ヤマト王権の古墳群をみていく。今回は古墳時代の前期前半、オオヤマト古墳群を取り上げる。次の流れで紹介していく。
・オオヤマト古墳群
・大和古墳群
・柳本古墳群
・纒向古墳群
■オオヤマト古墳群
・倭(やまと)
・大和(おおやまと)
と呼ばれている地域。
古墳時代の前期前半は奈良盆地の南東部にあたるオオヤマト古墳群に集中。
オオヤマト古墳群について。
・分布:佐保庄町から桜井市三輪町にかけての地域
・南北の距離:約4.5㎞
・主な古墳群:立地する丘陵と地域により北から順に
- 大和(おおやまと)古墳群
- 柳本(やなぎもと)古墳群
- 纏向(まきむく)古墳群
がある。
前方後円墳に限らず、前方後方墳などもある。
古墳の数は約40基とされる。
↓は天理観光ガイド、天理市観光協会
■大和古墳群
・馬口山古墳
規模は全長110m。
形式は前方後円墳。
築造は3世紀後半。
墳丘上から特殊器台型埴輪の破片が採取されている。
埴輪の起源に関わる年代の古墳とされる。
↓は天理市、馬口山古墳
・西殿塚古墳
規模は全長約230m。
形式は前方後円墳。
築造は3世紀後半。
古墳の周囲から円筒埴輪が出土、埴輪の起源となる特殊器台形土器とされる。
宮内庁はこの古墳を
継体天皇の皇后、手白香皇女衾田陵(たしらかのひめみこ)の陵墓とする。
しかし古墳は古く、箸墓の次につくられた大型古墳と考えられている。
なお、手白香皇女の墓は「西山塚古墳」が最有力視されている。
所在は萱生集落の西側、西殿塚古墳からは北西約500mの距離。
築造は6世紀初頭である。
・東殿塚古墳
所在は萱生町・中山町。
規模は全長139m。
形式は前方後円墳。
築造は3世紀後半。
埴輪祭祀の遺構から埴輪が多量に出土。
また周濠と周堤帯が発見されている。
船が描かれている円筒埴輪が3点発見されているという。
うち1号船画がもっとも詳細とされる。
船はゴンドラの形、7本の櫂が描かれている。
14人で漕ぐ大型船と解釈されている。
↓兵庫県立考古博物館スタッフブログ、東殿塚古墳の円筒埴輪に描かれた船が紹介されている
↓は天理市、東殿塚古墳
・中山大塚古墳
所在は中山町。
規模は全長約130m。
形式は前方後円墳。
築造は3世紀後半。
墳丘上から特殊器台の破片がみつかっている。
また竪穴式石室(長さ約7.5m)があり、葺石がみつかっている。
↓は天理市、中山大塚古墳
・下池山古墳
所在は成願寺町。
規模は全長約120m。
形式は前方後方墳。
築造は4世紀前半。
竪穴式石室(長さ 6.8m)がある。
内部から
- 木棺
- 鉄製品
などが出土している。
また石室の北西側に小石室が発見されていて、その内部から
- 内行花文鏡
が見つかっている。
↓は天理市、下池山古墳
↓はwikipedia、下池山古墳
■柳本古墳群
所在は奈良県天理市柳本町。
大和古墳群とは谷を隔て、南の丘陵の縁辺にある。
・黒塚古墳
形式は前方後円墳。
規模は130m。
築造は3世紀後半(もっとも早い場合で260年頃と推定する説もみられる)。
出土品として
- 三角縁神獣鏡:33面
- 画文帯神獣鏡:1面
があり、ほぼ埋葬時の配置であったとされる。
↓はwikipedia、黒塚古墳
・行燈山古墳
全長242m。
形式は前方後円墳。
築造は4世紀前半。
3段で築成されている。
墳丘周囲に周濠がめぐらされている。
周濠を含めると全長は360mになる。
後円部に竪穴式石室と推定される石室がある。
円筒埴輪、土師器、須恵器が出土している。
宮内庁から「崇神天皇山辺道勾岡上陵」と治定されている。
↓は天理市、行燈山古墳
↓はwikipedia、行燈山古墳
ja.wikipedia.org
・櫛山古墳
行燈山古墳のすぐ東側に隣接。
規模は全長約155m。
形式は前方後円墳だが、双方中円墳とも。
築造は4世紀前半。
- 竪穴式石室(長さ 7.1m)
- 長持形石棺の一部
がみつかっている。
腕輪形石製品類、鉄製品などが出土している。
柵形埴輪、囲いが見つかっている。
↓はwikipedia、柵形埴輪
↓は天理市、櫛山古墳
・天神山古墳
規模は全長約103m。
形式は前方後円墳。
築造は3世紀後半から4世紀前半。
墳丘の東側が消失している。
消失前に行われた発掘調査では
竪穴式石室(長さ6.1m)が見つかっている。
- 木棺の一部
- 鏡:23面、内行花文鏡をはじめとする
- 多量の水銀朱
が出土している。
・渋谷向山古墳
規模は全長約300m。
巨大前方後円墳。
築造は4世紀後半とされる。
宮内庁により「景行天皇山辺道上陵」とされている。
伝世品として天理市渋谷出土とされる石枕がある。
環濠から
- 円筒埴輪
- 蓋形埴輪
などが出土している。
景行天皇はヤマトタケルの父、300年前後の人物。
よって別の人物が埋葬されているとみられる。
↓は天理市、渋谷向山古墳
↓は渋谷向山古墳から出土した石枕(碧玉製石枕)
■纒向古墳群
箸墓古墳はおおよそ250年頃の建造とされる。
これより早い大型の古墳が纏向内に複数存在する。
箸墓古墳を含め221年頃~300年頃までの「纏向型古墳」が6つある。
・纒向石塚古墳(まきむくいしづかこふん)
・纒向勝山古墳(まきむくかつやまこふん)
・纒向矢塚古墳(まきむくやづかこふん)
・ホケノ山古墳(ほけのやまこふん)
・箸墓古墳(はしはかこふん)
・東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)
である。
過去記事を参照頂きたい。
↓221年~240年頃の築造とされる古墳群
■感想
本記事より、以下の順でおおよその歴史が展開したと推測される。
1.纏向の都市遺跡の建設(桃の種2000個、西暦135~230年の間)
↓
2.纏向型前方後円墳(築造は221年頃~300年頃)
↓
3.オオヤマト古墳群(大和古墳群、柳本古墳群)
↓
4.ヤマトタケルの東征の影響を受けていくか