シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

210.群馬の保渡田古墳群

関東の古墳群、群馬、埼玉、千葉の古墳群を紹介しつつ、古墳と神社、道路建設などの古代のインフラを整備していった歴史を紹介していきたい。
今回は群馬の古墳群「保渡田古墳群」を以下の順で紹介する。
・保渡田古墳群
榛名山の噴火の歴史
・二子山古墳
・八幡塚古墳
・薬師塚古墳
・かみつけの里博物館
・まとめ

■保渡田古墳群
榛名山の東南のふもと、井野川上流域の群馬県高崎市保渡田町・井出町に所在。3基の前方後円墳の総称。5世紀後半から6世紀初頭にかけて、二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の順で建造された。かみつけの里博物館で展示物がある。
↓はwikipedia、上空より保渡田古墳群を撮影したイメージ

ja.wikipedia.org榛名山の噴火の歴史
5世紀に火山活動が再開し、6世紀中頃までに 3回の噴火が発生。
1度目:400年~500年の間のいずれかの年
2度目:489年~498 年の間のいずれかの年
3度目:525年~550年の間のいずれかの年
とされる。おそらく2番目の噴火あたりから古墳建造が関係しているだろうか。
↓過去記事より

shinnihon.hatenablog.com

■二子山古墳
墳丘長は108m。高さは10メートル。
↓はwikipedia、二子山古墳の画像

ja.wikipedia.org

■八幡塚古墳(はちまんづかこふん)
5世紀後半に築かれた大型の前方後円墳。復元整備されている。墳丘は全長96m。墓域の長さは約190mに達する。古墳の被葬者は上毛野地域に勢力を持つ豪族の中でも代表的な人物であったと推測されている。前方後円墳以外に周濠、および中島が4か所存在。中島が何のために存在していたかは明らかになっていない。人物・動物埴輪群像の中には美豆良でカールの髪型の人物、帽子をかぶった鷹匠、琴を奏でる人物などが配置されている。
↓下記はニッポン旅マガジンによる画像

tabi-mag.jp

■薬師塚古墳
全長約105mの前方後円墳。5世紀後半の築造。周濠を含めれば全長は190mに達する。

■かみつけの里博物館
保渡田古墳群と同エリア内に建設された博物館。保渡田古墳群から出土したものが展示されている。
以下はじゃらんでのかみつけの里博物館・写真一覧のページ↓

www.jalan.net

■まとめ
489年~498 年で榛名山で400年代以降2度目の噴火あり
・5世紀後半から6世紀初頭にかけて、二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の順で建造された
・八幡塚古墳の被葬者は上毛野地域に勢力を持つ豪族の中でも代表的な人物であったと推測されている

■感想
・八幡塚古墳は現在は復元されたもの。当時として(現代においても)素晴らしい建築物。技術、見せ方において洗練された技術が伺える。

・時代的には関東の交通の要衝において道路、駅舎(馬のサービスエリア的なもの)を整備中。そして磐井の乱(527年)勃発前の時代。天皇(大王)の年代記としては仁賢、武烈、継体天皇あたり。

・八幡塚古墳は周濠に当時は水が張り巡らされている。私的な見解だが、これは前方後円墳の円墳の部分、中島の4か所の部分で円筒埴輪を使ってたいまつが灯され、祭祀および祭りが行われていたのではと考えている。円筒埴輪には高さがあり下部に空気を取り入れるための通気口の役割をする穴があいているものが出土している。土地を開墾したり、馬を育てたり、また榛名山などを拝みながら自然と共に暮らしていたであろうか。日本人が花火が好きなのは火の使い方が古来から争うためではなく、アニミズム大自然と共に生きる、的な生き方をしているためだと感じている。