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195.高松塚古墳とキトラ古墳

壁画で有名な「高松古墳」「キトラ古墳」を取り上げる。これらは600年代後半~700年代前半に建造された。その壁画は高句麗の江西大墓の河西3墓や黄海南道安岳郡の安岳3号墳との類似性がみられる。以下で詳細を紹介する。
高松塚古墳
 - 極彩色の壁画
 - 被葬者
 - 四神
 - 五行思想
高句麗の壁画
キトラ古墳
 - 被葬者
 - 壁画
 - 天文図
・まとめ
・豆知識~陰陽五行説

高松塚古墳
所在は奈良県高市郡明日香村。国営飛鳥歴史公園内に位置する。建造は694年~710年(藤原京期)と確定されている。古墳の形式は円墳で下段は直径23m、上段は18mとされる。

■極彩色の壁画
1972年、極彩色の壁画が見つかった。壁画は石室の東壁、西壁、北壁(奥壁)、天井の4面に存在する。その題材は「人物像」「日月」「四方四神」「星辰(星座)」の4つ。東壁では男子群像、四神の青龍、日(太陽)、女子群像が描かれている。西壁では男子群像、四神の白虎、月、女子群像が描かれている。奥の北壁では四神の玄武が描かれている。天井では星辰が描かれている。南壁には四神の朱雀が描かれていたと考えられているが、鎌倉時代に盗掘され失われたとされる。

■被葬者
不明。天武天皇の皇子説(忍壁皇子高市皇子弓削皇子ら)や、臣下説、朝鮮半島系王族説なども。時代的に高句麗が668年に滅亡したあとに建造された古墳であり、壁画は後述の高句麗の古墳の壁画と類似しており、埋葬者も高句麗系である可能性はありうる。
↓はwikipediaより
ja.wikipedia.org

↓は産経.comより、高松塚古墳の石室の構造がわかる

www.sankei.com

↓は朝日.comより東壁女子群像

www.asahi.com
参考:高松塚古墳は江戸時代は文武天皇の墓とされていた。文武天皇の陵は宮内庁では檜隈安古岡上陵とされるが、最終的に最新の説である「中尾山古墳」が真の陵であると考えられている。

■四神
中国の神話で天の四方の方角をつかさどる霊獣。東の青龍(せいりゅう)、南の朱雀(すざく)、西の白虎(びゃっこ)、北の玄武(げんぶ)。

五行思想
万物が火、水、木、金、土の5種類の元素からなるとする説にあわせ、麒麟黄竜を加えることも。青龍が木、朱雀が火、白虎が金、玄武が水、黄竜または麒麟が土とされる。相生(例えば木は火を生む)、相克(例えば火は金を溶かす)がある。

高句麗の壁画
高句麗の首都は現在の中国吉林省に首都であったが427年に平壌へ遷都、668年まで続いた。北朝鮮にある「江西大墓(カンソテボ)」の「河西3墓」には3つの古墳があり、「大墓」と「中墓」に四神図が描かれている。また別の場所となるが高句麗黄海南道(ファンヘナムド)安岳郡にある「安岳3号墳」では「力士」が描かれている。
↓は現代ビジネス:記事 高松塚古墳キトラ古墳の源流…北朝鮮高句麗古墳群」に残る壁画の奇跡 より

gendai.media
↓はYOTUBE 安岳3号墳壁画:力士が描かれている5:50に設定済み

www.youtube.com

キトラ古墳
所在は奈良県高市郡明日香村。明日香村の南西部、阿部山に建造された古墳。形式は円墳。四神を描いた壁画があり高松塚古墳と類似する。キトラは亀虎とも。建造年代は唐の文化的影響が高松塚古墳ほど濃くないとされる。遣唐使が日本に帰国した704年より前の7世紀末から8世紀初め頃ではないかとされる。

■被葬者
不明とされる。天武天皇の皇子、あるいは側近の高官の可能性が高いとされる。

■壁画
東、西、南、北の壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれている。四神の下に、それぞれ3体ずつ十二支の獣面人身像が描かれていると想定されている。しかしその発見は6体、北壁・玄武の「子(ね)」、東壁・青龍の「寅(とら)」、西壁・白虎の「戌(いぬ)」、南壁・朱雀の「午(うま)」「巳(み)」。

■天文図
天井には三重の円同心(内規、赤道、外規)と黄道、その内側に北斗七星などの星座、傾斜部に西に月像が、東に日像が描かれた天文図があり、東アジア最古の天文図である。277個の星が描かれている。
毎日新聞より画像がみえる(記事は有料会員のみ)

mainichi.jp

■まとめ
高松塚古墳の建造は694年~710年。キトラ古墳は7世紀末から8世紀初め、高松塚古墳ほど中国の影響を受けていないとされる。いずれも四神が描かれている。
高松塚古墳キトラ古墳高句麗の影響を受けている可能性が高い。
・現北朝鮮、江西大墓(カンソテボ)の「河西3墓」にも壁画に四神がみられる
黄海南道安岳郡の安岳3号墳では「力士」が描かれている

■豆知識~陰陽五行説
春秋・戦国時代に成立、方位を司る四神を吉祥(きっしょう)の守護神として鏡や印章に刻むことが流行したとされる。

<参考>
キトラ古墳 - Wikipedia
高松塚古墳 - Wikipedia
忍壁皇子 - Wikipedia
四神 - Wikipedia
五行思想 - Wikipedia