シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

140.人物埴輪の中の「美豆良」というヘアスタイルに着目する

形象埴輪とは、家、器、人物、動物などのヒト・モノ・動物を形どった埴輪。人物埴輪はそのうちの「ヒト」に関する埴輪で、造出や外堤に置かれているとされる。この人物埴輪に、独特のヘアスタイルとなる「美豆良(みずら)」を持つ埴輪が存在する。

■芝山古墳群出土埴輪
千葉県山武郡横芝光町」中台にある古墳群。殿塚、姫塚がある。姫塚の中に、あごひげを伸ばした人物の埴輪が発見された。6世紀後半の造営とされる。高い鼻、幅広の鍔(つば)がついた帽子、美豆良、あごひげが特徴とされる。この美豆良が「ユダヤ人」の髪型、ペイオトと類似しているとされる。ペイオトは耳の前方からあごにかけて髪をのばし、さらにカールがかかった髪型。旧約聖書レビ記で「あなた方の頭の鬢(びん)の毛を剃そり落としてはならない」と記されているとされる。この髪型は紀元前7世紀頃から現代まで続くとされる。またこの埴輪群は「葬列の様子」を再現したものとされます。さらには「外」を向いて建てられており、古墳を見る人を意識して並べられているとされる。

参考①:下記は 毎日新聞より画像で確認できるサイト
mainichi.jp
参考②:芝山古墳・はにわ博物館、ぜひ参照して頂きたい

www.haniwakan.com

■近隣の古墳の建造時期について
芝山古墳群の近隣には古墳時代の終末期の古墳が複数ある。殿塚・姫塚古墳⇒小池大塚古墳⇒胡麻手台16号墳⇒駄ノ塚古墳(610~620年頃)の順で同じ勢力が建造していったのではないかとされる。

■美豆良の語源はミトラ、ミスラから?
美豆良は古代のヘアスタイルの話だが、音韻の響きだけでいうと「ミトラ」や「ミスラ」とも読める。古代イランのアーリア人は様々な神を祀っていたとされ、その1つが友情や契約を司る太陽神「ミトラス神(またはミトラ神)」。ゾロアスター教の普及する前の、イラン人の間で始まっていて、前1世紀にはローマでも一時期盛んであったとされる。キリスト教の普及後、ローマでは衰退していった。下記はwikipedia、ミトラス神の彫刻。カールっぽい髪型を「ミトラ⇒転じて美豆良」と呼んでいた!?

ja.wikipedia.org

■まとめ
・推古朝頃、聖徳太子の時代に古墳期は終末を迎える。この頃は日本では民族が入り乱れた国々の共和制的な国家であっただろうか。民族としては縄文人のほか、渡来人となる中国(中国も実態は民族が多い)、朝鮮(百済高句麗新羅)、Uターン日本人(任那)、そしてユダヤ人などが渡来していたと考えられる。~900年頃まででいえば、のちに渤海からの渡来もみられる。

■感想
ペルシャ(うちユダヤ人)が日本にたどりつくまでは各地の民族と同化しながら、徐々に日本に渡来してきたと考えられる。それはどうやらかなり古い時代から段階的であったようだ。多くは3世紀頃のようだ。
・下記サイトでは美豆良状の髪型を持つ民族のまとめを行っている。「美豆良」という切り口によるひとつの渡来ルートとしてはひとつの手がかりになると思われる。ただし、実際はかなり様々なルートから、段階的に、複雑な民族史をつくりながら、と思われる。

tacchan.hatenablog.com

<参考>
芝山古墳群(殿塚・姫塚)出土埴輪/千葉県
芝山古墳群 - Wikipedia
駄ノ塚古墳 - Wikipedia
芝山町https://www.town.shibayama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000004/4352/P08-09shibayama2021.05.pdf
・世界の窓:ミトラ教

ミトラ教 - Wikipedia