縄文時代の土偶とは不思議な形をしている。実はその土偶、当時の食べ物や植物を表したタイプの土偶もあるという。この記事では土偶の謎に迫る。
■土偶の出土数
各時代における土偶の出土数は次の通り。
・草創期:1万6500年前~1万1500年前頃は3点
・早期:1万1500年前~7000年前は50点
・前期:7000年前~5470年前は134点
・中期:5470年前~4420年前は5,405点
・後期:4420年前~3220年前は3,675点
・晩期:3220年前~2350年前となると3,774点
ちなみに最も古い土偶は縄文時代草創期後半の、三重県で2個(粥見井尻土偶)、滋賀県で1個(相谷土偶)らしい。まだ埋もれていたり、焼失してしまった分などを含めれば、本来はもっと存在しているのだろうか。
■土偶は植物など精霊を模した芸術作品か
縄文時代はまだ稲作が発達しておらず、食料調達のため定住が難しかった。
そういう中で、動植物は当時の貴重な食糧源であった。
そのような動植物に対する崇拝、感謝を示す上で偶像としてつくられた芸術作品、
いわばフィギュアであったという説が竹倉史人氏の著書、「土偶を読む図鑑」などで紹介されている。
その書籍によれば、
・ハート形土偶:オニグルミ
・中空土偶:クリ
・椎塚土偶:ハマグリ
・結髪土偶:イネ
・遮光器土偶:サトイモ
として各土偶と何の動植物を模しているかの対応関係が示されている。
昔の人たちは食べ物に対する崇拝、感謝の思いを土偶に込めてつくっていた。
そして何より身近な動植物を芸術作品として創作するという芸術性や技術が当時の
人々に既にあったということである。
<参考>
・土偶を読む図鑑 竹倉史人