今回はモンゴルのノヨン・オール遺跡を取り上げる。日本でいう前方後円墳の形式のものが多くあるという。次の流れで紹介していく。
・ノヨン・オール遺跡
・ノヨン・オールの墳墓群
・烏珠留若鞮単于
■ノヨン・オール遺跡
場所はモンゴルのノヨン・オール(またはノイン・ウラはロシア語読み)。
トゥブ県にある山。
ウランバートルの北方にある。
1924年から1927年にかけピョートル・コズロフらソ連の探検隊によって発掘調査が行われた。
↓はgooglemap、ノインウラ
出典:wikipedia/ Noin-Ula site Noin-Ula burial site - Wikipedia
↓は国立情報学研究所、ノヨン・オール遺跡が紹介されている記事
■ノヨン・オールの墳墓群
200を超える古墳群があるという。
匈奴の貴族の墓と判明している。
古墳群には大規模な方墳(日本の古墳形状でいう前方後円墳)が多く含まれるという。
古墳群全体として主な出土遺品には
・青銅製容器
・装身具
・玉器
・馬具
・車蓋
などがみられるという。
また、中国の漢代の遺物も出土。
建平5年(紀元前2年)の銘のある漆塗りの耳杯があるという。
さらに多数の絹織物が出土。
加えて、棺の下に敷いた毛氈(もうせん、羊など獣の毛を原料として作られたカーペット)は後期スキタイの動物文様を受け継ぐグリフィンを表現したものであるという。
壁飾りの装飾はスキタイ・サルマタイの文物の特徴を持つという。
スキタイは古代東イラン騎馬遊牧民。
サルマタイは紀元前4世紀から紀元後4世紀にかけウラル南部から黒海北岸にかけて活動したイラン系遊牧民集団。
つまり、スキタイ、サルマタイともにイラン系の遊牧民であることがわかる。
南から来た漆器、西から伝えられた文様など、シルクロードの交流がわかるとされる。
■烏珠留若鞮単于
古墳群のうちのひとつが烏珠留若鞮単于(不明~西暦13年)が被葬者とされる。
ひじょうに豪華な埋葬地であるという。
烏珠留若鞮単于は中国の王莽との争いによる関りがある。
日本とはどのような関わりがあるだろうか。中国、新の王莽の時代のコインがいくつか日本で見つかっている。新の時代に発行された通貨は期間が短いためひとつの時代を示す考古学的に分かりやすい指標となるという。
当時も、匈奴と中国との戦いから逃れた人びとが日本へと渡来していたのだろうか。
↓はwikipedia、烏珠留若鞮単于
烏珠留若鞮単于 - Wikipedia
↓は王莽、貨泉について取り上げた回
<参考>
・ノヨン・オール - Wikipedia
・トゥブ県 - Wikipedia
・スキタイ - Wikipedia
・サルマタイ - Wikipedia