シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

26.近代革命と産業革命、日本で起きたフェートン号事件

キリスト教教皇の力が弱まっていく中で、国王の力が強まって絶対王政が敷かれていきました。そのような中で国王の権利を制限し、議会を発達させていく政治基盤がつくられます。また新たな発明、新技術によって経済や社会が大きく変わります。近代革命、産業革命です。


立憲君主制と議会政治のスタート


17世紀から18世紀、イギリスでは政治が国王と議会の間で行われていました。しかし国王が議会を無視する政治を行います。国王軍・チャールズ1世と議会の独立派を主導したクロムウェルが戦います。やがて議会側が勝利、国王を処刑して共和制を樹立します。これがピューリタン革命(1642-1649年、別名:清教徒革命)です。その後、クロムウェルは護国卿となります。最後は独裁的な権力を握ったため、彼の死後、王政が復古しました。しかしその後に議会を尊重する国王が選ばれ「権利の章典(別名:マグナカルタ)」が成立します。名誉革命(1688-1689年)です。立憲君主制、議会政治の始まりです。


大統領制の国、アメリカの誕生


イギリスの植民地として始まったアメリカでは、18世紀後半、イギリスからの一方的な課税に対して反抗します。独立戦争を起こします(1775-1783年)。1776年には独立宣言を発表、1787年には合衆国憲法を定め、世界初の大統領制の国家が誕生します。なおアメリカでは独立戦争での死者は5万程度でしたが、その後、南北戦争(1861年~1865年)では北軍、南軍あわせて約50万人が死亡したと言われています。南北戦争奴隷制による、経済格差や人種的な不平等を是正するためのその後の自由の国アメリカ、人種のるつぼとして、大きな革命であったといえるでしょう。
南北戦争
黒人奴隷を使用した自由貿易を主張する南部と、国内市場の統一や保護貿易を主張する北部が対立。奴隷制に反対するリンカーンの大統領当選を契機に戦争へと発展。
北部の奴隷解放宣言、南部の降伏で終結


産業革命と資本主義の誕生


産業革命はイギリスから始まります。18世紀中旬から19世紀初頭までの時代です。産業革命は主にの3つの革命にわけることができます。
1つめは技術革命:
 ミュール紡績機などによって綿糸、綿布などの大量生産が可能になりました。
2つめは動力革命:
 水蒸気の熱エネルギーを回転運動に変換、利用する蒸気機関が生まれました。
3つ目は交通革命:
 蒸気機関を利用した汽車や蒸気船によりヒト・モノの大量輸送が可能になりました。
結果、モノをつくる機械や工場を持つ「資本家」と、賃金をもらって働く「労働者」からなる「資本主義」ができました。のちにこの産業革命が各国に伝わっていきます。


■資本主義の不安が顕在化し社会主義が誕生


産業革命により貧富の差が拡大していきます。そこで労働者たちは労働組合をつくり、
生活や権利を守ろうと労働運動を行います。その結果、労働者を守る法律が成立します。また、資本主義を批判し、労働者を中心とした社会を目指す考え方として、「社会主義」が生まれました。


ナポレオン戦争


一方、フランスでは絶対王政の時代、度重なる戦争や宮廷の浪費が財政を圧迫します。そのしわ寄せは国民に影響、民衆の不満が爆発、1789年7月にはバスティーユ牢獄を襲撃し、フランス革命(1789年~1799年)が始まります。そしてナポレオンが1804年、国民投票によって皇帝になります。フランス革命、ナポレオンを通じた”フランス”の死者数は100-200万人に達すると言われています。戦争全体では490万人程度です。当時のフランスの人口は3000万人程度で、相当数の死者を出しています。なお日本の明治維新では、戊辰戦争で1万2千人程度、西南戦争で1万5千人程度と言われます。いかに日本の明治維新での死者が少なかったかが伺えます。
参考:
図録▽世界の主な戦争及び大規模武力紛争による犠牲者数


■日本で起きたフェートン号事件ナポレオン戦争の余波


日本とも交流のあったオランダが、ナポレオンにより一時的に占領されます。オランダ本国がフランスの影響下に置かれイギリスと敵対、オランダの海外拠点もイギリスにより攻撃を受けました。1808年、イギリスの軍艦フェートン号が長崎湾に侵入、オランダ人を人質にとる事件が発生します。責任を取って長崎奉行松平康英切腹します。なお、この事件およびイギリスと関連する1824年の大津浜事件、宝島事件をきっかけとし、1825年、幕府は外国船打払令を定めることになります。

シーボルト事件
1828年に日本地図を国外に持ち出そうとするシーボルト事件が発生します。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図(1821に完成)」の縮図を、オランダ商館付の医師・シーボルトが国外に持ち出そうとした事件です。シーボルトに縮図を渡した幕府天文方・書物奉行高橋景保の他、十数名が処分され、景保は獄死します。シーボルト1829年に国外追放の上、再渡航禁止の処分となりました。
伊能忠敬の地図は国土を防衛するために必要な地形図です。幕府は伊能忠敬のほか、間宮林蔵樺太が「島なのか」「中国大陸と陸続きか」の調査を命じました。当時の認識では「陸続き」です。間宮林蔵は2度の調査で海峡を発見、島であることを確認しました。ロシア南下の脅威から、防衛上、必要な測量を行ったのが、伊能忠敬間宮林蔵であったのでした。
<参考>
・改訂版 中学校の歴史が1冊でしっかりわかる本
・地図でスッと頭に入る世界史
・エリア別だから流れがつながる世界史
・世界史から読み解く日本史
清教徒革命 - Wikipedia
クロムウェル
権利の章典
異国船打払令 - Wikipedia
シーボルト事件 - Wikipedia