シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

264.新羅の薬師・金波鎮漢紀武の官位「波鎮漢」はローマのバチカンか

新羅とローマの関係性を示してきた。簡単に振り返りを行いつつ、今回は新羅の薬師、「金波鎮漢紀武」を取り上げる。そして官位の「波鎮漢」は「バチカン」でないかということを考察する。次の流れで紹介していく。

正倉院シルクロード
新羅とローマ文化
允恭天皇が遣使を実施、クスシを求める
・金波鎮漢紀武(こみまちにかにきぶ)
・考察~金波鎮漢紀武の名前について~
・微叱己知波珍干岐(みしこちはとりかんき)
バチカン

正倉院シルクロード
正倉院に所蔵されている白瑠璃碗(カットグラス)はササン朝ペルシアなどからシルクロードで運ばれたものの代表例。
↓過去記事で正倉院を扱った回

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新羅とローマ文化
天馬塚古墳から出土した副葬品においてローマングラス、王冠などが出土。ローマ文化の影響を受けていることがわかっている。
誰が新羅にガラス製品などを運んだのだろうか。
主にアラブ商人たちが渡来していたのではないかと考えられる。
↓ローマ文化と新羅の関係を取り扱った回

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允恭天皇紀の時代の記録に残る新羅のクスシ
允恭は新羅に遣使を実施している。
日本書紀では良きクスシを新羅に求めたことがに残る。
允恭天皇が遣使を行った回

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■金波鎮漢紀武(こみまちにかにきぶ)
古事記では日本書記より詳細な情報が残る。
允恭天皇の回では「金波鎮漢紀武」の名前が残る。
金は姓、波鎮漢は官位、紀武は名前とされる。

新羅国王が允恭天皇に貢物として船を81艘送った。
そのときの新羅の大使が金波鎮漢紀武。
金波鎮漢紀武は薬の扱い方をよく知っていた。
これより天皇の病が回復したとされる。

■考察~金波鎮漢紀武の名前について~
允恭の時代、新羅では何が起きていただろうか。
允恭天皇の在位は412年から453年。

この頃の新羅の王は第19代・訥祇麻立干(とつぎ まりつかん、在位:417年~458年)である。
この訥祇麻立干の時代より王号がそれまでの「尼師今」から「麻立干」へと変わった。
何かしら大きな変化があったものと考えられる。
↓は新羅の王号が変わったことを示した回

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「金波鎮漢紀武金」という名前について。
「金」「紀武」は両方とも「キム」と読める。
一方、波鎮漢は「バチカン」と読める。
国史書では波鎮漢は「波珍干」と記されているとされる。

前回記事で扱った「ささん」のように「バチカン」という名前が官位に採用されたのだろうか。

■微叱己知波珍干岐(みしこちはとりかんき)
新羅王の第五代王・波沙寐錦(ハサムキム)は微叱己知波珍干岐を
(第十七代王の奈勿尼師今の子、未斯欣)を倭国に対して人質に出した。
この微叱己知波珍干岐にも「波珍干」の名称が見える。
また未斯欣は「みしきん」「ミサフン」とも。
「ミサ」はキリスト教カトリックにおいて行われる儀式である。

また微叱己知波珍干岐を倭国に人質に出す際に天皇への献上物に次の物がある。

(コガネ)、銀(シロガネ)、彩色(ウルハシキイロ)、および綾(アヤキヌ)、羅(ウスハタ)、縑絹(カトリノキヌ)をもたらし八十艘(ヤソカハラ、船の数が多いこと)の船に載せ官軍に従わせた。
新羅の王は常に八十船(ヤソフネ)の貢物を日本国(ワガミカド)にたてまつった。

 

船を数える際、短い文章の中に2度「八十、ヤソ」を使っている。
また縑絹(カトリノキヌ)はニュアンスが「カトリック」っぽい織物の名前。

ちなみに同じキリスト教でもプロテスタントカトリックは違いがある。
プロテスタントが「牧師」、カトリックが「神父」。

プロテスタントが「日曜礼拝」、カトリックは「ミサ」。
カトリックのスペルはkatholiek、catholique。カソリック

バチカン
バチカン市国の設立は1929年である。
イタリアのローマの中にある世界最小の都市国家
ローマカトリック教会の総本山。
バチカンの歴史は古い。
64年頃に使徒ペテロがバチカンの丘に葬られた。
その後の西暦326年にはローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世バチカンの丘に最初の寺院を建造したとされる。

この頃既に東方に向けて布教活動が始まっていたとしてもおかしくはない。
アラブ商人だけでなく、薬学を備えた宣教者も新羅に来ていたのだろうか。
エスの教えを口頭で聞いた弟子たちの教えも書物化され、初期の伝道が始まったころかもしれない。

なお、薬に関する最も古い記録はメソポタミア、エジプト、中国にみられるとされる。日本でも1万数千年前の縄文人の住居の跡から薬に使ったと考えられる植物が発見されている。
↓は外務省、バチカンについて

www.mofa.go.jp

<参考>
・新版 古事記 現代語訳付き 中村啓信 角川文庫
奈勿尼師今 - Wikipedia
くすりのあゆみ | くすり研究所 | 日本製薬工業協会