シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

127.日本人のルーツと天之御中主神が築いた高千穂峰の王国

いよいよ日本史の真相と核心に迫っていく。ここでは1つめに日本人のルーツ。2つめにそのルーツから生まれた海洋民族としての歴史。3つめに九州南部の高千穂峰で勢力を築いた王国。4つめに日本建国草創期のメンバー。5つめに須佐之男新羅遠征に至るまでを紹介する。次の流れで紹介していく。

・日本の国土形成
・日本人の源流
・海洋民族・日本
・九州の高千穂峰の王国の歴史
伊邪那岐家の人びと
須佐之男命と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
・天之岩戸隠れ

■日本の国土形成
日本の国土が形成されたのは今から何十万年も前であるが、現在の日本の形がほぼできてきたのはおよそ3万年前。
そして日本は約2万年前は大陸と陸続きであった。
特に北海道は北方とつながっていた。
また、氷河期が2万1千前に最盛期を迎え1万年前には終了する。
これは歳差運動の半分の周期である。ある寒い時期から暖かくなる周期にむかっていったというとこだろう。そしてだんだんと日本の国土に人々がやってくるようになる。
渡来ルートは北方ルート、西方ルート、南ルートがある。

神話の中に日本の国土形成のエピソードがある。
神話の「国生み」はその八島をつくっていった過程が示されている。
長い年月をかけ、龍形の島国となっていったことを表していると考えられる。

■日本人の源流
かつて太平洋のポリネシアを中心とした大きな大陸と文明があった。
太陽からのエネルギーの活用した動力源をつくるなど高度な文明を築いていた。
しかし植民地をつくるなどした。
そして不調和なエネルギーがたまって結果として大陸が沈む原因をつくってしまう。
1万5千3百年前頃(紀元前1万3千年頃)から大陸が没していく。
しかし船を使って逃れた人々が複数いた。

それが、アジアでは中国、ベトナム、日本。
南米のアンデスへ逃れたものがのちのアンデス・インカ文明の祖となっていく。
イースター島と台湾の島の方々のDNAが一致することが判明している。
これは上記に由来するものと考えられる。

日本へは数百人が海路でやってきた。
場所は九州南部、薩摩隼人の気質をもつ方々の祖先がこの人々と考えられる。これにより文化が芽生えていく。

先住民にとって古代文明の人びとが用いた科学技術は神さまであるかのように映ったと考えられる。そのときの伝承が残って日本の天孫降臨などの神話の土台となったと考えられる。

■海洋民族・日本
古来から日本は海洋民族国家である。
紀元前3000年~紀元前2000年あたりの時代にも帆船をつくり日本海や太平洋を往来した。

西東京市の下野遺跡などにおいても古くは30,000年前からの石器が出土する。また日本各地とのネットワークもみられ、弓矢の先につける石鏃(せきぞく)から伊豆の神津島、信州の和田峠などを産地とするものが発見されている。海路を使った往来があったことがわかる。

鯨からロウをとって鯨蝋(げいろう)としたり、あるいは鯨の皮を使ってテントにしたりということをしていたそうだ。

そして稲作の渡来が紀元前1,000年頃から始まる。
「稲作民族」が渡来してきたといえる。

■九州の高千穂峰の王国の歴史
日本は2,800年前より日本文明の草創期に入る。
紀元前830年頃に天之御中主が九州の高千穂峰に生まれる。
そして大きな勢力圏を築いていく。
高千穂とはどこなのだろうか。
高千穂峰は鹿児島と宮崎にまたがる宮崎川を中心としていた。
その後、高御産巣日神が2代目、神産巣日神が3代目の国王であった。

天照大神はこの王国の女王である。
ただし天照は高千穂峰の出身ではない。
その能力から大分の豪族から呼ばれた。
6代目頃の女王にあたる。
その優れた徳治能力により日本で初めての女王が誕生、九州における伝説となり信仰の対象となった。

伊邪那岐家の人びと
伊邪那岐イザナギは紀元前765年頃、大分県に生まれる。
伊邪那美イザナミと24歳(紀元前741年頃)のときに出会い、結婚する。
イザナギイザナミの間に子供が生まれる。
娘が天照大神こと大日孁貴神(オオヒルメノムチ)である。
須佐之男命は天照大神の2歳下の弟。

2人の性格はどうであったか。
姉は穏やかでおとなしかった。
一方の弟は荒々しい性格であった。
2人の性格は対照的だった。

これは時代による役割の違いとも考えられる。
人格や秩序として人びとから慕われ、まとめあげていく天照の役割と、時には言葉で言ってもわからない認識レベルであるため、力でもって統合していくというアレクサンドロス大王のような役割を須佐之男命がもっていたからなのかもしれない。

須佐之男命と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
天照の在位期間はおよそ20年間。
その在位3年目に須佐之男命が中国地方・出雲の国へと東征を行う。
その際、豪族側より戦いを避けるための条件の申し出があった。
その条件とは。
出雲の国の簸川(ひのかわ)の上流にいる八岐大蛇という怪物を退治して欲しい。
勝てば奇稲田姫(くしなだひめ)を差し出すとする。

この大蛇を倒した際に体の中から出てきた剣が天叢雲剣である。
須佐之男命はこれを天照大神に献じる。
これが「ヤマタノオロチ伝説」。
そして三種の神器のひとつ「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」。
のちにヤマトタケルが使った草薙剣(くさなぎのつるぎ)の由来である。

■天之岩戸隠れ
天照が荒々しい須佐之男命のことなどで機嫌を損ね天之岩戸に隠れる。
天照は岩戸で何をしていたのだろうか。
天照は須佐之男命の乱行の鎮まりを祈願しようとしていた。
当時、数万人の人びとが天照たち女王とともに暮らしていた。

人びとは天照が活躍なしなくなったため、人びとは気分が落ち込み、停滞してしまう。

そこで人々は策を練って天安河原に集って酒盛りをすることにした。
天宇受売命などが踊り、歌って騒いだ。
天照は外があまりにも賑やであったため天の岩屋から顔を出した。
それを見計らった天手力男命が天照の手を取って外に連れ出すことに成功した。

こうして天照は八十日ぶりに岩戸から出たとされる。
これを機に、天照と須佐之男命と和解した。
しかしそれもいっときのことだった。
その後も須佐之男命はたびたび天照を困らせた。

須佐之男は朝鮮、新羅に遠征をした。
これを機に天照は須佐之男命を高千穂国から追放することになった。

神話の中で須佐之男命と新羅に関係があるのはこのためである。
また渡来人の中に倭人がいるのもこのためと考えられる。

<参考>
78.新・日本のスゴイところ10選 - シン・ニホンシ
96.アンデス・インカ文明に多い空にまつわる遺物と頂上に台座のあるピラミッド - シン・ニホンシ