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232.古代の宮⑯~雄略天皇(五):宗像の神への神託と新羅征伐、紀小弓と吉備上道采女大海~

今回はシリーズ第16弾、雄略天皇・5回目を紹介する。宗像の神への神託と凡河内直香賜、新羅への新羅への4大将の派遣、紀小弓と吉備上道采女大海を紹介する。次の流れで紹介していく。
宗像の神への神託と凡河内直香賜(おおしこうちのあたいかたぶ)
新羅への4大将の派遣
紀小弓と吉備上道采女大海(きびのかみつみちのうねめおおしあま)
※雄略即位9年の2月、3月を扱う
日本書紀原文から意訳している箇所があります


■宗像の神への神託と凡河内直香賜(おおしこうちのあたいかたぶ)
即位9年、
雄略は新羅遠征に関する神託を実施するため、凡河内直香賜(おおしこうちのあたいかたぶ)と采女を派遣して胸方神(むなかたのかみ、宗像の神)を祀らせた。その際、香賜は壇所(かむにわ、神域)にて采女と関係を持ってしまった。

胸方神とは宗像三女神。↓は宗像大社より

munakata-taisha.or.jp

雄略はいう。

「神をまつって福(さいわい)を祈ることは 慎まなければならない」

※神事に携わる際に種々のタブーがあるが、性に関するタブーは特に重要であったとされる。

雄略は難波吉師日鷹を遣わし、香賜の誅殺を試みる。

しかし、香賜は逃げる。

つぎに雄略は弓削連豊穂(ゆげのむらじとよほ)を遣わし、三嶋郡(みしまのこおり)の藍原(摂津国島下郡の安威郷、現在の大阪府茨木市大田あたり)にてとらえて、香賜を斬ったとされる。

新羅への4大将の派遣
即位9年の3月、天皇は自ら新羅を討とうとする。

しかし次の神託がくだる。

「行ってはいけない」

雄略は従い、思いとどまる。
そこで紀小弓宿禰(きのおゆみのすくね)、蘇我韓子(そがのからこのすくね)、大伴談連(おおとものかたりのむらじ)、小鹿火宿禰(おかいのすくね)らを派遣する。

雄略はいう。

新羅は西の国にある。
世を重ねて従ってきた。
朝廷にもうでなかったことは無く、貢物を許してきた。
朕(わ、雄略)が天下(あめのした)の王となとると、
新羅はその身を対馬の外におき、その跡を草羅城(匝羅)の表に隠した。
そして高麗の貢物を邪魔し、百済の城を侵略した。
朝廷にもうでなくなり、貢物を納めなくなった。

狼の子のような荒い心がありる。
飽きれば去り、飢えれば来る。
いま4人の卿(まえつきみ)を大将とし、攻め討ち取る。

参考)
・↓はwikipedia紀小弓

ja.wikipedia.org

紀小弓と吉備上道采女大海(きびのかみつみちのうねめおおしあま)
紀小弓(きのおゆみ)は新羅と戦うめに朝鮮へと渡る。
その際、「自分は妻をなくしたばかりで世話をしてくれる人がいない」と心配する。
それを大伴室屋大連を通じて天皇に伝えてもらう。
天皇は悲しみ嘆く。
そして吉備上道采女大海を紀小弓に与えた。

紀小弓らは新羅に入る。
郡(こおり)を奪っていく。

新羅王は㖨の地(とくのところ、㖨国・とくのくに)が奪われたことを知る。
そこで新羅王は退却する。
紀小弓が後を追う。
そして敵将に斬りかかる。
しかし、紀小弓は臣下をすべて亡くす。

その後、紀小弓大伴談連らと合流する。
そして再び戦力を整えた新羅と交える。

この戦いによって大伴談連、紀岡前来目連(きのおかざきのくめのむらじ)が戦死する。
大伴談連の従者、大伴津麻呂(おおとものつまろ)が軍の中に入り主を探していた。
ある者が敵の手に落ちて殺されたと屍を指し示した。

すると大伴津麻呂は次のように言う。

「主 既に死にたり 何をもってか 一人生きていけようか」

大伴津麻呂は再び敵軍の中へと戻る。
そして戦死する。
その後、紀小弓宿禰も病死する。

<参考>
日本書紀(三)岩波文庫
雄略天皇 - Wikipedia
凡河内香賜 - Wikipedia
弓削豊穂 - Wikipedia
蘇我韓子 - Wikipedia
大伴談 - Wikipedia
小鹿火宿禰 - Wikipedia
吉備上道采女大海 - Wikipedia