族の大規模の南下が起こった。

・西洋では西暦300年~700年代にかけて、特にフン族の西進やゲルマン民族の大移動に代表される

・気候変動に伴う民族の大規模な移動に伴い、エフェソス公会議・431年の決定により、ネストリウス派の追放。東方への布教を開始した。

・東洋では中国の五胡十六国時代、西暦304年・漢の興起~北魏・439年の華北統一に代表される

<参考>
匈奴 - Wikipedia
クシャーナ朝 - Wikipedia
五胡十六国時代 - Wikipedia