古代の天皇の宮とされる伝説の地を紹介していく。これより土地とそれに紐づくエピソードを探していく。
今回はシリーズ第11弾、安康天皇・後編として即位したのちの大泊瀬幼武尊を紹介する。次の流れで紹介していく。
・大泊瀬幼武尊の妻探し
・根使主の讒言(ざんげん)
・日香蚊父子(ひかかかぞこ)の忠誠
・中蒂姫命を妃とする
・大泊瀬皇子の結婚
・安康天皇、暗殺される
・安康の漢風諡号
■大泊瀬幼武尊の妻探し
安康天皇は穴穂宮へ遷都した際、弟の大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと、のちの雄略天皇)に妻をとらせようとする。
そこで、反正天皇(瑞歯別)の娘たちをめとらせようとした。
日本書紀作者たちは具体的な名前は書物に記されていないとする。
可能性としては香火姫皇女(かいひめのひめみこ)、円皇女、財皇女、高部皇子(たかべのみこ、または多訶辨郞女・たかべのいらつめ)とされる。
しかし皇女(ひめみこ)たちはみな答えていった。
君王(きみ、大泊瀬幼武尊のこと)はつねに、暴く(あらく)、強い(こわい)。
たちまちに怒った時、朝に見ゆる者は夕べには殺される。
夕に見ゆる者は朝には殺される。
みな顔色が悪くなった。
性格も、振る舞い、言葉、髪の毛など、王のみこころにかなわない場合、どうして情愛をそそぐことができようか。
と断られてしまった。
■根使主の讒言(ざんげん)
そして安康天皇は大泊瀬皇子のために、大草香皇子(おおくさかのみこ)の妹、草香幡梭姫皇女(くさかのはたびひめのひめみこ)をめとらせようとする。
そして坂本臣の祖(おや)、根使主(ねのおみ)を大草香皇子のもとへ遣わした。
根使主はこう言った。
願わくは、大泊瀬皇子に幡梭姫(はたびひめ)をあわせたい。
大草香皇子は答えた。
重い病をして、癒えることがない。
例えば物を船につんで潮を待つ者のようだ。
しかし死ぬのはやむをえない。
寿命というものがある。
惜しむということはない。
ただ妹の、幡梭姫皇女は孤独である。
心配で安らかに死ぬことができない。
これは大恩(おおきなるめぐみ)だ。
大草香皇子は押木珠縵(おしきのたまかづら)を捧げようと、
安康天皇の使いである根使主に渡した。
※押木珠縵は新羅由来の、金製または金銅製の王冠で木のたち飾りのあるものと考えられている。
↓文化遺産オンライン 新羅はローマのガラス製品の輸入しており、金の装飾品の製作が盛んであった
bunka.nii.ac.jp
↓は奈良国立博物館、新羅の天馬塚古墳出土から出土した金冠
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/200407_shiragi/
ここに根使主は押木珠縵をみて、その麗しさに誘惑される。
そして偽って盗み自分のものとしてしまう。
根使主は安康天皇に偽って報告する。
大草香皇子は命(おほみこと)をうけたまわらなかった。
同族といえども、どうして我が妹をもって、妻とすることができようかと。
安康天皇は根使主の讒言(ざんげん)、いつわりを信じてしまう。
怒った安康天皇は大草香皇子の家を囲み、殺してしまった。
■日香蚊父子(ひかかかぞこ)の忠誠
このとき、大草香皇子に仕えていた難波吉師(なにはのきちし) 日香蚊父子(ひかかかぞこ)がいる。
ともにその君(きみ)の罪なくして死んでしまったことをいたんだ。
父は王の首を抱き、二人の子は足をもって言った。
わが君、罪なくしてしにたまうこと、悲しきかな。
わが父子、三人
生きてまししときにつかへまつり
死にます時にしたがひまつらずは これ 臣だにもあらず
そして自ら首をはね、皇子のかたわらで死んだとされる。
軍衆たちはこれを見て悲しんだ。
吉師は古代朝鮮において王や首長を意味する。
姓氏録・右京諸蕃下で高句麗の好太王を出自とする人物とされている。
↓wikipedia、難波日香蚊
■中蒂姫命を妃とする
安康天皇は、死んでしまった大草香皇子の妻の中蒂姫命(なかしひめ、履中天皇皇女であり、大草香皇子の妻)をめとって、宮中に納(めしい)れ、妃(みめ)とした。
■大泊瀬皇子の結婚
また、ついに大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)に幡梭姫皇女(はたびのひめみこ、または波多毘能若郎女・はたびのわきのいらつめ)をあわせた。
■安康天皇、暗殺される
即位2年、中蒂姫命をたてて皇后とした。中蒂姫命には大草香皇子との間に眉輪王(まゆわのおおきみ)がいた。
即位3年、安康天皇は眉輪王によって父の敵として殺害された。
■安康の漢風諡号
安康は平和で安らかにという意味の安康であろうか。
ちなみにアンコウは漢字で鮟鱇と書く。アンコウが文献に登場するのは室町時代、江戸時代には鮟鱇が食べられていたことがわかっている。
↓wikipedia、アンコウ
■まとめ
・大泊瀬幼武尊はのちの雄略、気性も荒々しく、容姿も他の同時代の風貌と異なる描写がある。
・大草香皇子は妹に幡梭姫皇女(または波多毘能若郎女)を持つ人物
・根使主が讒言(ざんげん)をし、大草香皇子は無実の罪により安康天皇により殺害された
・大草香皇子は押木珠縵(おしきのたまかづら)を持ち新羅との交流ルートがあった
・雄略は同族の大草香皇子の妹、幡梭姫皇女と結婚した
・根使主は高句麗・好太王を出自とする王族か
・安康天皇は無実の罪で殺害された大草香皇子の妻・中蒂姫命をめとって妃とした
・大草香皇子と中蒂姫命の子が眉輪王(まゆわのおおきみ)
・安康天皇は眉輪王によって暗殺された
■感想
・古事記の記述と日本書紀の記述を比較した時、新羅の具体的な記述部分が描かれていないことがある。例えば、允恭天皇の時代、新羅の国主(こにしき)が81隻の船を献上、大使の金波鎮漢紀(こむはちにかにきむ)を遣わし、天皇の病を癒した箇所。
<参考>
・日本書紀(二)岩波書店
・古事記 新版 現代語訳付き 中村啓信 訳注
・225.古代の宮⑨~允恭天皇、即位を願う忍坂大中姫とのエピソード~ - シン・ニホンシ
・草香幡梭姫皇女 - Wikipedia
・反正天皇(瑞歯別)の娘たち:反正天皇 - Wikipedia の「后妃・皇子女」