前記事で高松塚古墳とキトラ古墳を紹介し、星に関する「星宿図」「天文図」が描かれていることを示した。本記事ではその藤原宮とこれまでに紹介した天武・持統天皇陵、文武天皇陵などが「聖なるライン」で結ばれているという説や関連知識を下記にて紹介する。
・高松塚の星宿図
・聖なるライン
・北斗七星説
・菖蒲池古墳
・藤原宮(ふじわらのみや)
・まとめ
・豆知識
■高松塚の星宿図
高松塚古墳の天上にある「星宿図」。天文図の「北方七宿」などが描かれている。まず「二十八宿」について説明する。二十八宿は天球(つまり空)を28の星宿に分割(ただし不均等)したもの。まず大きく4つにわかれ、東方青龍、北方玄武、西方白虎、南方朱雀にわかれる。北方七宿は「斗宿」「牛宿」「女宿」「虚宿」「危宿」「室宿」「壁宿」にあたる。
↓は四国新聞社、高松塚古墳の天上の石が公開された際のもの
■聖なるライン
岸俊男氏が説いた説。藤原宮の中軸線の南延長線上に天武・持統天皇陵が収まると主張した。岸俊男氏は奈良県立橿原考古学研究所の所長を務めた経歴がある。書籍「古代史散策ガイド 巨大古墳の歩き方」によれば、藤原宮の中心線から菖蒲池古墳、天武・持統天皇陵、文武天皇陵が重なるとしている(※誤差はある)。
↓は個人の方のブログ:古代史探訪。緯度経度が紹介されている。
■北斗七星説
あるいは北斗七星になるとする説がある。菖蒲池古墳、天武・持統天皇陵、中尾山古墳(八角墳)、高松塚古墳(壁画古墳)、天武天皇陵、キトラ古墳(壁画古墳)、マルコ山古墳(六角墳)の順に線を描く。すると天子の象徴である「北斗七星」となる(※誤差はある)。
■菖蒲池古墳
橿原市の南東部、明日香村との境界線付近に位置。国内で最も優美な2基の家形石棺が納められている。7世紀頃の築造とされる。非常に精巧なつくりとされる。被葬者は不明。皇族あるいは蘇我氏の墓ではないかとする説がある。
↓下記にて、菖蒲池古墳の家形石棺が家形透視図で確認できる。
飛鳥資料館/飛鳥の古墳/菖蒲池古墳/ASUKA/syoubuike kofun
■藤原宮(ふじわらのみや)
奈良県橿原市に建てられたとされる宮殿。2つあり、5世紀のもの、7-8世紀(694年~710年まで)のものがある。1つめの藤原宮は、允恭天皇の妃、弟姫(衣通郎姫)のために建てられたとされ日本書紀によると418年12月~419年2月までの3か月ほどで建てられたとされるため、伝説的な内容であるとも。2つめの藤原宮は持統天皇が造った藤原京の宮殿。690年に太政大臣の高市皇子が宮の場所を視察、694年12月に天皇が遷ったとされる。
■まとめ
時代的には藤原宮(2度目)は694年頃、高松塚古墳、キトラ古墳も7-8世紀(694年~710年)頃。このあたりで高句麗からの亡命者や遣唐使からの影響を受け、天文学などを応用した壁画、建築が行われた。
■豆知識
緯度経度つながりで下記のような話がある
・箸墓(奈良県桜井市箸中)と斎宮(三重県多気郡明和町)が東西でほぼ一致
・藤原宮と天智天皇 山科陵 (御廟野古墳))が南北でほぼ一致
<参考>
・「古代史散策ガイド 巨大古墳の歩き方」
・二十八宿 - Wikipedia
・菖蒲池古墳 - Wikipedia
・藤原宮 - Wikipedia