シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

34.清・朝鮮との関係は協調路線から帝国主義へ

最初、日本は清や朝鮮と協調路線を模索する。しかし立て続けに失敗してしまう。とうとう日本は帝国主義、植民地政策へと舵を切る。なぜそのような方針転換になってしまったのでしょうか。下記の順で紹介していく。
・ロシアの地政学に基づく南下政策
・ロシアの南下政策に対立していたイギリス
・協調路線か、帝国主義の模索
甲午農民戦争
金玉均が暗殺される
・協調路線から帝国主義
・ロシアの三国干渉
■ロシアの地政学に基づく南下政策
 ロシアは地理的、経済、軍事的に不凍港を目指して南下政策をとる必要があります。 南下するにあたって取れる対応策は2つ、ヨーロッパ方面、東アジア方面です。ヨーロッパ方面では、オスマン帝国との戦争で、クリミア戦争やロシア=トルコ戦争を経験し、欧州方面での南下政策に限界を感じるようになりました。

 次第に東アジアでの南下を目指します。清は太平天国の乱(1851年)とアロー戦争(1856年から1860年)で混乱していました。ロシアは清とアイグン条約(1858年)、北京条約(1860年)を結び、不凍港であるウラジヴォストークを獲得します。

■ロシアの南下政策に対立していたイギリス
 当時、イギリスは海洋上の覇権を握る海洋国家でした。不凍港の獲得に成功したロシアの海洋進出を阻止したいと考えていました。そこで、日本との関係を強化しようとします。
 イギリスは日本と1894年に「日英通商航海条約」を結びます。 日本はこれによりイギリスと1858年に結んでいた「日英修好通商条約」の、治外法権を撤廃できました。 また、これをきっかけに日本は他国とも同様の内容で条約を結ぶことができるようになりました。不平等条約改正に向けて前進します。不平等条約の解消は、ロシアの南下政策が影響していたのです。

■協調路線か、帝国主義の模索
 ロシアの南下政策に対し日本は清、朝鮮とどのような対応をとることが望ましいかを 検討していた時期がありました。特に朝鮮は攻められてしまうと大国に吸収、そしてそこを朝鮮を補給地として日本に攻められてしまいます。国力を増強させる方策には2つあります。1つめは自国民に明治維新のような形で民衆に蜂起、近代化してもらう。 2つめは帝国主義的に進出、植民地化して政権をコントロールする。以上の2つです。

  明治政府発足以前より朝鮮とは対馬を通じて国交はありました。しかし「外交関係」はありませんでした。そこで新政府樹立時に通告のための告示文書を送付します。 しかし外交関係を結ぶことができませんでした。

 清とは外交関係を結ぶために1871年日清修好条規を調印しました。これで日本と清の相互に外交使節と領事の駐在が可能になりました。また制限はありますが領事裁判権を認めることを定めました。日本と清が対等な条件で国と国との交渉をすることができるようになりました。

  「江華島事件」は日本と朝鮮の間で起きた武力衝突事件です。この事件をきっかけに1876年に「日朝修好条規」を締結されます。朝鮮は清から独立した国である。清との冊封体制による属国ではない、ということが明記されました。

 ■甲午農民戦争
1894年(甲午)に李氏朝鮮甲午農民戦争が起きます。李氏朝鮮で起きた農民の暴動・内乱です。内乱は1894年1月11日~1895年3月29日まで続きます。事態の鎮圧のため、朝鮮は清に対して援軍を要求しました。清がこの兵をどう動かすかわかりません。 これに脅威を感じた日本も出兵を行いました。反乱が収束したのち、朝鮮は両国に対して撤兵を要求しました。しかし両国は対峙します。そしてその後「日清戦争」へと発展していくことになります。

金玉均が暗殺される
日本側が日清戦争を選択した背景には、金玉均が上海での暗殺された事件(1894年3月28日)が関係する。福沢諭吉らが朝鮮の近代化を目指していました。自国民に明治維新のような形で民衆に蜂起してもらえるよう、金玉均(キムオッキュン)や朴泳孝(バクヨンヒョ)らを教育していました。しかし、金玉均の暗殺により、その方向は頓挫するこになりました。

■協調路線から帝国主義
日本ははじめ協調路線をとっていました。しかし甲午農民戦争金玉均の暗殺の2つをきっかけとし、日本は清・朝鮮との協調路線から帝国主義へと転じます。日本は日清戦争(1894年7月– 1895年4月)を行います。結果は勝利し、下関条約を結びます。清に対して、朝鮮に対する不干渉、遼東半島澎湖諸島、台湾の割譲と2億テールの賠償金を認めさせました。

■ロシアの三国干渉
日本の大陸進出はロシアにとって快いことではありません。それをロシアは阻もうとします。ドイツ、フランスに協力を求めます。「三国干渉」を行い、日本に遼東半島の返還(条件付き)を迫ります。日本はこの三国に対して勝算はありません。三国干渉を受け入れることにました。 

<参考>
・世界史から読み解く日本史
アイグン条約 - Wikipedia
北京条約 - Wikipedia
近代国家 日本の登場 - 6.明治初期の近隣外交 : 国立公文書館
江華島事件 - Wikipedia
日朝修好条規 - Wikipedia
甲午農民戦争 - Wikipedia