シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

352.事代主と綏靖天皇との関係

今回は事代主神(ことしろぬしのかみ)を取り上げる。その事代主神との関係性から綏靖天皇(別称は神渟名川耳尊)を調べる。次の流れで紹介していく。

事代主神
事代主神の子供
媛蹈鞴五十鈴媛命ヒメタタライスズヒメ
媛蹈鞴五十鈴媛命の名前について
・媛蹈鞴五十鈴媛の妹
・揖夜神社(いやじんじゃ、いふやじんじゃ)

事代主神
実在の人物。
ヤマトタケルに国譲りしたオオクニヌシの後頃の時代と思われる人物。

推定で西暦320年~350年くらいが生年となるような人物だろう。

古事記においては
大国主神
神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)
の子供とされている。

日本書紀では
大国主神
・高津姫神タギツヒメ多岐都比売命湍津姫命とも)
との子供とする。

宗像三女神のうちの一人のタギツヒメの子孫も想定される。

先代旧事本紀の中の天神本紀、地祇本紀などでは八重事代主、都味歯八重事代主という表記も見える。

八重はヤハエの隠喩表現、都味歯八重で「罪、ヤハエ」でキリストの隠喩表現と思われる。旧事紀の世界観の中では事代主は出雲かつ、キリスト教関連の人物である。

事代主神の子供
日本書紀では「事代主神」との間に
・三嶋溝橛耳神(みしまのみぞくひみみのかみ、陶津耳)の娘、玉櫛媛(たまくしひめ)との間に子が生まれた。
・その名は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と名付けたとされる。

一方、古事記ではどうか。
大物主神」が
・三嶋湟咋(みしまのみぞくい、陶津耳命の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売との間に比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすずひめ)を生んだとする。

大物主神」自体は古代の「人物」ではなく三輪山の神として描かれている。

このあたりで事代主と大物主との関係性が不明となる。

媛蹈鞴五十鈴媛命ヒメタタライスズヒメ

配偶者に
神武天皇
手研耳命(たぎしみみのみこと)
がいたとされる。

日本書紀によれば手研耳命は神武東征に従ったとされる。
実在なら、手研耳命ヤマトタケルの東征に従った人物だろう。

媛蹈鞴五十鈴媛命の名前について
古事記によれば、はじめは
・富登多多良伊須須岐比売(ホトタタライススキヒメ)
であった。

しかしホトの名前を嫌って
比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)
に改めたとされる。

■媛蹈鞴五十鈴媛の妹
媛蹈鞴五十鈴媛命ヒメタタライスズヒメの妹は五十鈴依媛命(イスズヨリヒメノミコト)

第2代天皇綏靖天皇別称は神渟名川耳尊、かんぬなかわみみのみこと)の配偶者とされる。

神武天皇崩御した際、手研耳命(たぎしみみのみこと)皇位に就く。
このため、
異母弟の
神八井耳命(かんやいみみのみこと)
そして
神渟名川耳尊(のちの綏靖天皇
を殺害しようとしたとされる。

神八井耳命、神渟名川耳は手研耳命の陰謀を知っている。

そこで
・弓部稚彦に弓
・倭鍛部の天津真浦に鏃(やじり)
・矢部に箭(や)
を作らせた。

そして神渟名川耳が手研耳命を射て殺したとされる。

これにより、
・神渟名川耳が皇位に就く
・神八井耳は天皇を助け神祇を掌る
こととなったとされる。

■揖夜神社(いやじんじゃ、いふやじんじゃ)
所在は島根県松江市東出雲町揖屋

島根県美保関町には、事代主に関する言い伝えがある。

事代主は、対岸の揖夜(イヤ、イフヤ)の里の美保津姫のもとへ通っていた。

あるとき鶏が間違って真夜中に鳴いた。
事代主はうろたえ、小船に乗った。
櫂を岸に置き忘れてしまう。
そこで仕方なく手でかいた。
そのとき鰐に手を噛まれたとされる。

これに基づき、事代主が鶏を嫌うという言い伝えがあるとされる。

美保関から中海を渡った対岸に美保津姫を祀った揖夜神社がある。
↓はgooglemap、揖夜神社

maps.app.goo.gl

■まとめ
・事代主は大国主の息子とされる

・三嶋溝橛耳神(みしまのみぞくひみみのかみ)の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)と結婚

・その子供に媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)

媛蹈鞴五十鈴媛命の妹に五十鈴依媛命(イスズヨリヒメノミコト)がいる

・五十鈴依媛の夫は綏靖天皇、別称は神渟名川耳尊

神渟名川耳尊手研耳命(たぎしみみのみこと)を射た人物

手研耳命ヤマトタケルの東征に協力した人物のうちの一人と推定される

※蛇行剣出土の奈良・富雄丸山古墳は4世紀後半(300年代後半)、その手前あたりの頃の史実を象徴させたのが垂靖天皇なのだろう。

<参考>
意宇郡 - Wikipedia
手研耳命 - Wikipedia
神八井耳命 - Wikipedia

綏靖天皇 - Wikipedia
ヒメタタライスズヒメ - Wikipedia

五十鈴依媛命 - Wikipedia