淡路(アワジ)にたどり着いた民族とは。また、古事記に残る「伊予之二名島」に込められた秘密とは。次の流れで紹介していく。
・淡路島にたどり着いていたユダヤ人
・古代イスラエル文化遺跡
・ナフタリ族のシンボルである鹿の指輪とダビデ紋章の指輪
・古事記の中のイヨのフタナジマ
・沼島の上立神岩とおのごろ島
■淡路島にたどり着いていたユダヤ人
淡路洲本市古茂江に古代イスラエルの遺跡が発見されている。
ホテルニューアワジ別亭、「淡路夢泉景」内に古代ユダヤ人の遺跡がある。
↓は淡路島へようこそ!のトップページ
↓鳴門タクシー株式会社、ユダヤ遺跡が紹介されている
■古代イスラエル文化遺跡
同じく、「淡路夢泉景」内の小磯という海岸にて、古代イスラエル文化遺跡が見つかっている。
「淡路の神秘、エル、エロへ、イスラエル / 武智時三郎」によると、自然の岩盤の裂け目を利用、女の陰部(ほど)の彫像であるとされる。
↓淡路島に残るイスラエルの足跡 などにて古代イスラエル文化遺跡が紹介されている
■ナフタリ族のシンボルである鹿の指輪とダビデ紋章の指輪
古代ユダヤ人のものと考えられる2つの指輪が1952年、菰江(コモエ)古代ユダヤ遺跡にて発見された。
その後1959年の伊勢湾台風にて遺跡は流された。
ただし、遺跡からは
・ナフタリ族のシンボルである鹿(シカ)が刻まれた指輪
・ダビデ紋章(六芒星)が刻まれた指輪
・石
が発見されている。
シカの指輪の製作年代はBC1620年、出エジプトの前の時代と推定されている。
※注:渡来の年代とは異なると思われる
石には文字が刻まれている。
ヘブライ語にて「ガル・コデッシュ」。
聖なる石山、あるいは聖なる波と解釈される。
注:今回はあえてリンク先の掲載を控えるが、googleなどにて「ナフタリ族 指輪」などと検索すると引っかかる。
■古事記の中のイヨのフタナジマ
ナフタリ族が淡路にいたということを事実としたとき、古事記に気にかかるものに「伊予之二名島」がある。
古事記においてイザナギ、イザナミは国生みを行い、大八島を生む。
その大八島国とは
・淡道之穂之狭別島
・伊予之二名島(イヨのフタナジマ)
・隠伎之三子島
・筑紫島
・伊岐島
・津島
・佐度島
・大倭豊秋津島
である。
四国を伊予之二名島(イヨのフタナジマ)とする。
そしてさらに伊予之二名島を次のように紹介する。
身一つに面が四つある。
その四つの内、
伊予国を愛比売といい、
讃岐国を飯依比古、
阿波国を大宜都比売、
土佐国を建依別という。
ナフタリ族の「ナフタリ」を「名前が二人、ふたつ」という言葉遊びにしているのだろうか。そうだとすれば、このとき、四国を名前が2つあるという「フタナジマ」としたうえで、名前が2つのナフタリと、二つの名前の島であるフタナジマをかけていることになる。
■沼島の上立神岩とおのごろ島
兵庫県南あわじ市沼島に上立神岩は存在する。
矛の先のようでもあり、また、女性の陰部(ほど)を形どったような岩となっている。
淡路島の古代イスラエル文化遺跡と極めて類似性が高く、おそらくこの島が「おのごろ島」ではないだろうか。淡路と近いことや沼が地名に入っているためだ。
おのごろ島はイザナミ、イザナギが天地創生のあと、天の沼矛(あめのぬぼこ)でかき混ぜてつくった島。
↓はgooglemap、上立神岩
<参考>
・淡路の神秘、エル、エロへ、イスラエル / 武智時三郎