シン・ニホンシ

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209.美豆良(ペイオト)を持つ髪型の埴輪と中国の史書での髪型の記述

美豆良(みずら)を持つ埴輪を全て掲載する(調べがつく限り)。そしてカールがかかっている場合を区別して記載する。これより埴輪の中の髪型の違いを示し、カールの有無とユダヤ人との関係性を明らかにする。
美豆良のある人物埴輪は特に群馬で多い。カールがみられるのは5世紀後半以降で新羅由来の高貴な人物が埋葬された古墳から出土する埴輪がもっとも古墳建造の時期としては早い。カールがかかっていればユダヤ人かというとそこまで明確には言えない。一方で帽子、カール型、武人、顔立ちの4つの特徴からユダヤ人に似た埴輪は千葉県で出土したものである(現時点)。次の順で紹介する。

・美豆良(みずら)、ペイオトについて
・千葉
 1.芝山古墳・姫塚
 2.経僧塚古墳(きょうそうづかこふん)
茨城県
 3.武者塚古墳
群馬県
 4.塚廻り古墳群
 5.観音山古墳
 6.保渡田古墳群
 7.オクマン山古墳
奈良県
 8.池田遺跡
大阪府
 9.今城塚古墳
・その他の出土
・中国の史書での髪型の記述
・まとめ

■美豆良(みずら)、ペイオトについて
ペイオトとは耳の前方からあごにかけて毛を伸ばした髪型。旧約聖書レビ記に記載があり「あなた方の頭の鬢(びん)の毛を剃そり落としてはならない」と記されているとされる。
過去記事での紹介は↓

shinnihon.hatenablog.com

古墳時代における「人物埴輪」は400年代後半から出現。関東地方においては人物埴輪は600年前後まで盛んにつくられた。以下で美豆良をもつ埴輪が出土している古墳などを紹介。

■1.芝山古墳・姫塚
所在は千葉県山武郡横芝光町、造営は6世紀後半。姫塚人物埴輪(武人)は、芝山町立芝山古墳・はにわ博物館にて展示されている。ペイオトかつカール型、顔立ち、武人で古代のユダヤ人と思われる埴輪は5体存在している。
↓で確認できる。

mainichi.jp

■2.経僧塚古墳(きょうそうづかこふん)
所在は千葉県山武市野堀、造営は7世紀初頭。経僧塚古墳出土埴輪は上記と同じく芝山町立芝山古墳・はにわ博物館にて展示されている。ペイオトかつカール型、武人で古代のユダヤ人と思われる埴輪は1体存在。
同博物館HPの「経僧塚(きょうそうづか)古墳出土埴輪」の箇所にて確認できる↓
https://www.haniwakan.com/tenji/reopening.html

■3.武者塚古墳(※埴輪は復元)
所在は茨城県土浦市上坂田、築造は7世紀とされる。武者塚古墳展示施設(上高津貝塚ふるさと歴史の広場)にて、武者塚2号人の髪型の復元 が展示されている。
武者塚古墳展示施設 | 土浦市公式ホームページ

■4.塚廻り古墳群
所在は群馬県太田市龍舞町。古墳群のうち4号墳の造営は6世紀前半とされる。ペイオトを持つのは3号墳では倚座の男子、4号墳では跪座の男子、倚座の男子、捧げ持つ男子、左手を挙げる男子×2タイプ。4号墳の跪座の男子の埴輪の髪型は倭人の髪型。

ja.wikipedia.org

参考:塚廻り古墳群第4号古墳 - 太田市ホームページ(文化財課)

■5.観音山古墳
所在は群馬県高崎市綿貫山町、築造は6世紀後半。下記は国宝の三人童女とともに「胡座し合掌する男」が帽子をかぶり、カールがある(※下記wikiページ内の「埴輪群像(祭礼場面)」)。一方、埴輪群像(参列場面)の両手を腰にあてる振り分け髪の男は倭人ふう。埴輪群像 (馬列)にも美豆良がみられる。

wanderkokuho.com

wikipedia、綿貫観音山古墳で画像付きで紹介あり↓
綿貫観音山古墳 - Wikipedia

■6.保渡田古墳群
所在地は高崎市保渡田町・井出町、築造は5世紀代の後半~6世紀前半にかけて。二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の順に造営されたと推定されている。みずらを持つ埴輪がいる。また力士のまわしをした人もいる。みずらをしている埴輪の人物は高貴な人、という印象。
↓はじゃらん、保渡田古墳群の口コミページより

www.jalan.net

■7.オクマン山古墳
所在は群馬県太田市城西町。6世紀後半とされる。ただしオクマン山古墳はすでに消滅、近くの公園に案内板と掘削された円墳が存在。群馬県内の歴史館や資料館で展示され、2022年時点では新田荘歴史資料館に鷹匠埴輪が展示。正装した人物は高い地位にあったと考えられている。カール型である。裾縁に鋸歯文(きょしもん)を施した袴をつけている。腰には大帯をしめた身仕度をしている。鷹狩りは支配者層の狩猟行事であったのではとされる。
太田市HPでオクマン山古墳の鷹匠埴輪が確認できる

www.city.ota.gunma.jp

■8.池田遺跡
所在は奈良県大和高田市。古墳は4~6世紀にかけて築造、10数基に及ぶ前方後円墳、方墳、円墳などがある。池田9号墳では「盛装した男子埴輪」が出土。カール型である。
大和高田市の池田遺跡に関するページ
www.city.yamatotakada.nara.jp

■9.今城塚古墳(いましろづかこふん)
所在は大阪府高槻市郡家新町(ぐんげしんまち)、造営は6世紀前半。被葬者は真の継体天皇陵との説が有力。鷹匠形埴輪が2体、力士形の埴輪も2体確認されている。
↓下記で今城塚古墳の埴輪が確認できる

takatsuki-scramble.com

■その他の出土
13か所ともすべて群馬県
高崎市八幡原町/5世紀後半/盛装男子埴輪

・保渡田Ⅶ遺跡/6世紀初頭/あぐらをかく王
・高塚古墳/榛東村/6世紀前半/武装男子埴輪
・世良田諏訪下遺跡第30号墳/太田市/6世紀前半/王冠を被る男、琴弾く男子
・伊勢崎市境上武士/6世紀中頃/埴輪鷹狩男子像
・富岡5号古墳/富岡市/6世紀中頃/男子埴輪
・伊勢崎市豊城町/伊勢崎市/6世紀/埴輪男子立像
 →ネックレスなどもしている。カールがみられる。
玉村町八幡原/6世紀/帽子をかぶる男子
太田市鳥之郷町/6世紀/長手出土の人物埴輪
・四ツ塚古墳/6世紀末/盛装男子
前橋市朝倉町/6世紀/弾琴男子像
太田市脇屋町/6世紀後半/笠をかぶり鍬をかつぐ農夫
・赤堀村104号墳/伊勢崎市/6世紀後半/鍬をかつぐ男

■中国の史書での髪型の記述
各書での髪型に関する記述をまとめた。「髪を両耳の上に垂らしている」という記述があるのは隋書倭国伝(656年成立)、北史倭国伝(659年成立)。垂らすという表現の解釈は難しい。美豆良になっていれば垂らすという表現は正しく思えるが明確ではない。

以下は参考。
後漢書倭伝:女子は髪を束ねていると記述がある。男子に対してはない。
三国志倭人伝:髪に関する記述はあるものの特に男女とも髪型に言及していない
●晋書倭人伝:みな髪は結わずはだしである と記述あり
宋書倭国伝、南斉書倭国伝、梁書倭伝:特に記述なし
●隋書倭国伝:男子:頭にはかぶりものがなくただ髪を両耳の上に垂らしていただけであった 女子:婦人は髪を後ろに束ね・・・(略)
●南史倭国伝:男女ともに被り物はつけず、髪は露出している
●北史倭国伝:頭にもまたかぶりものはなく、ただ髪を両耳の上に垂らすだけであった・・・(中略)・・・隋の時代になって・・・ 夫人は髪を後ろに束ね・・・(略)。
旧唐書倭国伝:貴人は(頭に)錦の帽(かぶりもの)を戴いているが、百姓たちは椎けい(もとどり)(を結う)だけで、冠も帯も(使用し)ない。婦人は・・・(略)・・・髪は後ろで束ね、銀の長さ8寸の花をさし、左右にそれぞれ数枝をつけ、貴賤の等級を明示している。
旧唐書日本国伝:特になし
新唐書日本伝:(日本の風)俗では(人々は)椎けい(もとどり)(を結うだけで、)冠も帯もなく・・・(略)。婦人は錦(の被物)を冒(かぶ)っている。・・・(略)・・・髪は後で結っている。
●通典倭伝:女性は髪を束ね結い、衣服は単衣(ひとえ)のよう(なもの)で、中央に穴を穿(あ)け頭を貫(とお)して着用している。・・・(略)・・・倭国の人びとははだしであって、幅の広い布で(身体の)前後を蔽(おお)い、椎けい(もとどり)(を結うだけで)冠も帯もない。

■まとめ
以下の4点を示す
1.人物埴輪に美豆良がみられるのは5世紀後半以降。群馬、茨城、千葉、奈良、大阪でみられる。美豆良のある埴輪が出土された古墳で築造が早いのは池田9号墳(築造の詳しい時期は不明)。そして高崎市八幡原町(5世紀後半)の盛装男子埴輪。

2.美豆良にカールがかるのは新羅由来と思われる王、王族、高官の埴輪から。新沢千塚126号墳は5世紀後半の古墳、髪飾り(らせん状の垂れ飾り)が出土している。金のアクセサリーなどの状況から新羅の出自を示す。

3.オクマン山古墳の鷹匠埴輪などは帽子、武人ふうでありユダヤ人のようにみえなくもない。しかし、顔立ちの面では判断が難しい。また、カールがあるものの、髪を半分により分けた髪型で倭人と思わしき人物の埴輪も存在する。

4.帽子、カール、顔立ち、武人、4つの観点からユダヤ人と思われるものは千葉、6世紀後半以降。芝山古墳・姫塚(6世紀後半)で5体、経僧塚古墳出土(7世紀初頭)で1体の埴輪。

<参考>
群馬県公式はにわガイドブック HANIー本
・東アジア民族史1

・東アジア民族史2
・図説地図とあらすじでわかる!史記
199.金の多彩なアクセサリーと螺旋状の髪飾り~新沢千塚126号墳~ - シン・ニホンシ
群馬県立歴史博物館

かみつけの里博物館 | 高崎市
太田市教育委員会 オクマン山古墳 PDF形式(ファイルサイズは重い)
ttps://www.city.ota.gunma.jp/uploaded/attachment/10773.pdf
今城塚古墳 - Wikipedia