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288.徳島県の宮谷古墳

徳島県の宮谷古墳を紹介する。古墳時代の始まり前後の歴史の謎を解くうえで重要な古墳と考えられる。次の流れで紹介していく。

・宮谷古墳(みやだにこふん)
・宮谷古墳の埋葬施設や出土品
・重圏文鏡(じゅうけんもんきょう)
三角縁神獣鏡

■宮谷古墳(みやだにこふん)
所在は徳島県徳島市国府町西矢野。
形式は前方後円墳
大きさは全長37.5m、前方部が12.5m、後円部が25m。
前方部は1段。
後円部の高さは3m、盛り土と葺石による2段築成。
築造年代は3世紀末~4世紀初頭。
↓はgooglemap、宮谷古墳

maps.app.goo.gl

↓は徳島市考古資料館、令和元年度特別企画展「宮谷古墳の時代」のページ

www.tokushima-kouko.jp

■宮谷古墳の埋葬施設や出土品
埋葬施設は全長6m、竪穴式石室である。
内部に刳抜式木棺(くりぬきしきもっかん)が安置されていたとされる。

副葬品には
・小型重圏文鏡(じゅうけんもんきょう)、直径7.3cm
・管玉
・ガラス小玉
のほか、
・鉄剣
・ヤリガンナ
などの鉄製品がみられる。

さらに古墳の前方部斜面から三角縁神獣鏡(直径22.4cm)が3面が出土した。
周辺部からは壺形土器が大量に出土されたとされる。
徳島市、阿波史跡公園 ページ3にて宮谷古墳、重圏文鏡と三角縁神獣鏡が画像にて確認できる
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/shisetsu/park/awa_shiseki.files/awasisekipanf.pdf

■重圏文鏡(じゅうけんもんきょう)
重圏文鏡とはなにか。
弥生時代後期末から古墳時代前期にみられる青銅製の小型の仿製鏡。
仿製鏡とは通常、中国鏡をその周辺地域において模倣製作した鏡のこと。

重圏文鏡について下記が詳しい。
参考1.広島大学 重圏文鏡の画期と意義 ※PDF
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/38459/files/42241

参考2.さきたま史跡の博物館・古墳時代前期における小型鏡の系譜と変遷 ※PDF
https://sakitama-muse.spec.ed.jp/cabinets/cabinet_files/download/258/e4aac1df225d1e60428e2439c838823d?frame_id=284

三角縁神獣鏡
三角縁神獣鏡は「さんかくえんしんじゅうきょう」、または「さんかくぶちしんじゅうきょう」と読む。

この鏡は魏志倭人伝の時期に重なる時代のものとされ、卑弥呼の魏への遣使の時代と関連がある鏡とされている。
三角縁神獣鏡の出土数が多いのは奈良(100枚)、京都(66枚)、福岡(49枚)とされる。

古事記日本書紀では卑弥呼を語らない。
そのため謎の深い鏡となっている。
卑弥呼は当時は日向(ヒムカ、日に向かうという太陽信仰を表す名)であった実在の女性。女王というよりはどちらかというと神託を受けた巫女。

三角縁神獣鏡が中国でみつからない。
このため三角縁神獣鏡はいったいどこでつくられたのであろうかとする論議がある。

中国など大陸から持ち込んだ鏡を船で運んだ鏡として舶載鏡(はくさいきょう)という。
狭義では前漢以降、六朝時代の鏡とされる。

しかし近年、中国で見つかったとする報告がある。
ところがこれに対して捏造ではないかとする主張がある。

以上より、ややこしいことになっている。
参考1:wikipediaより、三角縁神獣鏡の種類や年号の入っている鏡などが確認できる

ja.wikipedia.org

京都国立博物館三角縁神獣鏡の謎にて、三角縁神獣鏡の特徴や中国大陸で見つからないことに関する論議が紹介されている

www.kyohaku.go.jp

↓は毎日新聞三角縁神獣鏡が中国で発見されたとする報道の紹介がある、ただし、捏造ではないかとする主張もあわせて紹介されている

mainichi.jp

■まとめ
・宮谷古墳はエリアが淡路や近畿と近い徳島県前方後円墳
・その築造年代はヤマトタケルの東征頃の年代、3世紀末~4世紀初頭
・宮谷古墳で三角縁神獣鏡、重圏文鏡が見つかっている