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265.ヒエロニムスとアウグスティヌス、431年のエフェソス公会議

400年前後の4世紀から5世紀、西洋では何が起こっていただろうか。ヒエロニムス、アウグスティヌス、エフェソス公会議を取り上げる。次の流れで紹介していく。

・ヒエロニムス
アウグスティヌス
・エフェソス公会議
・まとめ

■ヒエロニムス
生没年は347年頃~420年。
キリスト教の聖職者、神学者
ダルマティア、現在のクロアチアアドリア海沿岸地域で生まれた。
ウルガータ」訳聖書のほか、多数の著作や書簡を残した。

修辞学、哲学を勉強するためにローマへと留学。
ギリシア語を習得、古典の研究に没頭した。

373年ごろ重病にかかったのを起因とし、神学の研究を決意。
シリアの砂漠で生活を送りながらヘブライ語を学ぶ。

378年に聖職者に任命されたのち、
382年にはローマ教皇・ダマスス1世に重用された。
ローマでの滞在中、全ての聖書をラテン語へと翻訳するための作業に着手。
旧約聖書ヘブライ語アラム語の原典をたどりラテン語に翻訳した。

ちなみにラテン語とはインド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語である。

ダマスス1世が384年に死去するとローマを離れ聖地エルサレムへ向かう。
ベツレヘムエルサレム、エジプトといった要所を巡る。

ベツレヘム新約聖書イエス・キリストの生誕地。
エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教共通の聖地。
また古代イスラエルユダ王国の首都でありかつてはエルサレム神殿が存在していた。

ベツレヘムに定住してからは執筆や聖書の翻訳を行った。
405年頃「ウルガータ」訳聖書が完成させる。
ウルガータ」はラテン語で「普及した(版)」の意味する。

↓はwikipedia、レオナルドダヴィンチの「荒野の聖ヒエロニムス」

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wikipediaベツレヘム

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wikipediaエルサレム

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アウグスティヌス
生没年は354年~430年。
北アフリカのタガステ(現在、アルジェリアのスーク・アフラース)に生まれる。

ローマ帝国西ローマ帝国時代のカトリック教会の司教。
神学者、哲学者、説教者、ラテン教父の一人でもある。

アウグスティヌスとも呼ばれカトリック教会、聖公会ルーテル教会正教会非カルケドン派における聖人である。

テオドシウス1世古代ローマ帝国の皇帝、在位:379年~395年)キリスト教を国教として公認した頃に活動、キリスト教の信仰の確立に尽力した。

372年に私生児のアデオダトゥス(「神からの贈り物」の意味)が生まれた。

当初はマニ教の「善悪二元論」を信奉していた。
しかしキケロの「ホルテンシウス」やネオプラトニズム(新プラトン主義)といった哲学を学びマニ教から遠ざかった。

383年にローマに向かい、384年にはミラノで弁論術の教師となった。
386年、パウロ書簡を読み、回心した。
そしてミラノで司教のアンブロジウスや母のモニカの影響を受け387年、息子のアデオダトゥスとともにキリスト教徒となった。

410年、ゴート族によってローマが陥落する。
その際、キリスト教に対する非難が起こった。
アウグスティヌスは著作「神の国」を著す。
その内容は世界の創造以来の歴史を「地の国」とそれに覆われ隠されている「神の国」の二つの歴史として叙述する。
426年には完成。
その非難に答えた。
wikipediaアウグスティヌス神の国

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■エフェソス公会議
431年に東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世が開催したキリスト教公会議
開催場所はエフェソス(現・トルコ共和国セルチュク郊外)
その目的はキリストの「人間性」と「神性」に関する論争に決着をつけるためであった。

その論争とは

・キリストの「人間性」と「神性」はその両性が一体であるのか

 それとも

・キリストの「人間性」と「神性」はそのいずれかを有した単性であるのか

などに関するものである。アレクサンドリア総主教(総大司教)、キュリロス は

アリウス主義、キリストの神性を否定した。一方、コンスタンティノポリス大主教、ネストリオス(ネストリウス)、ネストリウス派イエス・キリストの「人間性」と「神性」は独立、そして並存しているとした。またマリアは「神の母」という呼ぶより「キリストの母」と呼ぶ方がふさわしいとした。

会議の結果、ネストリウス派は異端であると断定され、ローマ帝国での布教が認められなくなる。
これより、ネストリウス派ローマ帝国の領外、東方へと拡がっていった。ササン朝ペルシアを経て、中国に伝わった。中国の唐では景教と呼ばれ、仏教と混じり、多くの寺院が建造された。

補足)聞くところによれば、キリストの父ヨセフが当時では高齢にあたる出産であったため、マリアは処女受胎であるとされた。実際は男女の一般的な行為によって生まれた人間であり、のちの人間が神格化を行ったとされる。
またイエス・キリストの青年時代の記述がないが、インドで修行を行っていたとされる。

■まとめ
・405年頃、ヒエロニムス(生没年347年頃~420年)の「ウルガータ」訳聖書が完成
・426年、アウグスティヌス(生没年:354年~430年)神の国」が完成
・431年、エフェソス公会議によってネストリウス派は異端とされる

<参考>
ヒエロニムス - Wikipedia
テオドシウス1世 - Wikipedia

ホルテンシウス (キケロ) - Wikipedia
アレクサンドリアのキュリロス - Wikipedia

・世界の窓 エフェソス/エフェソス公会議