シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

306.山幸彦と海幸彦の釣り針交換物語に込められているのは渡来の起源?

前々記事にて日本国の始まりの手がかりとなるヒコホホデミは紀元前660年頃に生まれた人物ではないかと考察した。今回はヒコホホデミとされる山幸彦(ヤマサチヒコ)と海幸彦(ウミサチヒコ)のエピソードを紹介する。次の流れで紹介していく。

・山幸彦と海幸彦を通して描かれる神話
・山幸彦と海幸彦
・塩椎神(しおつちのかみ)
・ホオリと豊玉媛の侍女
・豊玉媛とホオリの出会い
・海神とホオリ
・ホオリの深いため息
・綿津見国の魚たち
・綿津見の助言
・綿津見とワニ
・考察~山幸彦と海幸彦の文章構造~

■山幸彦と海幸彦を通して描かれる神話
天孫族と隼人族との闘争が神話として描かれているという。

山幸彦は火遠理命(ホヲリノミコト)あるいは日子穂々出見命とも呼ばれる。
一方の海幸彦は火照命(ホデリノミコト)とも呼ばれる。

山幸彦は日子穂々出見命、天孫族
一方の海幸彦は火照命、隼人の阿多君の始祖。

これは何を意味するのだろうか。

日本の始まりにおいて南九州は天之御中主を輩出した土地であった。
時代が下り、九州・ヤマト国のヒミコの頃には既に衰退していた。
そして古事記や日本書記が成立した頃には南九州のかつての反映は既に遠い昔の神話となっていたのだろうか?

それとも天孫・ヒコホホデミを山幸彦とし、海幸彦との対比構造において渡来人の歴史を暗示する物語を創作したものなのだろうか?

以下に山幸彦と海幸彦の物語を示す。

■山幸彦と海幸彦
兄の火照命(ほでりのみこと)は海幸彦(うみさちひこ)として海の幸を得て暮らしていた。
弟の火遠理命(ほおりのみこと)は山幸彦(やまさちひこ)として山の幸を得て暮らしていた。

あるときのこと。
弟の火遠理(以下、ホオリ)が、兄の火照命(以下、ホデリ)にある提案をした。

「お互いの猟具を交換しよう」

ホオリは三度も兄のホデリに提案した。
しかしホデリは受け入れなかった。

やっとのことで交換してもらえた、あるときのこと。

ホオリは海の道具で魚を釣ってみた。
しかし一匹の魚も釣ることができなかった。
そのうえ釣針(つりばり)を海中に落としてしまう。

このとき、兄のホデリがこう言った。

「山の獲物をとるのも、海の獲物をとるのも、道具があってこそのことだ。
道具を元どおりに返して欲しい。」

兄のホデリが責めるので、弟のホオリはしかたなく、
十拳剣(とつかのつるぎ)を壊し、五百本の釣針をつくって償うことにした。
しかし、これを兄は受け取ってくれなかった。

ホオリは今度はさらに千本の釣針をつくった。
それでもホデリは受け取とってくれなかった。
そしてあいかわらず「元の釣針を返せ」と言うのだった。

■塩椎神(しおつちのかみ)
ホオリは泣き、憂いた。
ホオリが海辺を歩いていたとあるときのこと。

塩椎神(しおつちのかみ)が現れてホオリに尋ねた。

「どのような理由で虚空津日高(そらつひこ※)は泣いているのか?」
※虚空津日高:皇位を継ぐ尊い御子

ホオリはそのわけを塩椎神に話したのだった。
すると塩椎神は、
「あなたのためによい案がある」
と言った。

そして隙間なく籠(カゴ)を編み、小船を造った。
その船にホオリを乗せて言った。

「私がこの船を押し流ので、しばらくそのままお進んでください。
よい道があるでしょう。
その道に従って行けば魚の鱗のように並び立つ宮殿がみえるでしょう。
そこが綿津見神(わたつみのかみ)の御殿です。

その神の御門に着いたら、近くの井のほとりに枝葉の茂る桂の木があるでしょう。
その木の上に行ってください。
海神の娘があなたを見つけ、うまく取りはからってくれることでしょう。

■ホオリと豊玉媛の侍女
ホオリは教えに従い道を進んだ。
塩椎神の言葉どおりであった。
そして桂の木の上に登った。

すると海神の娘の豊玉媛の侍女が
玉のように立派な器を持っていた。
そして井の中の水をくもうとする、そのときのことであった。

井の中に人影が写る。
侍女は仰ぎ見る。
そこには麗しい男がいた。
侍女は不思議に思った。

ホオリは侍女に「水が欲しい」と言った。
侍女は水をくんだ。
そして立派な器に入れてホオリに差し出した。

しかし、ホオリは水を飲なかった。
そしてネックレス(トンボ玉)をほどいた。
その玉を口に含み、唾とともに器に吐き出した。

すると玉は器にくっついた。
侍女は玉を離すことができなかった。
玉がついた器を豊玉媛に差し出した。

■豊玉媛とホオリの出会い
豊玉媛は器に入った玉を見た。
そして侍女に、「誰か門の外にいるのですか?」と尋ねた。

侍女は答えた。
「井のほとりの桂の木の上に人がいます。
立派な男性です。

わが君にも勝る、貴いお方です。
なので水を差しあげました。
しかしお飲みになりません。
そこでこの玉を器に吐き出しました。
玉を離すことができませんでした。
なのでそのまま器を持って来ました。」

それを聞いた豊玉媛は不思議に思い、そして外に出た。
ホオリの姿を見るなり感じ入った。
互いに視線を交わした。

■海神とホオリ
豊玉媛は父に言った。

「宮の門の前に、立派なお方がいます」

海の神は外に出た。
そして次のように言った。
「この方は天津日高(あまつひこ)の御子、
虚空津日高(そらつひこ)です」

海の神はホオリを宮の中へと案内した。
アシカの皮の畳を何枚も敷き、
さらに太い絹の畳を重ねて敷いた。
その上に座らせた。
そして台の上にたくさんの品々を載せ、ごちそうをふるまった。

海の神はホオリと娘の豊玉媛と結婚させた。
ホオリはその綿津見国(わたつみのくに)に三年間、滞在した。

※桂の木+三年間:
次の話と類似点がみられる。
応神14年(403年)、百済から弓月の君が渡来、その際、葛城襲津彦加羅に遣いとして赴いた。
しかし3年たっても葛城襲津彦は帰国しなかった。

■ホオリの深いため息
ホオリは自分がこの国に来るに至った経緯を思い出し、
深いため息をついた。

それを見ていた豊玉媛は父に言う。

「夫はこの国に三年も住んでいます。
ふだんはため息をすることはありませんでした。
しかし昨夜は大きなため息をしました。
何かわけがあるのでしょう」

綿津見は婿のホオリにため息の理由を尋ねた。

ホオリは兄が釣針を返せ、
と責めたてるさまを綿津見に話した。

■綿津見国の魚たち
これを聞いた綿津見は大小すべての海の魚を招集する。
そして魚たちに尋ねるのであった。

「この中にこの釣針を取った魚はいないか?」
多くの魚たちが答えた。

「この頃、鯛がのどに骨が刺さり、物が食べられないと心配しています。
鯛が取ったに違いありません」

綿津見が鯛の喉を探したところ、釣針を見つけた。
それを取り出して洗い、ホオリに献上した。

※鯛は御食とも関連する魚
鯛=淡路、エビスとして暗示している可能性あり。

■綿津見の助言
綿津見はホオリに言った。

この釣針を兄にお返しをする際に、
次のように言いなさい。

この釣針は、
・ぼんやり釣針
・よろめき釣針
・貧乏釣針
・うつけ釣針

と言い、後ろ手に渡してください。

兄が高い場所に田をつくるなら、あなたは低い場所に田をつくりなさい。
兄が低い場所に田をつくるなら、あなたは高い場所に田をつくりなさい。

わたしは水を支配しています。
三年の間に、兄は貧窮に苦しむでしょう。

あなたを恨み、戦いを挑んできたならば、
潮が満ち溢れる玉を出して溺れさせなさい。

もし憐れみを乞うのなら、
潮干の玉(しおひのたま)を出して助け、
悩まし、苦しめておやりなさい」

と。

綿津見はホオリに
潮の満ちる玉、
潮の干る(ひる)玉、
あわせて二つを授けた。

■綿津見とワニ
すべてのワニ(鮫)を招集した。
そして問い尋ねた。

「天津日高(あまつひこ)の御子の虚空津日高(そらつひこ)が、
上の国においでになろうとしている。

どれほどの日数で送り、
そして帰ってこられるのか。
報告できるものはいるか?」

ワニたちはそれぞれの身長に従い、日数を伝えた。

その中で一尋(ひとひろ)ワニが

「私は一日でお送りし、すぐに帰ってまいります」
と言った。

そこで綿津見はその一尋ワニに言った。

「それならおまえがお送りしなさい。
海の中を渡る際、恐ろしい思いをさせてはならぬぞ」

■佐比持神(さひもちのかみ)
ワニはホオリを首に乗せて送り出した。
そして約束どおり、一日で送り出した。

そのワニが帰ろうとしたとき、
ホオリは腰に身に着けていた小刀の紐をほどいた。
そしてワニの首につけて帰した。

このことからその一尋ワニを、
今では佐比持神(さひもちのかみ)という。

■ホデリの子孫、隼人
こうしてホオリは、
綿津見の教えのとおり、
兄に釣り針を返した。

するとホデリはだんだんと貧しくなった。
さらに荒々しい心を起こし攻めて来た。

兄が攻め来るときは潮満つ玉を出して溺れさる。
兄が憐れみを乞えば潮干る玉を出して助ける。

こうして兄のホデリは額を土にこすりつけて言った。
「これからはあなたを昼も夜も守る者となってお仕えします」

それで今に至るまで、ホデリの子孫である隼人(はやと)は、
ホデリが溺れたときのしぐさを演じ、
絶えることなく宮廷に仕えている。

■考察~山幸彦と海幸彦の文章構造~
どのようなストーリーであるのか、その文章や構造をチェックする

・ヒコホホデミである山幸彦は天孫、そのうえで山幸彦との関係性を描写している

・話の筋は山幸彦と海幸彦の釣り針に端を発した兄弟ゲンカ

・「交換」に関するエピソードは記紀ではほか、天皇の名前の交換の話などがみられる

・その対立の構図、そして一尋ワニにみられるどちらが早い?というスピード争いは
因幡の白兎(稲羽の巣兎、ウサギとワニ)にも類似する

・浦島太郎の元ネタであると考えられる。
なお浦島太郎の話は瑞江浦嶋子にもみられる。
↓は過去記事、浦島太郎の元になった瑞江浦嶋子

shinnihon.hatenablog.com

・400年頃の史実の一部を使って内容を膨らませていると考えられる部分がある

・塩椎神(しおつちのかみ)の箇所では次のキーワードを埋め込んでいる
 - 塩椎神=知識を象徴、シオンはイスラエルの歴史的な地名
 - 綿(海 ⇔ ワタ ⇔ イト)
 - 籠目(六芒星
 - 海、小舟、渡来手段
 - 桂の木+三年間=葛城襲津彦を示すのでは

・額を土にこすりつける、というのは土下座の起源なのでは

以上から推測の域を出ないが、

・ワニは王仁(ワニ)、応神天皇の時代に百済から渡来した人物を暗喩している

・兄弟ゲンカの話に、海幸彦に隠れた民族の歴史が埋め込めたのでは

・先に来た民族(海洋ルート)と後に来た民族(草原の道ルート)の闘争を象徴か

イザヤ書は紀元前701年~紀元前681年の間に書かれたと言われている。もっとも初期の渡来はそれ以降、紀元前660年頃~紀元前150年頃の間に可能性がある。

<参考>
・新版古事記 現代語訳付き 中村啓信 角川文庫
山幸彦と海幸彦 - Wikipedia