海老錠が出土している遺跡を取り上げる。次の流れで紹介していく。
・海老錠とは何か
・モンゴルのオラーン・へレム遺跡
・大阪羽曳野市の野々上遺跡
・野中寺(やちゅうじ)について
・千葉県習志野市の谷津貝塚(やつかいづか)
・平城京跡の大溝
・飛鳥宮跡
■海老錠とは何か
門や箱を閉じるための錠の一つ。
名前はエビが反った形に似ているのために名付けられている。
牝金具(めかなぐ)と牡金具(おかなぐ)を組み合わせて使う。
また、開けるための鍵がセットとなる。
出典:羽曳野市、海老錠
■モンゴルのオラーン・へレム遺跡
所在はモンゴル、首都のウランバートルの西方約220㎞。
ボルガン県バヤンノール村のオラーン・ヘレム遺跡。
古墳の名前は「ショロンバンバガル古墳」とされる。
7世紀代の遺跡。
極彩色壁画が発見されている。
出土品の中に青銅製の海老錠がみられる。
↓遺跡の詳細は前記事、オラーン・へレム遺跡を取り上げた回を参照のこと
■大阪羽曳野市の野々上遺跡
野々上遺跡は飛鳥時代から平安時代にかけての集落跡。
野中寺(やちゅうじ)の東側一帯に位置。
その範囲は南北におよそ800m、東西におよそ400m。
この集落跡からの出土遺物に
・掘立柱建物
・土器
・野中寺の瓦
・倭櫃(やまとびつ)
・海老錠
などがみられる。
倭櫃(やまとびつ)や海老錠は7世紀のものとされる。
↓は曳野市、倭櫃
↓は羽曳野市・野々上遺跡
■野中寺(やちゅうじ)について
所在は大阪府羽曳野市野々上。
聖徳太子が蘇我馬子の助力を得て建立したと伝わる寺。
弥勒菩薩の寺として知られ、30.9cmの小さな像がある。
台座の周囲に銘文があり、丙寅の666年に造られたという。
西暦650年の瓦も出土しているという。
倭櫃、海老錠の形が奈良・正倉院のものと類似。
また土製の面が2面みつかっているという。
野中寺が渡来系氏族の氏寺であったことが関連するという。
具体的には、野中寺は船氏の氏寺とされる。
↓は野中寺(やちゅうじ)
↓はwikipedia、野中寺
■千葉県習志野市の谷津貝塚(やつかいづか)
千葉県習志野市の北西部に位置。
旧石器時代、古墳、奈良、平安、中世・近世にわたる複合遺跡。
その中心は奈良時代、平安時代。
7世紀末に開発され、最盛期は9世紀前半、10世紀前半まで継続したという。
出土した金属製品の中に
・鈴
・帯金具
・焼印
・海老錠
・握り鋏
と海老錠がみられる。
また焼印の出土も特徴的である。
焼印は牛馬に印をつけるための道具であるという。
↓は文化遺産オンライン、谷津貝塚出土金属製品の中に海老錠がみられる
海老錠は
海老錠と鍵 ―奈良・平安時代のセキュリティ―/習志野市ホームページ
によれば、X-22c地点の竪穴建物跡(9世紀後葉〜)から出土したとされる。
■平城京跡の大溝
平城京跡、SD2700地点の大溝から海老錠が出土しているという。
錠の本体と鍵がセットでみつかっている(野々上遺跡のものは鍵が発見されていない)。
710年、藤原京から平城京へと遷都された。
のちの西暦784年、長岡京に遷都された。
↓なぶんけん、平城宮跡・平城京跡の調査の資料にて南北大溝SD2700地点の記載がある(海老錠の記述はない)https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/3096/1/AN00181387_1983_19_33.pdf
※本テーマからはずれるが、当史料にて平城京跡から出土の木簡に書かれていた文字がまとめられている
■飛鳥宮跡
飛鳥京跡から海老錠が出土している。
7世紀後半のものとされる。
状態が良く、漆や線刻も残っているとされる。
飛鳥宮跡は乙巳の変(大化改新)のはじまりの舞台となった場所。
調査によって
・飛鳥板蓋宮:皇極天皇(在位642年~645年)
・飛鳥岡本宮:舒明天皇(在位629年~641年)
・飛鳥浄御原宮:天武・持統両天皇
など複数の宮が断続的に置かれたことが判明しているという。
ほか、海老錠は平城宮工房内、千葉県市川市の大宮越遺跡からもみつかっているという。
■まとめ
海老錠が出土している遺跡を調べた。
モンゴルのオラーン・へレム遺跡:7世紀
大阪羽曳野市の野々上遺跡:7世紀
千葉県習志野市の谷津貝塚:7世紀末に開発が行われている
平城京跡の大溝:平城京は710年~784年の間の京
飛鳥宮跡:7世紀後半
ほか、平城宮工房内、千葉県市川市の大宮越遺跡にみられるという。
海老錠はおおよそ7世紀~8世紀の鍵という技術であっただろうか。
大阪羽曳野市の野々上遺跡一帯は渡来系氏族の船氏と関連があるようだ。