シン・ニホンシ

日本の歴史を新しい視点でとらえ、検証し、新しい未来を考える

10.弥生時代に変わっていく銅の使い方、銅鐸とは何か

ここまで土偶、土器、埴輪、古墳などをとりあげてきた。もうひとつ、よく出土されている道具、「銅鐸」がある。
■銅鐸
教科書でさびた感じの銅の、小さな鐘のようなイメージがありますが、それが銅鐸です。この銅鐸は発掘時はさびているため、本来はもっとピカピカであった。銅鐸は、主に祭祀に使われた道具です。
■銅鐸の使われ方の変遷
銅の使い方は時代の変遷とともに変わっていきます。国造り・国がまとまっていく過程での、初期段階では、主に戦いの道具として、剣、矛といったものとして使われていったと思います。一方、弥生時代当時の倭国の国々、ある程度の小国にまとまってきた段階では、各地域で独自の祭りの中で、銅鐸が用いられたようです。朝鮮半島からの影響もあり、青銅器で祭祀の道具を作り、農耕にかかわるまつりごとを行っていました。

青銅器の分布状況
次のサイトで青銅器の分布状況が示されている↓
参考:
弥生の祭祀から見えてくる近畿政権
弥生時代・中期では、「聞く銅鐸」、銅鐸を鳴らし、音を聞くという使い方がなされるようになっています。呼び鈴として、または、まだ小国が乱立している時代ですから、
戦の合図として使っていたかもしれません。また、弥生時代・後期では「見る銅鐸」、
形状が大きくなり、かつ華麗な見る銅鐸へと変化していくようです。芸術的な要素、銅の加工技術が進展していったのでしょう。