シン・ニホンシ

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137.「布を織る」ことに関する糸玉、紡錘車、機織形埴輪の出土

今回は「糸玉」、「紡錘車」、「機織型埴輪」の出土例を紹介し、「布を織る」ために必要なモノ、道具をテーマに古代を探る手がかりとする。
弥生時代の糸玉の出土は国内初
2022年6月、徳島県の南蔵本遺跡で弥生時代前期のものとみられる糸玉が出土された。糸玉は麻の茎の繊維でつくられたもの。弥生前期(紀元前5世紀~紀元前2世紀)の土器と一緒に出土されたため、糸玉も同様とみられる。この出土のほか、漆が塗られた弥生前期の木製の飾り弓もみつかったという。記事から類推するに縄文晩期での糸玉の出土例は十箇所がみられるが、弥生時代では初とのこと。
参考:朝日新聞デジタルwww.asahi.com
■機織形埴輪:甲塚古墳
甲塚古墳(かぶどづかこふん)は栃木県下野市下野国分寺跡に隣接する「6世紀後半」の古墳。直径37メートル、高さ約8.2メートルの円墳。この古墳で見つかった24基の埴輪のうち、2基は日本初の出土例となる機織(はたおり)型埴輪であった。下記、参考①の栃木県下野市(しもつけし)のサイトにて、復元された機織埴輪が紹介されている。 参考②はPDFで詳細を知ることができる。
■紡錘車
糸の繊維をつむいで長くした後に、太さ、強さを均質にするための工程が必要。このとき「紡錘車(ぼうすいしゃ)」という道具を使いそれを行う。魏志倭人伝によれば、3世紀、弥生時代の時点で、植物の繊維または蚕などによって糸をつくっていたことがわかるとされる。
岡山市の津島遺跡での紡錘車の出土
津島遺跡は弥生時代前期から後期の岡山市にある集落。紡錘や紡錘車が下記参考③で紹介されている。その中で紡錘車が出土されていることが示されている。
山梨県甲斐市の金の尾遺跡での紡錘車の出土
金の尾遺跡(かねのおいせき)は山梨県甲斐市大下条にある縄文~弥生時代の遺跡。ここでも紡錘車が出土されている。参考④より確認できる。
■まとめ
・糸自体は縄文時代晩期から日本でも存在し「縫う」という文化は存在していたようだ。
・甲塚古墳により6世紀後半に機織り型埴輪が出土される。この頃になると既に精緻な道具を使った機織り技術となる。
■感想
・「機織り」というキーワードで遺跡などの出土状況を調べた。縄文時代で既に糸の出土があり想定以上に「縫う」という文化の始まりは早かった。
・一方で「機織り型埴輪」は非常にユニークな技術であるが、時代としては500年代後半、仏教なども伝来したのちだ。また、栃木県下野市・甲塚古墳は近畿の政治的中枢と離れた場所での技術者たちもいるということが認識できた。
<参考>
参考①:下野市公式ホームページ
甲塚古墳出土機織(はたおり)形埴輪展示開催中【しもつけ風土記の丘資料館】 | 下野市公式ホームページ
参考②:下野市公式ホームページ内の資料で詳細が確認できる(PDF)↓
https://www.city.shimotsuke.lg.jp/manage/contents/upload/5821824666a85.pdf
参考③:糸を紡ぎ、布を織ること - 岡山県ホームページ
参考④:山梨県/埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0228金の尾遺跡