今回は把頭飾のある柄のある銅剣「把頭飾付有柄青銅剣(はとうしょくつきゆうへいどうけん)」をテーマとし、5つの遺跡をとりあげる。3世紀から4世紀には吉野ケ里遺跡で集落から主力の人たちが移動したことがわかる。次の流れで紹介していく。
・1.吉野ヶ里遺跡墳丘墓(佐賀県)
・2.王屋敷遺跡(山口県)
・3.三雲南小路遺跡(福岡県)
・4.柏崎遺跡(佐賀県)
・5.(参考)茶戸里1号墓(韓国)
・まとめ
■1.吉野ヶ里遺跡墳丘墓(佐賀県)
所在は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 。
吉野ヶ里遺跡からは旧石器時代~近世までの遺物が出土している。
昭和27年に行われた三津永田遺跡の発掘調査にて多数の甕棺が出土した。
そのひとつから人骨、そして中国の前漢時代(紀元前206年~紀元後8年)の銅鏡・連弧文昭明鏡(れんこもんしょうめいきょう)が出土している。
北墳丘墓からは
・有柄銅剣
・ガラス管玉
などが出土。
棺の形から紀元前1世紀頃のものとされる。
北墳丘墓は歴代首長の墓だったと考えられている。
↓は佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品
なお同時代の中国ではどのような時代であったか。
漢武帝が紀元前108年に楽浪郡(らくろうぐん)、真番郡、臨屯郡を、紀元前107年に玄菟郡を設置した頃である。
↓にて吉野ケ里歴史公園のページにて「吉野ヶ里遺跡関連年表」が確認できる、よくまとまっている
吉野ヶ里遺跡は弥生時代以後、どうなっただろうか。
3世紀の終わりから4世紀の始め頃、吉野ヶ里の集落は突然途絶えたとされる。
その理由とはなんだろうか。
これはこの頃、ヤマトタケルが九州地方から東征したためと考えられる。
↓googlemap、吉野ケ里歴史公園、遺跡の所在が確認できる
■2.王屋敷遺跡(山口県)
所在は山口県長門市油谷(やまぐちけんながとしゆや)。
向津具地区(むかつくちく)に本郷盆地を中心に古墳などが分布する。
うち「王屋敷遺跡」では弥生時代中期(紀元前2~1世紀)の有柄細形銅剣(ゆうへいほそがたどうけん)が出土している。
銅剣は大陸製で剣身、柄、把頭飾すべてが青銅一鋳によるもの。
これは極めてめずらしいとされる。
把頭(つかがしら)に触角形の突起がある。
残存している剣の長さは44.1㎝。
王屋敷遺跡は日本海に突出する向津具半島の先端、標高約57mの丘陵上に位置するとされる。
↓は山口県立山口博物館、王屋敷遺跡から出土した銅剣(複製)、画像で確認できる
把頭飾付有柄細形銅剣(複製)
なお同地区の「本郷山崎遺跡」では弥生時代前半の灌漑用と思われる溝、石包丁などが見つかっている。
↓長門市、本郷山崎遺跡の発掘調査に関するページ
向津具で遺跡発掘調査説明会 - 長門の話題 - 長門市ホームページ
■3.三雲南小路遺跡(福岡県)
所在は福岡県前原市。
伊都国の王都が三雲南小路遺跡・井原遺跡一帯であったと推定されており、その三雲南小路遺跡にて剣が出土している。
大きさ32m×31mの方形墳丘墓がある。
甕棺は弥生時代中期後半のものとされる。
1号甕棺からは
・前漢鏡:35面
・連弧文清白鏡
・雷文鏡
・重圏文鏡 など
・金剛四葉座飾金具:8個
・ガラス壁片
・青銅製武器
・銅剣
・銅矛
・銅戈
など計4口
・ガラス勾玉:3個
など
2号甕棺から
・小型鏡:22枚
・ガラス製勾玉
・硬玉製勾玉
が出土している。
遺跡の発掘は江戸時代にまで遡り、甕棺の棺外から
・有柄中細形銅剣:1点
・中細形銅戈:1点
・朱入小壺:1点
などが出土している。
↓は糸島市公式チャンネル、三雲南小路遺跡
↓では伊都国の王都を紹介の際に三雲南小路遺跡を扱った回
shinnihon.hatenablog.com
↓では吉武高木遺跡を紹介、奴国、伊都国とともに三雲南小路遺跡が登場した回
なおこの三雲南小路遺跡から110mほどの距離に
「細石神社(さざれいしじんじゃ)」がある。
「さざれいし」は君が代にも登場する意味深い言葉。
地理的には志賀島(陸づたいだと45kmではあるが)とも近い。
志賀島の話は別途取り上げる。
祭神は
・磐長姫
・木花開耶姫
の2人の姉妹を祀っている。
↓はwikipedia、細石神社
■4.柏崎遺跡(佐賀県)
所在は佐賀県唐津市。
有柄式銅剣の一種、触角式柄頭銅剣(しょっかくしきつかがしらどうけん)が出土している。
弥生時代中期、紀元前2世紀~紀元前1世紀の剣とされる。
柄頭(つかがしら)が蝶の触覚のような形をしている。
その起源は北方ユーラシアの青銅器文化にあるとされる。
↓は文化遺産オンライン、佐賀県唐津市から出土した触角式柄頭銅剣
■5.(参考)茶戸里1号墓(韓国)
茶戸里1号墓の所在は韓国、慶尚南道昌原市。
↓は韓国、慶尚南道昌原市、まずはエリアのご確認を。韓国側の対馬の手前の地域にあたる。
茶戸里1号は
・朝鮮半島で最も早い時期の木棺墓群のひとつ
・棺の下の床面中央に副葬品を納めるための穴が掘られている
・穴の中にかごが置かれている
そこから以下のものが出土している。
武器類
・漆塗の鞘がついた韓国式銅剣、鉄剣
・銅矛
・鉄矛
・鐵鏃
鉄製の農具類
・タビ(唐鋤より小さく先が細い農具)
・鉄斧
装身具
・中国の鏡や帯鉤
・翡翠
ほか
・漆器
・扇
・馬鐸
・五銖銭
・筆
などの遺物が出土。
この墓の築造年代はいつか。
中国の鏡や五銖銭から紀元前1世紀後半とされる。
弁韓は豊富な鉄鉱山、製鉄技術を有し、楽浪、倭に鉄を供給、また鉄を貨幣のように使用。
また弁韓の支配勢力は、鉄の生産と統制、貿易によって富を蓄積し、これを土台として権力を維持、拡大していったと考えられている。
よって、茶戸里遺跡は弁韓の支配階層の墓であった。
そのうち最も多くの副葬品が出土した1号墳の被葬者が弁韓の支配者であったと考えられる。
↓は慶尚南道昌原茶戸里遺跡、画像で剣が確認できる
■まとめ
把頭飾付有柄青銅剣(はとうしょくつきゆうへいどうけん)をテーマとし古代を紹介した。
・吉野ヶ里遺跡墳丘墓(佐賀県)
- 中国の前漢時代(紀元前206年~紀元後8年)の銅鏡・連弧文昭明鏡(れんこもんしょうめいきょう)が出土
- 有柄銅剣は紀元前1世紀頃のもの
- 吉野ヶ里の集落は3世紀の終わりから4世紀の始め頃に突然途絶えた
・王屋敷遺跡(山口県)
- 有柄細形銅剣(ゆうへいほそがたどうけん)は弥生時代中期(紀元前2~紀元後1世紀の間)
・三雲南小路遺跡(福岡県)
- 方形墳丘墓の甕棺は弥生時代中期後半のもの
- 甕棺の棺外から有柄中細形銅剣が出土
・柏崎遺跡(佐賀県)
- 触角式柄頭銅剣(しょっかくしきつかがしらどうけん)は弥生時代中期、紀元前2世紀~紀元前1世紀
- 柄頭(つかがしら)は蝶の触覚のような形、起源は北方ユーラシアの青銅器文化
・茶戸里1号墓(韓国)
- 紀元前1世紀後半、弁韓の首長墓とされる
吉野ヶ里遺跡より、3世紀末から4世紀に吉野ケ里の集落から消えた人たちがいたことがわかった。
<参考>
・有柄細形銅剣 - 長門市ホームページ
・第5章 弥生時代の社会 1.社会組織・階層 | 弥生ミュージアム
・三雲南小路遺跡 - Wikipedia
・三雲・井原遺跡 - Wikipedia
・漢四郡 - Wikipedia
・楽浪郡 - Wikipedia