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167.魏志倭人伝の陳寿のルートから邪馬台国は熊本、隋書の秦王国は豊前国

秦王国を特定したい。そこで、まず邪馬台国を特定する。次に、得られた情報を元にして「秦王国」を推定する。
※秦王国の推定部分はオリジナルです

■はじめに・予備知識
・「隋書(ずいしょ)」:7世紀に魏徴(ぎちょう)らが編纂した中国の歴史書陳寿邪馬台国に渡来したとされる。
魏志倭人伝:280年〜290年代に書かれており、成立の40〜50年ほど前の倭の内容が記されている

邪馬台国に関する前提知識
日本人の大半の人は九州にあったものと思っているが、歴史的に九州か近畿に定まっていない。また、九州説には熊本説、北九州には伊都国や、吉野ケ里の可能性も考えられる。さらには日本書紀では神話というパッケージ化されており、近畿の王朝が一本化して連綿と続いているシナリオが構築されている。それは当時の白村江の敗戦から既存の疲弊した豪族をまとめあげ、百済などの王族を迎え入れ新たな「日本国」としてスタートするために必要だったのだろう。

■秦王国(しんおうこく)
「隋書」にみられる、九州上陸後すぐの邪馬台国に至る際のルート付近にあったとされる国。中国人からみて中国人に近い人々が住んでいるとされた。架空の国とする説もある。本記事ではこの国を実在のものとし、特定する。

邪馬台国が特定できない理由は、改ざんされているから
伊藤雅文氏の著作「邪馬台国は熊本にあった!」で邪馬台国およびそのルートが解明された。邪馬台国に行く際、旅の旅程であるとすれば通常はさほど不自然なくたどり着けるはずであるが、なぜおかしな記述内容となっているのだろうか。伊藤氏によれば後世において一部改ざんが入っているとされる。具体的には429年以降、後漢書の成立(432年~437年)~宋が滅亡する479年あたりまでではないかとされる。伊藤はこの改ざんを修正を行った。書籍では邪馬台国に至るルートのナゾトキの過程が示されており、興味を持たれた方は参考として頂きたい。なぜそのルートを通る必要があったのか、どの箇所が改ざんされているかなど、深い考察がなされている。

■一里の長さ
魏志倭人ルートではおおよそ一里を70メートルとの推定がなされた。

■行程と比定地
陳寿の記したルートを下記に示す。
※距離、方角、戸数、遺跡の有無、そのルートを通る理由などから推定された
帯方郡⇒狗邪韓国:金海市、釜山市あたり
②狗邪韓国⇒対馬国対馬市峰町三根(三根遺跡)
対馬国から一大国(一支国):壱岐島原の辻遺跡
④一大国から末盧国:佐賀県唐津市(桜馬場遺跡)
⑤末盧国から伊都国:福岡県糸島市(三雲南小露遺跡)
⑥伊都国から奴国:福岡市西区(野方遺跡)
⑦奴国から不彌国:福岡県博多区(比恵・那珂遺跡群)
⑧不彌国から投馬国:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町(吉野ケ里遺跡)、ほか町南遺跡、蔵上・内清遺跡、千塔山遺跡、小郡若山遺跡、平塚川添遺跡、狐塚遺跡
⑨投馬国から邪馬台国:熊本平野(方保田東原遺跡、うてな遺跡、小野崎遺跡、諏訪原遺跡、西弥護免遺跡、八島町遺跡、二子塚遺跡 など 
※熊本のほか遺跡としては「江田船山古墳」のエリアはどうだろうか。時代が異なるが前方後円墳もみられ、規模的にも大きい集落である。また埼玉の稲荷山古墳と同じく「ワカタケル大王」の銘文が刻まれた鉄剣が出土されている。

魏志倭人伝に登場するその他の国として、
・鹿児島 ⇒ 狗奴国
長崎県雲仙市、南原市 ⇒ 伊邪国
大分県国東市大分県豊後高田市 ⇒ 鬼奴国
・福岡県宗像市 ⇒ 鳥奴
・福岡県福津市 ⇒ 奴
・福岡県春日市 ⇒ 奴
などとの比定がなされた

以上までで、邪馬台国に記載の国々は特定可能なものであり、魏志倭人伝に記載の陳寿による行程は信頼できるものであることがわかる。何らかの理由で手が加わった理由は、推測であるが中国渡来者からのアドバイザーの指南を受け、倭の国王が中国の皇帝に対し国防上の理由などで修正を迫ったのだろう。実際、元寇時、モンゴルからの脅迫を受けた高麗は日本の情報を伝えた。

■隋の文林郎・裴世清のたどったルート(記事153.より再掲)
・「また東にいって一支国壱岐のこと)に至り、また竹斯国(筑紫のこと)に至り、また東にいって秦王国に至る。その住民は華夏(中国のこと)に同じく、夷州とするが、疑わしく明らかにすることはできない。また十余国をへて海岸に達する。竹斯国から以東は、みな倭に附庸する」との記述がみられる。

■秦王国は豊前と考えられる
一支国壱岐)から伊都国に入る。これが魏志倭人伝の時代より領土が拡大された隋書の時代の「竹斯国」ではないだろうか。そして秦王国へは東に進むので考えられる国は「豊前」と考えられる。

豊前にある新羅の伝承
それらしき伝承や遺跡などはあるだろうか。風土記において豊前では新羅の神が自ら来て河原にとどまった。鹿春郷、当時の清河原とされる。また銅の存在が示されている。豊前国では福岡県香春町香春の香春岳において精銅が行われた。香春岳山麓の香春神社(かわらじんじゃ)では辛国息長大姫大目命(からくにおきながおおひめおおじのみこと)、忍骨命(おしぼねのみこと)、豊比咩命 ( とよひめのみこと)が祀られている。なお、香春岳の北側に官営の八幡製鉄所が存在していた(北九州市八幡東区)。
下記サイトで確認できる↓
九州の神社:福岡県・香春神社(香春町)

<参考>
邪馬台国は熊本にあった! 伊藤雅文
魏志倭人後漢書倭伝 宋書倭国伝・隋書倭国伝 石原道博編訳
豊後国肥前国逸文 風土記 下 現代語訳付き 中村啓信監修・訳注
九州の神社:福岡県・香春神社(香春町)