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91.縄文人は天体観測を行っていた、三内丸山遺跡の大型掘立柱建物跡は夏至の観測所か

1992年、青森県にて三内丸山遺跡が見つかった。17世紀頃より何かあるらしいとのことはわかっていたらしい。県総合運動公園の野球場建設にともなって本格的な発掘調査が行われた。これが大発見となった。縄文時代の歴史を大きく塗り替えた。当記事では三内丸山遺跡の概略をつかむ。次の流れで紹介していく。
縄文時代
三内丸山遺跡
・大型掘立柱建物跡
・大型住居跡
・天体観測を行っていた縄文人

縄文時代
縄文時代は今から紀元前13,000年前~紀元前300年くらいまでをさす。なぜ期間が約12,700年と長いかというと、次の弥生時代まで明確な区分けができないため。

三内丸山遺跡
縄文時代前期~中期の大規模な集落跡。大型掘立柱建物跡、大型住居跡などがある。

■大型掘立柱建物跡
直径1mの栗の巨木を用いた大型掘立柱建物跡が発見された。今から4500年前の縄文時代中期後半のものにあたるという。柱穴は直径約2m。深さは約2m。柱と柱の間隔が4.2mで3本、そして2列あり、合計6本で構成される建物。この建物は「縄文天文台説」が有力であるという。3階部分を使うと夏至を特定できるという。夏至は1年で最も昼間の時間が長い日。

■大型住居跡
大型住居跡はさきほどの大型掘立柱建物跡の近くにある。長さは32m、幅が9.8mの楕円形の建物。大きな建物を建造できる技術があったことがわかる。縄文時代前期~中期、紀元前約3,900~2,200年で現在からいうと約5,900~4,200年前の大規模な集落跡。

■天体観測を行っていた縄文人
関東などの他の遺跡にも目を向けると、春分夏至秋分冬至などの日における日の出や日没の方向を示す遺跡も存在するらしい。つまり縄文人は天体観測を行う技術をもっていた。何のための観測なのだろう。太陽信仰か、それとも何かの必要性があったのだろうか。
<参考>
↓は青森市観光情報サイトの三内丸山遺跡特設ページ

www.atca.info

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