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385.ベヒストゥン碑文からわかるサカ・スキタイでみる西方から中央アジアへの流れ

日本人の歴史の盲点である東洋と西洋以外の中央アジアを取り上げる。今回はサカ、スキタイをテーマとし主にベヒストゥン碑文を取り上げる。これによりアレクサンドロス大王の東方遠征などとつながることで、イラン系の民族やギリシャ人の中央アジアへの流れを示す。次の流れで紹介していく。

・ベヒストゥン碑文
・エレファンティネ島出土のパピルス文書群
ヘロドトスのサカに関する記述
カザフスタンのイッシク古墳とサカ
クリミア半島のクルオバ古墳とスキタイ
アレクサンドロス大王の東方遠征とサカ

■ベヒストゥン碑文

ベヒストゥン碑文とは巨大な磨崖碑。
所在はイラン西部のケルマーンシャー州にある。

その内容は
アケメネス朝の王ダレイオス1世(在位:紀元前522年~紀元前486年)の
・出自
・支配する領域
アウラマズダー神から委ねられた王位
・反乱の鎮圧
などに関する文章、レリーフが刻まれている。

このベヒストゥン碑文において中央アジアにサカ(Saka) 、イラン系遊牧民族が存在していたことが示されている。

紀元前6世紀、アケメネス朝は古代オリエントを統一、大帝国を築く。
そしてさらに東へ遠征。
中央アジアの草原でサカという遊牧騎馬民族接触した。

↓はwikipedia、ベヒストゥン碑文

ja.wikipedia.org

■エレファンティネ島出土のパピルス文書群

ベヒストゥン碑文と同じ内容が記されたものがエジプトのエレファンティネ島出土のパピルス文書群から発見されているという。
エレファンティネ・パピルスは、エジプトのエレファンティネ島およびアスワンの国境地帯の要塞から発見された175種の文書。

↓はエレファンネ・パピルス

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ヘロドトスのサカに関する記述

サカ(Saka) イラン系遊牧民族
中央アジアにおいて紀元前6世紀頃から現れたとされる。
・ペルシア語ではサカ
古代ギリシアではサカイ (Sakai)

と呼ばれたという。

ギリシャの歴史家・ヘロドトス(紀元前484年頃~紀元前425年頃)がこのサカに対する記述を残しているという。

それによれば

ヘロドトスはサカをサカイと呼んだこと

・サカイ(スキタイ)の特徴は
 - キュルパシアという先が尖ってピンと立った帽子を頭にかぶっている
 - ズボンをはいている
 - 自国産の弓、短剣、サガリスという双頭の戦斧を携えていた

ペルシア人はサカをサカイと呼んでいた。その理由は、全てのスキタイにサカイという名前を与えていたことによる。
ということなどが示されているとされる。

つまり、サカとサカイは同じ、スキタイにサカイと名付けていた時代がある。

↓はwikipediaイラン系遊牧民族のサカのテーマ内でベストゥン碑文が紹介されている

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カザフスタンのイッシク古墳とサカ

カザフスタン国立中央博物館はアルマトイ(旧首都)の市街地にある。
その展示物に「黄金人間(ただしレプリカ)」がある。

イッシク古墳はカザフスタンの南部の大都市アルマトイの東50キロにある。

そのイッシク古墳から遺体が出土。
その若者が身に着けていた衣装であるという。
4000枚以上の黄金のピースで飾られた黄金の衣装とされる。

紀元前4~前3世紀頃のサカ族の王子ではないかとされる。

↓はwikipedia、サカ に記載のイッシク古墳出土の「黄金人間」のレプリカ

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クリミア半島のクルオバ古墳とスキタイ
クリミア半島、ケルチ市近郊にあるとされるクルオバ古墳から出土の壺に「尖り帽子」が描かれているという。

また、動物文様もスキタイと同じ、鹿や鳥をモチーフとしたものであるという。

尖り帽子はスキタイが勢力を拡大していた時代において中央アジアから南ロシアにかけて広く着用されていたと考えられている。

なお、クルオバ古墳からはギリシャに関わりをもつ多数の副葬品が見つかっている。うち、耳飾りは前4世紀のものとされる。

↓はwikipedia、スキタイ

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↓はwikipedia、ケルチ

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アレクサンドロス大王の東方遠征とサカ

アレクサンドロスは紀元前334年から紀元前331年に東方へ進軍。
中央アジア支配下に置き、ヤクサルテス川を挟んでサカ人と対峙。
そしてサカ人はアレクサンドロスおよびその後継勢力と一進一退を繰り返した。

紀元前3世紀半には、
西方では同じ遊牧民であるパルティア(古代イランの王朝、古代中国でいう安息)に服属し始める。なお、東方ではトガリ(トハラ人、グレコバクトリアを滅ぼした遊牧民が勢力を拡大し、ソグディアナを占領して南のグレコバクトリア王国を脅かしたという。

■まとめ

・ベヒストゥン碑文の内容であるアケメネス朝の王ダレイオス1世の在位は紀元前522年~紀元前486年

・サカ、イラン系遊牧民中央アジアにおいて紀元前6世紀頃から現れた

カザフスタンのイッシク古墳から出土の黄金人間は、紀元前4~前3世紀頃のサカ族の王子ではないか

クリミア半島、ケルチ市のクルオバ古墳にサカ、スキタイとみられる尖り帽子、ほかギリシャ人の影響とみられる副葬品、耳飾りは前4世紀

アレクサンドロスは紀元前334年から紀元前331年に東方へ進軍、サカ人とも交戦した

<参考>
ベヒストゥン碑文 - Wikipedia
ヘロドトス - Wikipedia
サカ - Wikipedia