シン・ニホンシ

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386.サカ・スキタイとパジリク古墳群

前記事にてサカ(Saka)、中央アジアイラン系遊牧民族を取り上げた。サカはサカイ、あるいはスキタイとも呼ばれる(北方草原民族の全部または一部など諸説あり)ことを示した。今回はスキタイの古墳群を紹介。次の流れで紹介していく。

※本記事ではサカ(サカイ)とスキタイは出典先の記述に従う

・スキタイ
・パジリク古墳群
・スキタイ型のクルガンとは
・サカとペルシア戦争
・スキタイの古墳文化

■スキタイ

古代東イランの騎馬遊牧民

言語的にはスキタイ人はインド・イラン語派、「アーリア人」とされる。

ギリシャの歴史家・ヘロドトスがサカ、サカイ(スキタイ)について言及がある。
先のとがった帽子をかぶっていたとされる。
このスキタイに古墳の文化がみられる。

スキタイ人は、ギリシャペルシャ、インド、中国を結ぶシルクロードで重要な役割を果たしたとされる。

↓はサカ、スキタイを取り上げた回

shinnihon.hatenablog.com

↓はwikipedia、スキタイ

ja.wikipedia.org

■パジリク古墳群

パジリク遺跡とも。
所在はロシア連邦アルタイ共和国の標高1600mのパジリク河岸にある。
カザフスタン、中国、モンゴルの国境に近い地域にある。

モンゴル西部でも同様の埋葬地が多数発見されているという。

墳墓(クルガン)群。
スキタイの鉄器時代の墓とされる。

古墳群は
・大型円墳:5基
・小型円墳9基
から構成される。

パジリク古墳群は紀元前3世紀前半頃のものとされる。

大型墳について。
直径は24~47m、高さは2m~4m。
積石塚がある。
その地下に長方形の墓壙が彫られている。
内部に墓室がある。

墓室の素材はカラマツ材。
木棺、副葬品が納められている。

出土品に
・馬具を着けた去勢された馬が7~14頭葬られていた
・大型墳のうち1基から馬車が出土

また遺物に下記を材料とした衣服、生活用具、装身具などがみられたという。
・土器
・金属製品
・木
・織物
・皮革

出典①:はgooglemap、ロシア・パジリク遺跡

maps.app.goo.gl

出典②:wikipedia、Pazyryk burials

en.wikipedia.org

出典③:wikipedia、パジリク古墳群

ja.wikipedia.org

■スキタイ型のクルガンとは

古墳の一種。
特徴として人間の遺体1体、副葬品、武器、馬が納められている。

最も古いクルガンはコーカサス地方の紀元前4千年紀に遡るという。

↓はwikipedia、クルガン

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■サカとペルシア戦争
サカはペルシアのアケメネス朝(紀元前550年~紀元前330年)の支配を受け、ペルシア戦争に参加したとされる。
ペルシア戦争は紀元前492年から紀元前449年の間の3度にわたるアケメネス朝ペルシア帝国の遠征軍とギリシアの諸都市の連合軍の間に行われた戦争。

なお、アケメネス朝は紀元前330年、マケドニアアレクサンドロス大王の遠征軍によって滅ぼされた。

↓はwikipediaペルシア戦争

ja.wikipedia.org

↓はwikipedia、ペルシアのアケメネス朝

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ja.wikipedia.org

■スキタイの古墳文化

スキタイ文化の分布は西はウクライナから東は中央アジアまで及ぶという。
その根拠の一つが古墳であるという。

wikipediaでは、前期スキタイ時代と後期スキタイにわけて、有名な古墳が示されている。本記事では特に国による位置関係を主に示す。
出典:スキタイ - Wikipedia より

前期スキタイ時代
・アルジャン古墳群トゥヴァ共和国:全2基
・アルジャン1号墳:紀元前9世紀末~紀元前8世紀初
・アルジャン2号墳:紀元前7世紀末

トゥヴァ共和国はアジアの中央部に位置し、ロシア連邦を構成する共和国の1つ。

↓はwikipediaトゥヴァ共和国

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・チリクタ古墳群カザフスタン:全51基
・チリクタ5号墳(黄金古墳):紀元前7世紀
・ベスシャトゥル古墳群カザフスタン:全14基

カザフスタン中央アジアに位置する共和制国家。
多数の国と国境が接している。
西と北:ロシア
東:中国
南:キルギスウズベキスタントルクメニスタン
と国境を接している。

↓はwikipediaカザフスタン

ja.wikipedia.org

・クラースノエ・ズナーミャ古墳群(北カフカス
ケレルメス古墳群(北カフカス
・ウルスキー・アウル古墳群(北カフカス

カフカスコーカサス地方のうちコーカサス山脈(大コーカサス山脈)よりも北に広がる部分とされる。

黒海カスピ海に挟まれた地方。

↓はwikipedia北コーカサス(北カフカス

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後期スキタイ時代
・チョルトムリク古墳ウクライナ:紀元前4世紀後半

ウクライナは東ヨーロッパに位置する共和制国家。
東:ロシア連邦
北:ベラルーシ
西:ポーランドスロバキアハンガリー
西南:ルーマニアモルドバ
と国境を接する。
↓はwikipediaウクライナ

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・トゥエクタ古墳群アルタイ共和国
・パジリク古墳群アルタイ共和国:紀元前5世紀末~紀元前4世紀

アジアの中央に位置するロシア連邦内の自治共和国
アルタイ共和国にはパジリク古墳群のほか、アク・アラハなどのクルガン(古墳)がみられるという。

※隣接するロシアのアルタイ地方とは異なる

↓はwikipediaアルタイ共和国

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↓九州歴史資料館の資料にて、パジリク古墳墳やアク・アラハに関する言及がある。
ベルテック墳墓群の第34号墓では人骨と馬が出土、馬には轡(くつわ)や輪鐙(わあぶみ)などが装着された状態であったという
https://kyureki.jp/wp-content/uploads/2021/03/publish_commentary_kaisetu70.pdf

■まとめ

スキタイは古代東イランの騎馬遊牧民
言語的にはインド・イラン語派のアーリア人

スキタイの古墳群がみられる。
有名な古墳としては以下があげられる。

前期スキタイ時代
・アルジャン古墳群(トゥヴァ共和国):全2基
・アルジャン1号墳:紀元前9世紀末~紀元前8世紀初
・アルジャン2号墳:紀元前7世紀末
・チリクタ古墳群(カザフスタン):全51基
・チリクタ5号墳(黄金古墳):紀元前7世紀
・ベスシャトゥル古墳群(カザフスタン):全14基

後期スキタイ時代
・チョルトムリク古墳(ウクライナ):紀元前4世紀後半
・トゥエクタ古墳群(アルタイ共和国
・パジリク古墳群(アルタイ共和国):紀元前5世紀末~紀元前4世紀

であるという。