シン・ニホンシ

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165.古代東アジアの牛に関する信仰:扶余族、新羅、古志の国など

今回は「牛」をテーマに世界(東アジア)における古代の信仰を探る。扶余族、新羅、古代日本の古志、敦賀太秦などで牛に関する信仰があることがわかる。

■扶余国
満州の辺境エリア「濊(わい)」にかつて存在していた国。濊に到達した扶余族はそののちに扶余国を建国、やがて南下し、高句麗百済を建国していった。百済では首都を538年には扶余とした。なお、元の扶余国となっていた土地は高句麗や勿吉(もっきつ)に吸収されていった。

■扶余人の性格や牛に関する信仰
扶余人の性格や信仰はどうであったか。「晋書扶余国伝」によれば、人となりは強く勇敢、集会や立ち振る舞いなどでは礼儀正しかったとされる。また服装などは、外国への使者は錦や毛織物の衣服を着て、腰には金銀の飾り物をつけていたとされる。戦争に関して吉凶を占っていた。牛を殺して天を祀り、その牛の蹄で吉凶を占った。蹄が割れたとき凶、あえば吉としたとされる。また、風習として刑罰が厳しい。さらには兄が死去した際、弟は兄嫁をめとるというレビラト婚がみられる。また、国王に君主がおり、官職の名前は六つの家畜の名前で呼び馬加、牛加、狗加などと呼ばれていたとされる。

牛頭天王(ごずてんのう) 
日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。スサノオ牛頭天王とも呼ばれた。スサノオ日本書紀などにより新羅と関りがあるとされる。

新羅の牛殺祭祀
新羅においても殺牛祭祀の関する記録が残るとされる。

■都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)
「つの」つながりで、都怒我阿羅斯等という人物がいる。「于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)」とも。福井県の「敦賀市」に関連する加羅国の王子とされる。 「日本書紀」で伝わる古代朝鮮の人物。「日本書紀」の垂仁の条で、「御間城天皇の世に、額に角のある人が一つの船に乗って、越国の笥飯の浦に着いた。ゆえに、そこを名づけて角鹿という。」との記述がある。垂仁の在位は神話上は前29年~70年とされる。実際は120年ほど加算し200年前後の頃の出来事だろうか?さらに1978年に見つかった「丹陽新羅赤城碑」では官位の名称に「阿干支」などがみられ、官位名の類似性がみられる。都怒我阿羅斯等は少なくとも朝鮮半島からの渡来人物として間違いなさそうだ。

■山古志の牛の角突き
勇壮な闘牛同士をぶつけあう祭り。新潟県長岡市山古志の「牛の角突き」の歴史は古く、1000年前とも言われている。

■越の国
現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、大化の改新以前の日本古代における呼称。7世紀後半に書かれた木簡には「高志」とある。のちに分割され、越後国越中国能登国加賀国越前国となった。このあたりは新羅渤海と近い。朝鮮半島からの渡来時、海流の都合上、この「高志」にたどり着いたことが多かっただろう。

■牛を神聖視するバラモン教ヒンドゥー教
インドで発展したバラモン教及びヒンドゥー教では牛は神聖な動物として扱われ、殺したり、その肉を食したりすることは許されていない。

太秦(うずまさ)の牛祭り
三角鼻の紙面をつけた白衣の摩多羅神(まだらしん)が牛に乗る。そして紙の面をつけた赤鬼、青鬼が境内や周辺を一巡する。さらに薬師堂で牛を降り、祭文を読むとされる。それが終わると神と鬼は薬師堂に駆け込む。これにより観衆は厄除けになるとされる。下記で動画で祭りの様子が確認できる↓
太秦牛祭 | 京都の歴史と文化 映像ライブラリー

ミトラ教
東アジアではないが、ミトラ教(ミトラス教)は古代ローマで隆盛した。牡牛の牛殺信仰がみられる宗教。太陽神ミトラスを主神とする。新羅はローマとつながりがあることがローマングラスから証明されている。古代ローマシルクロードの商人を通じて牛に対する信仰が新羅においてもわたってきたのだろうか。

■まとめ
以下で牛を神聖視したり、あるいは牛殺を行ったりする信仰がみられる
古代ローマで隆盛したミトラ教
・インドで発展したバラモン教及びヒンドゥー教
古代ローマとつながりのある新羅
新羅とつながりのあるスサノオ
・都怒我阿羅斯等と敦賀加羅国と敦賀はつながりあり)
・越の国:敦賀、山古志など
・京都の太秦
・扶余族
以上より、西方由来の民族が東に移動する中で、さまざまな人や物が媒介されながら、さらには家畜という牛に関する信仰なども取り入れられていったのではないか。古代の日本、日本海側の国のうち、朝鮮半島と近い付近で牛を由来とする信仰がみられる。

<参考>
・東アジア民族史1
・フィールドミュージアム京都:都市史01 秦氏
牛頭天王 - Wikipedia
スサノオ - Wikipedia
蔚珍鳳坪碑 - Wikipedia
越国 - Wikipedia
都怒我阿羅斯等 - Wikipedia
神々のルーツ 北陸に来た“額に角のある人” – 全日本民医連
ミトラ教 - Wikipedia
・青邱古蹟集真:丹陽 新羅 赤城碑
・東アジアにおける殺牛祭祀の系譜:https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/RO/0001/RO00010L015.pdf
関西大学学術リポジトリ:6世紀前葉から中葉における新羅の「教」とその主体について
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=12400&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1