扶余族の神話とその王たちを紹介する。東扶余の伝説上の初代王が解夫婁の韓国語での発音に着目する。
■扶余
中国東北部(満洲)にかつて存在した民族およびその国家。
■扶余の建国神話
「論衡(ろんこう)」、中国後漢時代の王充(27年 - 1世紀末頃)が著した全30巻85篇の思想書の中で夫余の建国者「東明王」の誕生が示されている。昔、北夷に橐離国があり、国王が侍女を妊娠させた。侍女は「空にあった鶏の卵のような霊気が降りてきて身ごもった」とされ、その後生まれた子が「東明王」とされる。
↓扶余の位置や建国神話などが確認できる
■高句麗と百済の建国
「物語韓国史/金両基著」によれば、高句麗と百済は「扶余族」によって建てられたとされる。高句麗の始祖は高朱蒙。東扶余出身で逃れて南下し、国を興した。歴史上単純ではないものの、神話から見ると「北扶余⇒東扶余⇒高句麗⇒百済」の順で、扶余族が主体となって建国されたとされる。
■秦の滅亡後
濊と弁辰へ。秦が滅亡後、東に逃れたものが濊を建国、南に逃れたものは馬韓の東へ移動し弁辰となったとされる。
■濊
分裂し東扶余として存続、または北扶余を建国。濊は二つに分裂する。海岸部の東方にいた濊は、東扶余として存続。一方、主力であった西方側においては漢の武帝が東方進出したため北方に移動した。その後、先住民を吸収し北扶余を建国した。
■北扶余
解慕漱(かいぼそ、ヘモス)が北扶余を建国したとされる。神話上の存在。
■東扶余
東扶余の初代の王は解夫婁王(かいふるおう)とされる。韓国語での発音は「ヘプルワン」。2代目は息子の金蛙王(きんあおう、クムワワン)される。解夫婁王、金蛙王とも実在の人物をは考えられていない。金蛙王は東明聖王(朱蒙)の父。
■橐離国(たくりこく)
夫余の建国者である東明王が誕生した国。
■高句麗
東明聖王(とうめいせいおう、トンミョンソンワン)は、高句麗の初代王とされる。在位は紀元前37年 - 紀元前19年。諱(いみな)は朱蒙とされる。「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説は、夫余・高句麗・百済に共通して見られる。
■百済
温祚王は百済の初代王とされる。在位は紀元前18年 - 紀元後28年。温祚の父は鄒牟(すうむ、チュモ)または朱蒙(チュモン)とされ、高句麗の始祖である。
■義慈王(ぎじおう)
百済は何代まで続いたのだろうか。義慈王は百済の最後の31代国王。「旧唐書」高宗本紀などには「扶余義慈」と記されている。そして百済末期まで百済は「扶余」としてであり続けたことがわかる。息子の一人である豊(扶余豊璋)は日本にも来ており、白村江の戦いでは倭に対して援軍を求めた。
■感想
・東扶余の伝説上の初代王が解夫婁、現地での発音は「ヘプル」。へブルと同じと考えられる。神話上に「へブル、ヘブライ」の足跡を残したのであろうか。「満州」の位置に、扶余族となったユダヤの末裔が来ていたのだろうか。なお秦氏の一族と扶余族との関係性は不明だが、秦氏も百済経由で日本に渡来したとされる。
<参考>
・三国史記1
・三国史記2
・物語 韓国史 金両基著
・論衡 - Wikipedia
・夫余 - Wikipedia
・魏志夫餘(扶余)伝
・解慕漱 - Wikipedia
・解夫婁王 - Wikipedia
・金蛙王 - Wikipedia
・橐離国 - Wikipedia
・東明聖王 - Wikipedia
・温祚王 - Wikipedia
・百済 - Wikipedia
・義慈王 - Wikipedia
・扶余豊璋 - Wikipedia